![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/152895385/rectangle_large_type_2_cd3135103497f5bc5218165799feb333.png?width=1200)
自分で紡いだ言葉が心を耕す
イフラボで嬉しいなぁって思う時。
「作文嫌いで苦手です。やりたくない」って言ってた子が、半年ほど毎週一回の作文の時間を過ごして、書くことが好きになったから月曜日来るの楽しくなったと言ってくれた時。
イフラボでは月曜日の午前中は、みんな作家になる。
作文のテーマはさまざまで、短歌や詩を作ることもあれば、絵日記や嘘日記、未来への手紙、親への文句、自分が親になったつもりで自分に書く手紙、SFショートショート、サイコロ作文、一文合作、お絵かき作文、擬人化、ラブレター、昔話改変、嘘新聞、絵本を作ろう、絵から物語をつくるなどなど、もう思い出せないくらい、我ながらめちゃくちゃ楽しいテーマを毎回提供している。自分に自信はないのだが、この作文は自信を持って楽しいテーマを提供していると思う!
今は、童話賞に応募する作品を作っているので、みんなテーマが同じ「窓」。まずは主人公と主人公を取り巻く環境を想像してツリーマップに書き上げたのち、物語の構成を作って文章を書き始める。
子どもたちが決めた主人公は全員、学校に行けない子。これは今回だけに限らず、どんな主人公でも良いよって言っても、大体みんな何かコンプレックスのある主人公を作り出す。
学校に行きたいけど行けない主人公、友だちに会うのが怖くて家から出られない主人公。親に分かってもらえなくて家出する主人公、いつもつまんなくて自分に自信のない主人公。
身近な自分が、分かりやすいからだろうね。どんなに楽しそうに過ごしていても、みんな心に負い目や痛みがある。
場面緘黙の子が生み出した主人公は、人と話せない女の子。でも、動物とだけ話せるの。森の中で親以外の誰とも関わらず暮らしている。でも、女の子は誰かと話してみたい。そんな女の子が、窓から冒険して動物と友だちになり、森を抜け人と友だちになるお話を書いている。
イフラボに来るまでは、作文が嫌いだったというのが信じられないくらい黙々と書いていた(いまは嫌いじゃなくて普通になったんだって)。彼女にとっての言葉は、話すことじゃなくて、きっと書くことなんだと思う。
長く続けている子は、物語にも変化が見えてくる。家の中だけだった舞台が街になったり。飛ぶことなんて書いちゃいけないと頑なに現実世界だけを書いてた子が、魔法使いになってお友だちにイタズラしたり、空を飛んだり。
みんな、自分の作り出した物語の主人公が失敗しても再挑戦する姿に、癒されて、励まされて、背中を押してもらっている。
主人公が自由に動き出すようになると、子どもたちも自分の心に自由を取り戻すのがとても伝わってくる。みんな元気になっていく。自分で紡いだ物語が、その子の心を耕してくれるのが感じられる。
テーマは色々だけど、私からの約束事はひとつだけ。
「物語を書くときは、絶対ハッピーエンドにすること」
縛りを入れないと、全員死亡とか、みんなに嫌われたとか、後ろ向きになってしまうんですよね。最後は幸せにすると、認知を変える練習になると心理学で学んだから。そして物語も世界も最後はきっとハッピーであることに希望を持ってもらいたいから。
あ、親への文句は、ドンドン書いて良いことになっていて、ネガティヴOK!!!!
最後に誰にもみられないように、ビリビリに破いて捨てることになってます笑笑。えぇ!もちろんみんなノリノリです!
あとは、誤字やあきらかな文法ミス以外は一切修正なし!みんなで読み合って楽しく終わるだけ!でも書く力はちゃんとついてくる(受験生の作文は、別に時間を取っていて、構成も文法も教えてます)
作文を学ぶのは、上手な文章を書くとか、キレイな文章を書けるようになるのが目的じゃないと私は思う。
モヤモヤした気持ちを吐き出したり、整理したり、自分を勇気づけたり、悲しい気持ちに寄り添ってくれたり、相手に自分のことを伝えたり。書いている時の自分も、物語の中の人たちも自分のそばにいてくれる応援団になってくれる。
学校の感想文も「つまんなかった」って書いてあっても許してあげて欲しい(感想文でマイナスのこと書くと、書き直しになるそう……なんで?ネガティヴな感想も同じ感想ではなかろうか?)
楽しい気持ちを書いた作文も、つまんない気持ちを書いた作文も同じように大事に受け止めてほしい(書くの嫌いになっちゃうからね)
子どもの心には豊かな世界が広がっていることを、知ってほしい。学校の感想文ってつまんないのは、どう感じるかも決められてて、心が動いたことを自由に書けないからじゃないだろうか。
「雨が降っています」
という一文を広げる作文授業をしたことがある。理由は、みんな枚数が決まっていて、字数稼ぎの文章を書くから。
◯◯と私が考えた理由は、私が◯◯だと考えた理由は、とか中身がないけど枚数稼げるからなんだって。最低枚数と名前書く場所しか教えてもらえないから、こういう書き方でツラツラ書いてます!つまんないって書けないし、先生からいいねって思われる内容しか書けないけど、どう感じたかなんて、思い浮かばないからって。
学校とイフラボをハイブリッドで通う子に、感想文のあれやこれやを教えてもらった。そんなことないよ。たったひとつのことを書くのだっていっぱいいろんなこと書けるよって伝えたかった。1人の子どもが書いたのは、詩だった。雨が降っています、から始まる詩の終わりには
僕の足元には水溜りがあって、
悲しくて涙みたいだった。
でも、上を見上げたら空は明るくて、僕の未来みたいだった。
て、書かれてた。
(ちなみに、イフラボでは感想文書きません。私も楽しくなかった思い出しかないから笑。その代わり自分の推しへの愛を伝える推し作文はやった)
表現することは、大きな力を子どもたちに与えてくれると、私は信じている。そして、子どもたちが紡ぎ出すことばは、その子の未来を明るく照らすものであってほしいと思う。
「作文いやだー」って言ってた子が、作文の概念が変わって「書くの好き」って言って、手を真っ黒にして5枚なんか軽々、10枚書けそう!時間きたけど書いてて良い?って言ってくれる瞬間が幸せすぎて、作文の時間がとても楽しい。