「育てることの芸術」ってなんだろう#1
わたしの仕事を紹介するにあたり、
「育てることの芸術」に取り組みたい
と書きました。
その意味するところを、これから何度かにわたって、いろんな角度から説明していきたいと思います。
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さて、「育てることの芸術」--このことば自体は、ルドルフ・シュタイナーの人間学からきています。「教育芸術」ということばのほうがよく知られているかもしれませんね。
これは決して「芸術を教える」という意味でも、「子どもたちを自分の作品のように育てる」という意味でもありません。では、どういう意味か。わたしが捉えられる範囲では、二つの意味で「芸術的」な教育法です。
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一つめ。これはイメージしやすいと思いますが、具体的なツールとして、芸術を介した授業をするということです。
その中でも、〈音楽的なもの〉と〈絵画・彫塑的なもの〉という対に分けられます。音やリズムを楽しむ活動(詩の朗唱など言語的なもの含む)と、線を引く・絵を描く・かたちづくる活動。〈響き〉に訴えるものと〈イメージ〉に訴えるもの、とも言えそうです。
これは、単に音楽や絵画を教えるという意味でもなく、あくまで、アプローチの方法として〈音楽的なもの〉や〈絵画・彫塑的なもの〉を用いる。読み書きや計算、地理を教えようとするときにも、その両側からアプローチしていくということです。
たとえば、国語的な内容においては、
・リズムや音の響きに意を向けながら詩を朗唱する
・絵(イメージ)を描くことで文字を習う
算数的な内容においては、
・リズムで遊ぶことによって体感的に数と親しくなる
・イメージ豊かな物語に沿って計算の練習をすすめる
こんな風になっていきます。
基本的には、ひとつの授業の中で、その両極をバランスよく行き来できるようにしていきます。そのように「呼吸」を整えてあげることが、小・中学時代の子どもには必要と考えるからです。(「呼吸」についてもいろんな観点から説明できるので、また別の機会に)
これを可能にするためにも、教師はさまざまな芸術表現と親しくなっておく必要があります。
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二つめ。これは、そもそも芸術って何?という話にもなりそうで、説明が難しいのですが・・・
授業でどんなことをするのか、目の前の子どもたちにどう関わっていくのか。それをあみ出していくプロセスに「芸術性」を求めるということです。
ややスピリチュアルな話になりますが、物理的には知覚できない「精神の世界」があるとします。よく、ひらめきや天啓が「降りてくる」と言いますが、そのように「精神の世界」から及んでくるものを受け取り、消化し、〈表現〉のかたちにして(知覚可能な)この世へと降ろしていく。そのような意味での「芸術性」です。言うなれば、教える・育てる仕事も「精神の世界」との協働作業。
(実際、「降りてくる」の感覚は、必ずしもドラマチックなものばかりではなく、ささやかなひらめきであり、ふとしたものであることが多いです。しこたま考えてもわからなかった答えが、一晩寝かせることで、あるいは思い切って忘れることで、ふとした瞬間に「分かる」というようなこと。みなさんにもきっと経験があると思います。)
ここまでくると、一体、「芸術的」にあみ出す力とやらはどのように身につくのか?という問いが出てきますが、シュタイナー先生はこう言っています。
「人間とは何か」を学び、ものにしていくこと。そのことが、おのずとあみ出す力をもたらしてくれる。何かの理論やガイドブックを参照することによってではない。
「人間とは何か」を学ぶ。文字にすると簡単ですが、ものすご〜く深みのあるテーマですね。時間をかけて、リアルな体験をともなって取り組んでいきたいです。
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以上、実力の及ぶ限りに、かみ砕いてみました。
この記事を書くにあたり、参考にしたのがこちらの本です。
実際的なことを知りたい方は、ぜひ、お手にとってみてください。
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