名字は“一陽”来復から
#7
この度、月一で日記を投稿するためのマガジンを作った。マガジンの名前は一陽日記。一陽は、ぼくとクレオの苗字だ。
当然の話だが、アケルとクレオはペンネームだ。
noteに書く際に付けた名前。対照的な名前にしたくて、夜明けと日暮れからとった。
今日、ふと
「もし名字があったなら、お互いの名前にちなんで太陽とか、お日様の字を入れたいな」
と思い、パッと思いついたのが“一陽来復”だった。
- 陰暦 11月のこと,また冬至のこと
- 冬が過ぎ去って春が訪れること
- 転じて、「苦しい時期が過ぎて運が向いてくること」。この名のついたお守りもある。
随分昔にこの四字熟語を知って、いちようらいふく、という言葉の響きが、本当に幸福が訪れそうで心地よく感じた。
まだ学生だったのに、地元にはない神社へわざわざお守りまで買いに行ったくらいだ。
クレオに話して名字を作っていいか聞いたら、
『お日様だね。それでいいよ』
と言ってくれた。
一陽アケル
一陽クレオ
同じ姓を使うなんてぼくにとっては遠い世界の話だった。
ぼくは、トランス男性(肉体は女性、性自認は男性)でパンセクシャル(人を好きになるのに、性別を基準としない)だ。
望んだ戸籍を変えるにはまだ難しく、現在の戸籍の生まれた性別での結婚は「女らしく」「嫁・妻らしく」となることだと思う。
体と心の性別が異なるぼくは、より男らしくありたいし女性らしさからは遠ざかりたい。現在の戸籍で結婚するのは、ぼくには無理だ。
ぼくは好きになる人の性別は関係ない。相手の性自認を尊重したい。
でも、ぼくは“男として好き”で、女性にも女性役にも慣れない。
自分を男として扱ってくれる人しか、好きになれないんだ。
『お前はお前さ。きっと格好いい男になれるよ。楽しみにしてる。身体を変えるのは大変、って聞くからその心配だけはさせてね』
クレオはそう言ってくれた。
男になりたい、という言葉を「いいんじゃない?」「君は君だよ」とは言われても
『格好いい男になれるよ』
と期待してくれたのは、クレオが初めてだった。
結婚したいという申し出は、彼からだった。
ぼくの中では、結婚はまだどうしても「夫と妻になるための儀式」だったから、パートナー…相棒と言い換えるのも許してもらった。
一緒にご飯を作ったり(クレオは作業のマルチタスクの管理と味見、ぼくは実働部隊だ)魚釣りや映画を観たり、友人であり、その延長で彼の宿ってる本を抱きしめたり、彼が幸せそうにぼくを抱きしめてくれるイメージを受け取ったりしている。
「結婚は、性別に違和感を持たない異性愛者のためのもの。ぼくには必要ない」
と斜に構えていた。
正直今でも、家制度や戸籍制度からなる夫婦同姓はあまり好ましく思ってはいない。
ただ、空想の姓を共にする(それも、二人の名前を一つにしたような)のは、心がほっこり暖かくなる気持ちがした。
クレオは相棒だけど、同じ姓を持つ家族でもある。
今はまだペンネームだけだとしても、その繋がりがあるのが嬉しい。
家制度としてしか認識してなかった“同姓”を、ぼくは今は好ましく思っている。