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“ぼったくり商売”に風穴を開ける新葬儀屋。
終活ブームである。人生の最期を理想的なものとするための、事前に行う準備のこと。
自分らしい最後を迎えたい。家族に迷惑を掛けたくない。そんな思いから、生きているうちに、葬儀やお墓の準備をしておく人が増えている。実に意義のあることだと思う。
そんな終活の中で、もっとも大きな問題となるのが、葬儀である。金が掛かり過ぎる。
自分の葬儀のために、やりたいこともやらず、コツコツ金を貯めなければならない、という馬鹿げたことが起きている。
何のために生きているのか。
日本の平均的な葬儀費用は、約200万円弱となっている。この世に未練を残しながら旅立つ費用が、200万円。旅立つのも容易ではない。
なぜ、これほどまでに金が掛かるのか。
ずばり、葬儀屋と坊主の“ぼったくり”である。
私も父を見送った時に、その悪どさを知った。看病で疲れ切っているところに、亡くなってすぐ葬儀の準備をしなければならない。
しかも、まったく知らない世界のこと。それを狙っているかのように、葬儀屋は次々と細かな決断を迫る。
どんな式にするか? 棺はどれか? 料理は? 会葬御礼は? 供物は? ………。
疲れと悲しみで、ボーッとなっているところに、マシンガントークのような“売り込み”。
面倒になって、「他の方はどうされていますか?」と聞くと、「ほとんど、こちらをお選びですね」と、やや高めのものを勧められる。
極力冷静になろうとするものの、早く済ませたい思いから、ほぼ葬儀屋の言いなりになってしまう。
その結果、掛かった費用は100万円超。
明細を見ると、そのひとつひとつが常識を逸脱した値段になっている。
棺がいくらするか、ご存知だろうか。一番安くて、5万円弱。高いものでは、数百万円。火葬で灰になってしまうものに、何万円も払わなければならない。
他にも、祭壇、花、遺骨容器など、驚くべき数字が並んでいる。市場原理が存在しない金額だと言える。
こんなことが、なぜ許されているのか。いままで、誰も文句を言ったことがないのか。
大切な儀式は慣習に則ってやらなければならない、という人びとの固定観念を利用した、悪徳商法ではないのか。
それだけではない。寺院への御礼が、これまた怪しい。
お布施と呼ばれ、本来は坊主への心づけなので、いくらでも良いはずだが、相場があると言われる。
戒名をつけてもらうのにもお布施がいる。これがまたまた怪しい。
戒名にも「位」があって、高い「位」の戒名は高くなる。もっとも「位」の低い戒名でも、15〜20万円。高くなると、数百万円。金で地位が買えてしまう。
亡くなってもなお、金がものを言う世界へ行かなければならないのか。ふざけるな! と言いたい。
そんな腹立たしさを静めてくれる葬儀屋が、ここ数年でやっと現れた。
通夜・告別式を行わず、火葬のみを行う「火葬式」なら、16〜18万円でやってくれる。
通夜・告別式・火葬までを少人数の参列者で行う「家族葬」なら、50万円弱。
マシンガントークで、追加を迫られることもない。
これなら、家族に金を残してやれる。あまり迷惑をかけずに旅立つことができる。これこそが、旅立つ者の最後の役割ではないのか。
間違った常識は、正さなければならない。誰もが疑問に思っていることは、誰かが言い出さなければいけない。
よくぞ言ってくれた。新葬儀屋。
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