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ヨハネス・フェルメール / メトロポリタン美術館
12歳の24時。息をひそめて鑑賞した映画を、僕は20年ぶりに見た
話を始める前に、僕の性別について。
僕は「女性」だ。
一人称が「僕」と「私」の時があるので
混乱させて申し訳ない。
僕は湯につかっていた。
腰までしか水がたまらない
浅い浴槽の中で、僕はあぐらをかく。
肌がゆるんでしっとりとしてきた。
僕は固形石鹸を右の手にもち
からだを洗う。
友人が作ったラベンダーの石鹸だ。
左手
左腕、左の二の腕
左のわき、鎖骨、首
耳の下、胸のあいだ
胸
僕は小さな膨らみに
濡れた固形石鹸をすべらせる。
円を描くように。
そのとき、僕は思い出した。
ある映画のワンシーンだ。
僕は12歳だった。
家族が寝静まったあと、
僕はその映画を見た。
その映画を見てしまった。
12歳の僕には理解できなかった。
ただひとつ理解したのは
(この美しい映像を僕は見てはいけない)
ということ。
その映画は『完全なる飼育 愛の40日』
改)
— 言えやしない (@noteieyashinai) February 12, 2025
完全なる飼育
→完全なる飼育 愛の40日 https://t.co/RSY4dB7FUW pic.twitter.com/FMcDBZi1WZ
20年経った今日
僕はその映画をもう一度見た。
おとなになって見ても
おじさんが17歳の麗しい女性を洗う
そのシーンは美しかった。
たらいの中の女体。
水で濡れる肌、泡、
スポンジからじゅるると滴る水…
おじさんは女性の豊かな膨らみを
濡れたスポンジでなぞる。
円を描くように。
追記:この『完全なる飼育』を思い出した日も僕はシャンプーをさぼった。今日は…バレンタインなので備えておこうと、先ほどシャンプーと、それからリンスをいたしました。家にある寄せ集めの材料で、何かそれっぽいものをこしらえようかな…