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やるよね、2024年のまとめ。

きた。ついに、きた。終わりだ。
2024、ついに終わる!

※この記事は、鬼のボリュームです。飯田が残したいがために盛り盛りにしてしまいました。

去年の年越しに食べたおしるこ。
おしるこって、ひらがなが最もかわいいと思う。
おしるこ。おしるこ。

怒涛の2023を終え、駆け込むかのようにはじまった2024年。(たしかな記憶)
そんな年が、もう終わろうとしているらしい。はやい。はやすぎる。

1年を「はやい」とまとめると、なんだか大人ぶってる人に感じる。わたしも「はやかったなあ〜」と言い、大人になった気がしているから。

それでも、多少のかっこつけはありつつも、はやかった。

成人式(通称、二十歳の集いってやつ)や、20歳の誕生日=お酒の幕開け、人生初の家探しや専門学校の卒業公演だって2024年の話。
気がついたら学生まで終えていて、目が覚めたら東京という町にいた。

わたしの上京前、周りのみんなはとても不安がってくれたが、わたしは1ミリも不安になんて思っていなかった。だって、仲良しの人たちがいるもんね!
ラーメン友達もご近所さんも、専門学校からの友達だって、一緒に上京したんだ。あ、ひげ男もいた。
不安や寂しさの中で上京する同期と比べたら、あまりにも苦しみのない上京で、どこか申し訳なさまで覚えた記憶がある。

上京してからの日々は、もう言うまでもないだろう。
地元の友達に「え、華菜は、今なにしてんだ?」とマジの顔をして問われるほど、必死に毎日を過ごしていたし、きちんと報告もできていなかった。

ってことで、報告します!

5月から一般社団法人HASSYADAIsocial(以下、ハッシャダイソーシャル)で新人広報をしております!業務内容としては...って、いいか。なんてまとめたらいいのかわからないし、綺麗にまとめたくない気もする。
とにかく、若者に元気を配りつつ、自分も元気をもらっちゃってるお仕事だ。

それと一方で、上京した理由となった俳優活動もやってるよ。とはいっても、活動は、実際には全然できなかった。
週に一度のレッスンは受けているものの、舞台にも、エキストラさえにも出られなかった年だった。下半期では「さすがにまずい」とどこかで思ったのか、観劇をなるべくするようにしたくらいだった。

アーティスト活動としては、友達に誘ってもらった企画にちらほら出させてもらったり、長野に歌いに(キャンプをしに)行ったりもした。
今までやってきたライブハウスやライブバー以外でのライブは、とても新鮮だったが、すぐにわたしの身体に馴染んだ。

「なんで東京のライブハウスで歌わないの?」と聞かれることも多かった。いつも「んー、ね、まだ機会を伺ってるのよ〜」なんて濁してきたが、ちがう。わたしはそんな怠惰ではない。
明確な理由は、「どうしたら他のアーティストに埋もれないかが、わからなくなったから」だ。怖かったのだ。そんなことを考えだして、早8ヶ月。

そんな自分に気がついていながらも、どこか後ろ伸ばしにしてしまうのは、自分のこころのどこかが受け入れられていないからだ、と思い、自分の怠惰を見逃した。

みんなが想像するより、もっと怠惰でしょう?

そんなこんなで、ハッシャダイソーシャルの活動もバタバタとしていたため、「お前は一体、なにをしてるんだ?」状態を生み出したわけだ。

ただべつに、この2024年のことを、わたしは後悔しているわけでも、嫌っているわけでもない。むしろ大好き。ちょーー楽しかったから。

ハッシャダイソーシャルで行った全国ツアーでは、行ったことのない地域に6つも行けた。
初めてのひとり飛行機やひとり宿泊も体験した。

旅行をあまりしてこなかった飯田華菜ちゃんは、移動の凄さには、おったまげ。
なんとなくわかってはいたものの、移動には、ものすごく価値がある。そんなことを叫ぶと、大体の人はその価値を問いてくるけど、まだ言わない。言えないと思う。わたしにはまだまだ、修行が足りない!


あとは、皆さん承知のとおり、恋もした。
手放した恋もあれば、恋だったのか、、?というものもある。そして、とびっきりな恋もしている。

恋というのはやっぱり不思議だ。保育園児の頃から恋とともに生きてきたのだが、恋とは一生不思議で、可能性に溢れているものだ。まるで赤子と同じだ。

人の前で格好つけてすかしてみたりしちゃうわたしは、お察しのとおり恋愛経験が少ない。
自家製の歌詞には「恋はマリファナのよう」なんてものも存在するが、まったくのフィクション。妄想の話。

そんなわたしを快く笑顔で、寛大なこころとお腹で受け入れてくれている彼は、かなり変人だ。そう、わたしは今照れているから「変人」と表現しているだけである。
彼は、いいパートナーというより、相棒、バディーと表現したほうが心地がいい。
そんな存在と出会えた2024年には、こころから感謝している。


2024。ついこの間まで浅田真央が氷の上を滑っていたというのに、浅田真央のいないオリンピックもとっくに過ぎてしまった。

いろいろな感情を知った。
あ、なんか悔しいと気持ち悪いとムカつくが絶妙な配分で混ざっているな、とか、嬉しさと不甲斐なさが均等だな、とか。マジこいつムカつく100%もあった。わたしは、まだまだお子ちゃまらしい。

紆余曲折のある1年だったけど、すこしは成長したと言える1年だった気がする。
そんな「愛おしい」思える1年に出会ったこと、
そして愛おしくしてくれた人々、出来事、景色に、きちんとありがとうを伝えたい。

わたし、よくやったぞ。
口角をあげて年を越せることって、決してあたりまえじゃない。
そんなことを思い胸が熱くなってきたところで、そろそろまとめも終わりとしようか。(ただお風呂でのぼせただけ)

母のおさがりの振袖。着ることができて本当によかった。
誕生日ケーキをもらった。眉毛耳ホクロファイヤー。
ハタチのリリースもした。愛してくれている人、本当にありがとう。
友達がお花屋さんで、魅力がひしひしと伝わるもんだから、お花が好きになった年でもあった。
思い出の夜景。良い思い出!
貯金残高が964円になった。
これでも稽古中。土管の上に乗るわたし。
そして本番。どうしてこの顔?
髪を切った!
学生が終わった。
初の自主企画ライブ。だいすきな人たちに来てもらった。
砂漠も行ったね〜by小竹
高校の同窓会(たった2年前)の会長をやった。もう二度と幹事にはなりたくない。
18歳の成人式で公式LINEお姉さんをやらせてもらった。まさかこの時はハッシャダイソーシャルに入るとは思っていなかった。緊張していた。
これが神対応チーム☆
あ、だいすきなしゃしん!
地元の仲間たちがお別れ会を開いてくれた。上京する前だね。
上京して机がないとき。あるある。
パッタイを浜辺で食べようとしたら
大量のカラスに襲われた。鳥が嫌いになった日。
かっこいい大人を紹介してもらう旅にもいった。
ハッシャダイソーシャルへメンバーイン。
どきどきだね。大丈夫。
阿蘇品は本当にたくさん会ったね。笑
ライブもした。みーんなきてくれた。
だいすきな森道〜、今年もたくさんの出会いがあった。
素敵なアーティストのMVにも参加させてもらった。
犬も飼った。
はじめての課外イベントに参加した。
宮城県石巻市。
また必ず訪れたい。
敬子(母ちゃん)とお揃いの服を来ておでかけ。
自然もたくさん感じたなあ。
人生初のキャンプ。うたった。最高だった。
ラブな2人!
ラジオも始めた。録り溜め一生してる。
地元の友達たちと洞窟にいった。
キャンプで仲良くしてくれた、ちょっと歳の離れた先輩方をお招きした、「飯田華菜歓迎会」。マジで謎でカオスな、そして最高な夜だった。
みんなが20歳のわたしへ、メッセージを書いてくれた。たからもの。
江ノ島にもいったね。特別な日になった。
まえかわのおっちゃんにであった!笑
絵にも目覚めて
バイト終わりの友達も巻き込んだ
青森県八戸市。
館鼻岸壁朝一、さいこうすぎた。
八戸も必ずくる。
長崎県松浦市。あまり写真がなかったので、楽しそうなこれで。
素敵な人々で溢れている街だった。ここにも必ずくる。
ラーメンは、帰省のたびにいきましたねえ。
飯田家Tシャツもつくっちゃった。絵も描いた。
まえかわのおっちゃんのお店でうたった!
北海道札幌市。雪がビュンビュン。
ご飯が美味し過ぎた。
思い出に残る夜だった。
母ちゃんと宗ちゃん。ずっと会わせたいと思っていたわたしのエゴが、叶った日だった。
カラオケもたくさん行きました!うたうのだいすき!
そして年末。地元の友達たちと集まった!

とんでもない写真の量になってしまったが、これでも厳選した方なのだ。
まあいい、これは残しておきたいの。

2025年も、すでにわくわくしている。
どんな年にしようかな、とか考えるのはなかなか難しいけど、間違いなく楽しいに決まっている。

2024年、関わってくれた人にとてつもなく感謝をしたい。
そして2025年、誰よりも自分を信じて進んでいきたい。

わたしがわたしの、1番の味方であるために。

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