もうひとつのルビコン川 紀元前45年3月 ムンダの戦い
「最後の降伏勧告を....」
幕僚がユリウス・カエサルに提言した。
カエサルは無言のままだった。
「無駄なことかもしれない.....」
デキウス・ブルータスは心中でつぶやいた。
決戦をおこなうまでもなく、カエサル軍の勝利は決まったようなものである。
戦闘は形だけのものとなろう....しかし.....ラビエヌスの覚悟を知れば、最後の散り際をどのような形にするかだけが、彼なりの美学、ローマ人の生きざまをみせるかのみが焦点だと思われたからだ。
ラビエヌスの心境はよくわかるつもりだ。最後はユリウス・カエサルとの決戦で散りたい。
人生最後の戦いはかつての盟友、かつ最強の敵でもあるユリウス・カエサルとの直接対決を望んでいるだろう.....デキウスはラビエヌスの心の内側をそうとらえていた。
カエサルは無言のままだった。
幕僚の話にうなづくのでもなく、両手を組んだまま、目を閉じていた。
深い瞑想のようにもみえるし、苦悩を内面に含んだ熟考のようにもみえた。
「デキウス・ブルータス」
カエサルが声をあげた。デキウスを指名し、彼に対ラビエヌスの軍勢への対処を指示した。
「ブルータス、お前に任せた」の言葉の通り、最後までデキウス・ブルータスを信頼し、彼に全権を委ねた。そこには、ほぼ不可能であろうとも....ラビエヌスの説得という面もあったのかもしれない。
そしてこれが彼にとっての”最終試験”だったのかもしれない。後継者にふさわしい人間の器を見せる機会を与えたのかもしれない.....
決戦はあっさりと終わった。ほとんどの部隊が投降したからである。
ポンペイウスの遺児二人の軍勢も投降....最後まで奮闘したのはラビエヌスの直営軍だけであった。この時のラビエヌスの心境はとらえることができない。
残してきた伝令役によると一瞬だけ寂しそうな表情をみせたとだけだと…デキウスはのちに知ることになる。
やはり、覚悟を決めていたのだなとデキウスは確信した。であれば、ユリウス・カエサルの直接の出馬こそが、ラビエヌスの花道を飾る礼儀だったのではないか....
デキウス・ブルータスに疑心が暗鬼を生んだ.....
ラビエヌス死亡
全軍歓喜の瞬間であるが、幕僚陣では雄たけびを上げるものはいなかった。
かつての盟友であり、本来であれば.....こちらの陣営で活躍している人物の死である。
微妙な空気が陣幕内に漂っている。陣幕の外の兵士達の歓喜とは対照的である。
一部軍団の百人隊長達がカエサルに面会を求めた。元ラビエヌスの指揮した兵士たちである。
カエサルは言葉を発せずにうなづいた。しばらくすると百人隊長達が陣幕を訪れた。
百人隊長達は戦闘の終了とともに儀礼的な言葉をカエサルに伝えた。
カエサルは無言だった。筆頭の百人隊長がカエサルを陣幕に『外で兵士に言葉をかけては』と提言した。ほんの数秒だったか....カエサルは目をつぶった。そして、目をあけぬまま無言でうなずいた。
陣幕の外にでて、カエサルは兵士たちに声をかけ、労をねぎらった。
最初は歓喜に満ちた雄たけびを上げていた兵士達が徐々に静かになっていった。
兵士達がつぶやいていた「ユリウス・カエサルが泣いているぜ…」
勝利で得たものは大きい。
しかしながら、失ったものは更に大きかったのだ。
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