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86を見て自分満足の善意に苦しくなった

前置き。『86 エイティシックス』についてネタバレを含みます。あらすじは割愛します。今年の夏にアニメを一気見しただけでそこまで詳しくないですが、一番心に残った作品なので思ったこと書きたいなって思います。ちょこっとですが…。


今日、社会学の授業でスティグマについての講義を受けてきました。その前にもラベリング理論の話とかも聞いてて、この2つって似ているなって感じたんですけど。周囲とは異なる特徴(身体的な障がいなど)はスティグマの本質ではなくて、スティグマとなる特徴を持つ人が、他者の善意によって「弱いもの」「手を貸してあげなければならないもの」 という烙印を押されることでスティグマになってしまう…ということを学んだんですけど(素人なので解釈間違ってるかもしれません、大目に見てください)。例として、特に日常生活に困ってない車椅子のアスリートが、少し貧弱そうな人にそのような烙印を押されて手伝われるんですけどアスリート本人は1人でなんでもできるから居心地が悪くなってる…という例があがってました。

授業の要約へたっぴですみません…

これ聞いたときに、もう5ヶ月も前に見たアニメ・86(エイティシックス)を思い出しました。シンたち5人はギアーテ連邦で保護された後、一定期間戦場ではない所謂「普通」の生活を送るんですが、やはりみんなだんだんとその生活に満たされなさを感じたのか「戦場に戻りたい」って言うんですね。
86の中で印象に残るようなシーンは他にもたくさんあるのですが、私が一番衝撃を受けた台詞がこれでした。
最初は、理解できませんでした。この場面に至るまでティッシュ半箱使うくらい号泣しながら見ていて(ガチ)、ほんとにシンたちには幸せになってほしいって思ってたんですよ。命の危険なんて感じなくてもいい、未来の夢の話ができる生活を送ってほしいなって切に願ってて、ギアーテ連邦での生活なんてチャンスじゃないですか!やっと苦しまなくて済むよ、良かったね…ここまで生きててくれてありがとうねってほんとに思ってました。
連邦の中には、シンたちが共和国で86として迫害を受けて、ほぼ虐殺のような酷い生活を受けていたことに怒り、差別からの解放などを訴えるデモも見られました。私がもしあの場にいたら、身分関係なくデモに参加してたと思います。シンたちが近くにいたらもう戦わなくていいんだよ、守ったげるからねって笑顔で声をかけていたと思います。

でも彼らは戦場を選んだ。それに私はショックを受けたし、ショックを受けた自分にもショックを受けました。
戦場で生きること・戦うことで生を見出すことというシンたちが育った環境の中で当たり前であったものやシンたちの立場や決意、覚悟を私は「弱さ故のもの」「救ってあげなければならないもの」だと勝手に決めつけて彼らのことを無意識に踏みにじっていたんだなと感じました。彼らのための善意は、自己満足でしかなく、なんなら彼らを傷つけるものだったのではないか。彼らの気持ちなど直接聞きもしないで勝手に解釈して自分のために善意を振りかざしていたのかと、苦しくなりました。救いたい気持ちは確かにあるのに、何もできないどころかマイナスの方向に進んでしまう自分にもどかしさを感じました。

というかそもそも、今思えば、シンたちは別に助けなんて求めてなかったのかなと思います。それは、今までにそのような選択肢がなかったからかもしれませんが、助けなどなくてもシンたちは最初から戦い抜くつもりだったなと思います。
だからレーナとそのお友達はすごいなと思います。助けがなくても大丈夫なことは分かってるけど、助けがあったほうが良い方向に進むのも確かです。何をしたら彼らと共に歩めるのか分からないし、自分には何もできないかもしれないと打ちのめされても、結果的には「自分のために」彼らに対して行動した姿がかっこいいなと思いました。

86とは少しずれますが、冒頭の授業を受けてシンたちのことを考えた後に、私の善意が人を傷つけてるかもしれないと考えて怖くなったんです。それで、電車で座ってる時のことを思い出して。できる限り近くに子供や高齢の方がいたら席を譲るようにしてるんですけど、それも私が勝手に譲る対象だって考えた、決めつけからくる行為なんじゃないかと思って。何を言ってんだって話ですよ、でもほんとに、怖くなりました。

2段落ほど前に、ショックを受けた自分にショックを受けたって言いましたけど、これは、自分の善意は、自分の思うような結果になること(この場合、シンたちが戦場から離れてそのまま連邦での生活を続け幸せになること)を強制したようなそんな不純なものであったことを自覚して、上っ面だけの善意を自慢げに持ってた自分に失望した感じに近いです。自分のための善意しか持てないことに苦しくなりました。

私は、自分の善意が自分可愛さからきていることを自覚しているつもりです。善良な自分を認めてほしいから善行してます。でも結局は、「やらないよりやる偽善」と言う言葉もありますし、傷つけてしまうことを躊躇って行動しなかったら、多分ずっと後悔するなって思うから、これからもたくさん善く行動する人間になろうという思いで落ち着いています。私の好きなヒロアカの台詞で「余計なお世話をするのがヒーローだ!(意訳)」というのもありますからね。とりあえず、私の目標である、好きな漫画(アニメ)キャラ達の隣を胸張って歩けるようになることは変わりないので恥ずかしくないように生きていこうと思います。

余談ですが、最近たくさん人に救われてます。二次元然り三次元然り。恵まれてます。ありがとう。

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