柿渋を仕込みながら
週に一度、まるまる90分の「おさんぽの時間」という授業があります。
通学路の緑道や、地域の神社、公園。
自分たちの足で歩ける範囲をひたすら漂いまわるという、なんとも空っぽで創造的な時間です。
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先日9/7のお散歩は、おとめ座新月。
いろいろな偶然が重なって、一年&三年生の子どもたちと柿渋を仕込むことにしました。
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何名かが木によじ登って柿をもぎ、それを二重の袋に入れて木で叩き潰します。これは主にやんちゃ坊主が担当。
あとは加水して発酵させるのですが、『農家に教わる暮らし術』(農文協)によると、水道水には塩素が含まれているため、お水は川や井戸、雨水などの自然のものを使うといいそうです。
そこで、いつもお散歩へ行く神社の小川で、水を汲んでくることにしました。
やかん2つにペットボトル1本を携えていったのですが、みんなめんどくさがるかと思いきや、意外にも「わたしが運びたい!」「あそこの信号までいったら交代ね!」とノリノリ。
水を持ち帰るときにも、太ももがビシャビシャになりながらも文句一つ言わず、面白がって運んでくれました。「柿渋」というなんだかよくわからないものの仕上がりが楽しみだったからかな?
「昔の人って、力持ちだったんだろうね〜」
そんなことを話しながら歩きました。
ある子は、昔の女の人が米俵を5個も6個も担いでいたり、たらいに数人の子どもを乗せて頭上に担いでいる写真を見たことがあるのだそうです。
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水汲みという昔ながらの営みに、改めて想いを馳せます。
こういう昔ながらの仕事を通して、太古の人たちとつながれる瞬間が好きです。
いまではもう水汲みの必要はなくなってしまいましたが、わたしたちは、その分”浮いた”エネルギーをどこに使っているのでしょうね。
うまく循環させられているといいのですが。
これから毎晩、眠りに着く前に自分に問うてみたいと思います。
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