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2023年3月に神社で見つけた心に響く言葉

皆さん、こんばんは。
この前、2月に「心に響く言葉」シリーズを書いたと思ったら、3月になってしまいました。一日一日は長く感じられますが、俯瞰して考えてみると、2月は28日までしかないこともありアッと言う間のような気がします。

ということで(どういうこと?)、月初の恒例ということで、私の唯一の継続企画である、定期的にご紹介している一部の東京の神社に置いてある東京都神社庁発行の『生命いのちの言葉』を「神社で見つけた心に残る言葉」シリーズとして紹介しています。
3月「|弥生<やよい>」の生命いのちの言葉をご紹介したいと思います。

ちなみに2023年2月の内容は以下ご参照ください。

それでは今月の言葉はこちらでございます。

春風しゅんぷうを以って人に接し
秋霜しゅうそうを以って自らをつつし

言志後録げんしこうろく』より

となります。いかがでしょうか?

この中で「秋霜」と「粛む」が分からないかもしれません。インターネットで調べてみました。

秋霜《しゅうそう》:
1 秋の霜。《季 秋》「―の降らむばかりの衾(ふすま)かな/石鼎」
2 《霜の降りたさまから》白髪(しらが)。
3 《秋の霜が草木を枯らすところから》刑罰・権威の厳しさや意志の堅さなどのたとえ。
4 《霜のように光るところから》刀剣。特に、鋭く光る刀剣。

weblio辞典より

しゅく [音]しゅく[訓]つつしむ:
心・規律などを引き締める。つつしむ。「粛啓・粛正・粛清・自粛」
 身が引き締まるほど厳しい「粛殺/厳粛」
 物音を立てない「静粛」

weblio辞典より

となります。

言葉の解説

何となく分かりましたでしょうか?神社で配布されている短冊にはこのよう解説がありました。

他人には春風のような
暖かさで接し
秋の霜のような厳しさで
自己反省する

とういことだそうです。素晴らしいですね!
最近はSNSでも誹謗中傷があったり、マスメディアも常に様々な事象や人に批判的な記事が多い気がしますが、インパクト重視の過剰だったり批判的な記事が多い気がしますが、自戒の気持ちも込めつつ春風のような温かい接し方や表現を心掛けることが大切だと思いました。

北風と太陽の話もそうですが、北風ではコートは脱がせませんが、太陽の暖かさでコートを脱がすことが出来ますからね!

また秋の霜のような厳しさも、変に卑下したり責めたりする必要もないし、自尊心を落とす必要は無いと思いますが、自分に対しても冷静に客観的な行動を見て、上手くいかなかったことは上手くいかなかったとして、受け止めて改善していくことが大切だなと思いました。

普段の仕事での心掛けや人へ仕事をお願いする時もこのような心掛けが大切だと思います。

東京都神社庁

今回ご紹介した2023年2月の言葉は下記東京都神社庁のホームページから確認することができました。東京都神社庁は東京都内にある1,398の神社を取りまとめている団体です。

誰の言葉か?

この言葉は 佐藤一斎 いっさい 氏の言葉です。
お恥ずかしながら私は佐藤一斎 いっさい 氏のお名前は初めて聞いたのですが、東京都神社庁の短冊とWikipediaによると以下のような方です。

佐藤一斎 いっさい・・・(以後、「一斎氏」と呼びます)
江戸時代後期(明和9年10月20日(1772年11月14日)~安政6年9月2(1859年10月19日)の儒学者。人物としては博識・温厚・篤実とくじつ
朱子学のみならず陽明学にも長けており陽朱陰王ようしゅいんおうとも呼ばれたそうです。
一斎氏は常に時計を持ち、時間厳守を第一とする厳格な性格の持ち主。
その思想は己を律する姿勢をうかがわしめるものとして、幕末武士の間で名声高く、門人には渡辺崋山氏佐久間象山氏など多数いるそうです。

ただ「蛮社の獄」では、無実の罪で窮地に陥った渡辺崋山を擁護する毅然とした対応を取らず、後々(特に明治以降)「言行不一致」と批判されることもあったそうです。

1854年にペリーが来日し締結した日米和親条約では補佐を務めていたようです。ただ吉田松陰氏の手紙によると西洋嫌いだったようです
著書『言志四録』から影響を受けた人物には吉田松陰氏・西郷隆盛氏がいるそうです。
墓地は、東京都港区六本木7丁目の深廣寺にあるが、非公開だそうです

東京都神社庁「生命いのちの言葉」令和五年弥生 短冊
Wikipedia「佐藤一斎 いっさいより

言志後録げんしごろくとは?

一斎が後半生の四十余年にわたり記した言志四録げんししろくにある『言志録』『言志晩録』『言志てつ録』の三書と合わせて四書、1133条で構成されています。
これは指導者のバイブルとして現代まで読み継がれて、西郷隆盛のが終生の愛読書、そして2001年が総理大臣に就いた小泉純一郎氏が衆議院での「教育関連法案」審議中に言志晩録について述べられて、知名度が上がったそうです・・・・知りませんでした💦

言志後録《げんしごろく》は四書の二番目の書で全255条で成り、一斎が57歳(1828年)~67歳(1838年)までに執筆されたものだそうです。(Wikipedia「言志四録」より

言志四録は現代語訳もあるようなので、ついつい現代のリーダー論等の書籍を手にとってしまいがちですが。このような本を読むと複眼的となり、人間としての深みが出てくるのかなと思いました。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
また次の記事で会いましょう!

いつもありがとうございます。

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