2022年9月に神社で見つけた心に響く言葉
皆さん、こんにちは。
今日は台風14号の影響で全国的に荒天ですね。
日本を縦断してしまう予想が出ていますが少しでも被害が小さく抑えらられることを願うばかりです。
皆さん三連休の中日は如何お過ごしでしょうか?
現代は何が起きるか分かりませんので、いつ何があっても悔いが少ないように、日々の時間を大切にしないといけないと思いました。
さて、ほぼ毎月、定期的にご紹介している東京都神社庁に置かれている「神社で見つけた心に残る言葉」シリーズの九月「長月」の生命の言葉をご紹介したいと思います。
こちらも9月1日に見つけたのですが、半月以上熟成してしまいました。
それでは参りましょう!
磨くその 力によりて
瓦《かわら》とも 玉となるは
心なりけり
となります。意味として以下の通り解説がありました。
心とは磨きしだいで割れやすい瓦にも
磨く宝石にもなるものである。
「心を磨く」とはなかなか奥深く簡単ではないですね。
朝晩に呼吸を整えたり、道端に落ちているゴミを拾ったり、おトイレを掃除したり、そんなところから始められるのかもしれません。
ただ、ゴミを拾ってもなかなかゴミ箱が無く困る場合も多く、ますますゴミを拾いにくいですが。下記の拙投稿でも悪戦苦闘ぶりが分かります。
私たちは自分自身についてあれこれ考えますが、実際に肉眼で自分自身を見ることはできません。
鏡を使ったり、カメラのレンズを使ったり何かを介在しないと分かりません。鏡が曇っていたら、自分自身も曇って見えるし、レンズ(実際には画像処理ですが)が白黒だったらモノトーンな自分が見えます。
介在する媒体への影響が自己への評価に大きな影響を受けます。少しでも心と体を空っぽにする時間を持って”空”な状態を作ることによって自己理解が深まるのかもしれません。
そして消極的、後ろ向きな感情や恨み、悲しみ、やりたくない事があれば、それらを書き出しそういう自分もあるのだと噛みしめる。勿論、楽しい事、嬉しい事、やりたい事も書き出す。
前向きな自分もあれば後ろ向きな自分もある。そして両方あってこそ自分なのだと受容できると良いですね。恐らく誰でも「後ろ向きなこと」は一つや二つはある。人は誰でもそもそも不完全なものなのだと思います。
こんな自己理解を深めることも心磨きになるのかもしれません。
誰の言葉か?
この言葉は明治から大正期の農業指導者である石川 理紀之助の言葉だそうです。秋田県種苗交換会の先覚者だそうです。
ちなみに種苗交換会とはWikipediaによると以下のように説明されています。
生涯を貧農救済に掲げ。「労農」あるいは「聖農」と敬称されたそうです・
「俺は農民だ。農民が農民を助けないで誰が助けると言うのだ」
と農事改良を単なる個人の営みとして行うのではなく農民を広く組織して集団的研究を高め、自ら全国各地に赴き借金地獄にあえぐ村を見事に再生させたそうです。
今で我々で言うなら
「我々は日本人だ。日本人が日本の農家を助けないで誰が助けると言うのだ」
と言いたいところです。
とは言え、着々と海外で禁止されている農薬が日本に入ってきたり 、農業就労者が67歳を超えて高齢化しつつある現状があり 、野菜等の源だる種子の自給率が僅か10%であったり、日本は物価が上昇しているのに、JAの米買取価格が下落している と農業をめぐる環境は逆風が吹き荒れています。
農家が日本の食生活の重要な役割を担い、日本人の安心安全に寄与していますが、どうやら現在は、
「我々は日本人だ。でも日本の農家は自己責任で農業をすれば良い・・・・💦」
となっているようです。海外では農業所得に対して公的助成が占める割合がかなり高くなっているようです
今日の様な荒天の時ほど、農業の大切さを噛みしめて、農家さんに感謝の気持ちを表したいと思います。
ありがとうございます!
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日のサムネイルはAdobe Stockから購入している稲穂です。
いつもありがとうございます!
それでは、また次回の記事で会いましょう!
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