常陸国風土記、旅の終わりに
天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 榜ぎ隠る見ゆ
万葉集巻第七冒頭に置かれた柿本人麻呂の短歌です。有名な歌と紹介されることもありますが、国語の授業で短歌の知識が止まっている一般の人にはさほど知られていないと思います。私もそうでした。読んでビックリ。スケールの大きな叙景歌だ、と感動したというより、宇宙ものSF映画の1シーンみたいじゃないかと思ったのです。
この歌は人麻呂の代表的な作品とみられていないようです。短歌の門外漢である私は、万葉歌人春日蔵首老について書くため、万葉集入門として斎藤茂吉『万葉秀歌』(岩波新書)を参考にしたのですが、ここでも選外でした。なぜこんな格好いい歌が多くの場合、無視されるのでしょうか?
華やかだけれど中身がない、とみなされている気配です。確かに、読後の余韻のようなものはありません。私は松尾芭蕉の「荒海や 佐渡によこたふ 天の河」を連想したのですが、芭蕉の凄みすら感じさせる夜景と並べると、理知的な分、作り物めいて見えます。それでも、派生歌に比べれば(水垣久氏のサイト『やまとうた』を参考にしました)、言葉の選択がクリアで、歌全体の透明度が際立ちます。
この歌の解説では、必ずのように漢詩の強い影響が指摘されます。そのことも秀歌とみなされない一因のようです。しかし、影響と言いつつ、出典となる漢詩は見つかっていないとも書かれています。だったら漢詩の影響を受けながらも、叙景歌に独自の境地を開いたという評価でいいんじゃないか、と私は思います。人麻呂は、並外れたセンスで、20世紀に花開くスペース・ファンタジーを先取りしていた――と。
ようやく、時間旅行者云々と綴っていた前回までと繋がりました。慌てて、念のため付け足しますが、スペース・ファンタジー云々は冗談です。人麻呂を、老と山上憶良に並べて時間旅行者の仲間にしたいわけではありません。時間旅行者は歴史に影響を与えてはならず、孤独を義務づけられています。人麻呂は「歌聖」と崇められるほど、影響力絶大でした。
憶良は、大伴旅人と共に「筑紫歌壇」の中心人物であったものの、その民衆の姿を描く作風に周囲の共感が集まったり、同時代に影響を与えたりすることはなく、真価ははるか後世になって「発見」されました。老に至っては、同時代には文人として知られていたようですが、その後は「つらつら椿」の歌に派生歌があり、一度勅撰集に選ばれたという程度で、無名に近い存在でした。常陸国風土記の書き手としても、彼を候補に挙げる人はわずかです。
老が動作の描写によって孤独な人物の姿を際立たせ、民衆の素のままの姿を描く時代を越えた書き手であることは知られませんでした。いや、これは今も私が勝手にそう言っているだけです。老こそ、孤独という属性において真の時間旅行者ということになりそうです。老の貴族になった後の経歴は、常陸介(次官)となり、52歳で亡くなった(らしい)ことが懐風藻に記されるのみです。
ここで、私の常陸国風土記探検はお開きにするつもりだったのですが、心残りがあります。常陸国2の筑波山と富士山の話で、「筑波山からは富士山が見える」ことを書き損なっていました。これを書いて終わることにします。富士山は、筑波山から見えるどころではなく、茨城県内には「富士見」という地名がいくつもあるのです!(北東部のひたち海浜公園から撮った写真をブログに載せている人すらいます)。茨城県民には常識なのでしょう。
しかし、茨城県から富士山が見えると聞けば、県民以外はたいてい驚くはずです。私は常陸国風土記に関して、文献や論文をかなり手広く読んだつもりです。同風土記を扱う際、二つの山の話は必ずのように触れられますが、私の知る限り、筑波山から富士山を望見できるとの注釈はありませんでした。これ抜きでは、なぜ常陸国に筑波山を富士山と並べた説話があるのか不分明になるにもかかわらず。
この話は、単に日本を代表する富士山と「我らが筑波山」を較べてみたのではなく――私はそう思い込んでいました――、全国的な名山が当地から見えるからこそライバル視し、地元の名山を贔屓して作られたのでした。そればかりではありません。話は、祖神を追い返した富士山が雪に閉ざされて人が寄りつかなくなるのに対し、祖神を泊めた筑波山には多くの人が訪れ親しまれるようになった、と終わります。この結末は、常陸国から見る富士山が、たいてい雪をかぶっていることと関わりがあると考えられるのです。
奈良時代に大気汚染はなかったでしょうが、それでも200キロもの彼方から富士山を望見できるのは寒い季節がほとんどで、冠雪した状態であることが多かったはずです。一方、筑波山は冬でも雪が積もることはあまりありません。こうした「物質的条件」を念頭に置いて読むと、物語はより味わい深いものになると思います。
このブログがきっかけになって、風土記を読む人が少しでも増え、春日蔵首老という知られない詩人を心にとめてもらえるなら幸いです。以下、主な参考文献を示します。「はるかな昔 後書き」であげた文献は省きました。