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病気をすると自分の限界を知る

『いごこちじかんわたしじかんができるまで』私の振り返り4回目。

派遣社員時代2年目。職場で体の異変が。
この病気がきっかけで『限界』という言葉を知ることになります。

《いごこちじかんわたしじかん》ができるまで ◆part4◆

2度の突発性難聴と一生のお付き合い

前回のつづき。派遣社員として㈱熊谷組の現場事務で働きだし9か月目。事務所に鳴り響く電話の音がおかしい。水の中で音を聞いている感じがする。電話の音も人の声も、こもっていて“ぽわんぽわん”と気持ちが悪い。どうしたんだろう?すべての音が遠くで鳴り響いているよう。資料のコピーを取ろうと思ってデスクからコピー機へ向かって歩く。なかなかたどり着かない。自分ではまっすぐ歩いているつもりがコピー機から1mほどズレて斜めに向かっていました。船の上で揺れているような感覚と吐き気。体が傾いているような感じでその場にしゃがみこんで動けなくなる。耳鳴りがどんどん酷くなる。

『中村さん、(実際は旧姓で)大丈夫ですか?』現場監督が駆け寄ってきて、なんとか椅子まで運んでもらいました。しばらくして落ち着いたものの、耳鳴りは続き、音が聞こえない。『すぐに耳鼻科にいったほうがいいですよ』と言ってくれたので、事務所の近くの病院へ。診断後『すぐに仕事をやめて入院してください』『???』私は驚くしかありませんでした。『突発性難聴』の診断を受けて翌日、家の近くの西神戸医療センターへ。ここでもすぐに入院をして1週間点滴治療をします。とのこと。点滴が一番効果があるけれど副作用がきついので薬の服用もあるとのこと。ただ薬は効果があるかどうか。

今、後悔しているのは点滴治療をしていればよかった!突発性難聴は早急に治療をすれば聴力をある程度、戻すことが出来るそうです。一旦、落ちてしまった聴力は戻りません。なぜか母も薬の選択をし、その他もろもろの症状は落ち着きましたが聴力は戻りませんでした。

そして2度目の突発性難聴は39歳の時。両耳とも聴力がさがってしまいました。2回目も職場でめまいがして倒れる。その頃は夜勤の工場でパートをしていました。なぜ夜勤の仕事をしていたのかは、追々話に出てくると思います。

聴力が下がったことで『聞き取りにくい』ということが重なり、それがまたストレスになる。普段の生活には差し支えないのですが低音が聞き取りにくく、会話の中で『えっ?』と聞き返すことが多いです。日常のことなので、どんどんストレスになる。相手の人に何度も『えっ?』と聞き返すのが失礼で心苦しい。いちいち『突発性難聴』だと説明するのは面倒くさいというジレンマ。電話の声も聞き取りにくい。子どもにも、なんども聞き返してブチ切れられる(笑)

『突発性難聴』の原因は《疲労》《睡眠不足》《ストレス》です・・・

いごこちじかんわたしじかんができるまで
◆part4◆つづきはこちらから⇩
https://igokochijikan.com/watashiwawatashi/1632

ブログというツールで発信を始めてから6年。文字を通して綴っている原点は私がこれまで生きてきた時間から湧き出るもの。『生き方』というかっこいいものではなく『生き様』という泥臭いもの。少し長くなりそうですが《いごこちじかんわたしじかんができるまで》お付き合いいただけると幸いです。


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中村美枝子:空間と心をココチよく整える人
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