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東京夏夜
土砂降りの雨に見舞われた。梅雨が大嫌いだ。
上半身は傘で守れても、下半身は地面に激突した雨粒の飛沫でびちゃびちゃに濡れる。
一応立派な大人なので靴下の替えは持っているし、何ならいつもよりずっと早く家を出ているのでズボンを乾かす時間だってある。
大雨の影響で電車が大幅に遅延したって、そんなこと一般会社員の僕には一切関係なくて、普通に出勤しなくてはならない。
こんな時にリモートワーカーはいいなと思ったりもするけれど、家では絶対に集中できない人間なのできっと向いていない。
2時間以上早くオフィスに着いたものだから、他の社員はおろか明かりすらついていない。
薄暗いオフィスで靴下を脱ぎ素足になる。足元にサーキュレーターを設置して風を送る。
雨粒が窓ガラスに勢いよくぶつかり、激しい音を立てる。
沖縄はすでに梅雨明けとなり、まもなく本格的な夏が訪れるそうだ。
東京の夏はもうしばらく始まりそうにない。
梅雨が好きな人間っているのだろうか。いるか。僕は嫌いです。
いつからか、夏が待ち遠しいと思わなくなった。
夏メロを聴かなくなった。
夏祭りにも花火大会にも行かなくなった。
炎天下、何かしたいけど何かがわからず、体内に有り余ったエネルギーを発散させられないもどかしさに襲われることもなくなった。
8月31日の夜に胸が締め付けられることもなくなった。
東京の夏は──そもそも僕は東京の夏しか知らないし、どこも同じかもしれないが──ジメッとした重たい空気が体に纏わりついてくる。
高層ビルの窓ガラスに反射する太陽光がいやに眩しいし、とにかく暑い。
夜は街中から、何だかエロい香りが漂ってくる。陽気な男女の汗と欲望の蒸気があちこちを彷徨い、街はいつまでも眠らず興奮しきっている。
キラキラじゃない。ギラギラしている。
そんな東京の、そんな夏夜にはそりゃ、マジックだって起こるよな。
「東京出身です」と言うと、必ず「シティボーイだね」と言われる。「多摩市出身なんで、全然そんなことないですよ」と否定することも煩わしくなり、最近では「そうですシティボーイです」と言うことにしている。
ラブホテル街の先にある、空調の効きが悪い半地下の居酒屋で飲むハイボールは、格別に旨い。
草臥れたタバコに火をつけ、徐に煙を吸う。一度肺に入った煙が口から抜け出る時、魂を抜かれるイメージが脳内に浮かぶ。
暑さでおかしくなりそうな中、塩気の強い空芯菜を食べながら、「もしかしてこの夜も、この場所、いや、この時空間の全てがお前の言う"エモい"ってやつなんじゃねえの?」と、わけのわからないことを抜かす汗だくの友人に対し、「俺、最近"エモい"避けてんねん」と、心のむず痒さから関西弁を使ってしまう。
酔いどれたアラサーのシティボーイ(仮)2名が、夏夜の渋谷を闊歩する。でも途中でやっぱり恥ずかしくなって、なるべく端の方をこそこそと歩くことにした。
「夕立降る下北沢くらいが身の丈だろうな」とシティボーイ(仮1)が言う。
「今年はあの夏を取り戻す」とシティボーイ(仮2)が返す。
「あの夏って?」とシティボーイ(仮1)。
「俺たちの夏だよ」とシティボーイ(仮2)。
薄暗いオフィスで靴下を脱いで素足になり、足元にサーキュレーターを設置して風を送っている。
雨粒が窓ガラスに勢いよくぶつかり、激しい音を立てている。
梅雨が大嫌いだ。
やっぱり、僕はあの夏が。