シュンペーター、岩崎弥太郎を描く
1.「行動の人」がイノベーションを起こす
岩崎弥太郎は日本の近代資本主義を切り開いた企業家(アントレプレナー)であると共に、同時代以前に類例を見ないユニークな日記を書き残しました。この二つの独創性が弥太郎に同時に宿っていたのは偶然ではなかったことが、シュンペーターを読むとわかります。シュンペーターは、イノベーション(新結合)を起こすのは精力的な「行動の人」であるとして、次のように述べています。
弥太郎は、遊郭での体験の詳細を記さない、という教養ある人士が暗黙の内に共有していた常識にとらわれず、遊女屋での失敗談までも日記に書き記しました(例えば下のリンク)。また、土佐藩営商社という既存の組織を任されると、それを各成員が自らの意志で加入する近代的な営利企業としての会社へと再編成しました。弥太郎は、「創造的な芸術家」のように「行動の人」としてイノベーションを成し遂げたのでした。
2.企業家がイノベーションを起こす動機
シュンペーターは、企業家であるリーダーは「権威」や「人格的影響力」などによってはその機能を果たすと書いており、これも新興の海運会社を率いた弥太郎に当てはまります。さらにシュンペーターは、企業家がイノベーションに突き進んでいく動機について語っています。
以下、経済産業省の官僚にして学者、評論家でもある中野剛志氏の著書から引きます(私がまとめると長くなりそうなので……)。シュンペーターが挙げる第一の動機は「創造的活動の喜び」です。中野氏は次のように記しています。
上記の「新しい組織」は、弥太郎が作り出した営利企業としての会社組織に当てはめることができます。「非快楽主義的な行動」とは、所与の環境に甘んずることで得られる「経済合理主義的」な快楽に企業家が満足せず、非快楽主義的な「創造的破壊」を行うことで、経済を(成長ではなく)発展へと導くことを示します。第二の動機は、「社会的な権力的地位につく喜び」です。
第二の動機の方が、「政商」として語られることの多い弥太郎の強欲なイメージに合いそうです。しかし、ある時期までの弥太郎は、土佐藩内で出世はしても野心家と言えるほど欲深ではありませんでした。明治政府への仕官の望みを諦め、海運会社三菱の基盤を作り上げた後になって、弥太郎は日本で近代資本主義の幕が開くというチャンスを貪欲なまでに活かしたのです。彼が「飽くなき追求」を行ったことは、結果的に明治の日本経済を発展させる力になりました。
3.なぜか「隅田川会談」の話が再浮上する
閑話休題。シュンペーター関連の本をのぞいているうち、思いがけず弥太郎と渋沢栄一の隅田川会談について考えさせられる一文に出遭いました。前回触れた根井雅弘氏の著書に、シュンペーターが経済学の偉大な先達であるワルラスに会った後、ワルラスから聞いた言葉としてシュンペーターが記した文章があるのですが、これについて根井氏は次のように書いています。
栄一が語った隅田川会談の思い出話について、「確証はない」「何十年も前の人間の記憶をすべて信用するのにも無理がある」と冷静な判断をする根井氏のような人は、残念ながら私より前には一人もいませんでした。二人の会談の逸話を知って、「あくまで渋沢栄一の岩崎弥太郎解釈として記憶しておくのがよい」と語る根井氏のような人がいてくれれば良かったのに、と思わずにはいられませんでした。