世界のBTSが羽ばたくときに(秋元氏とのコラボ中止から国連スピーチまで、ひとりのARMYが思うこと)
私の大好きな“BTS”が国連総会でスピーチをするらしい。
10代から20代の若者を対象とした投資と機会を拡大しようという趣旨で設けられた国連の新しいグローバル・パートナーシッププロググラムとしてユニセフが行うイベントに参加するそうだ。(※参考記事)
Kpopアーティストで初めての快挙がまた一つ増えた。すごいことだ。
世界に注目される舞台に立つことになった今、先日の秋元康さんとのコラボで話題になった、日本オリジナル曲の発売中止という決定は得策だったのかもしれない。
名前も知らない人たちが、色々なことをもっともなように語る。
ある人は、事務所の方針をくつがえすファンダムの異常さを嘆き、ある人はこれで良かったのだとくり返す。
まだそのニュースが飛び込んで来たばかりの頃、果たしてものごとは、私たちが見ているものがすべてなのだろうか…と考えた。
憶測でしかないけれど、きっと大きな代償を払ってでもファンの声を聞き、事務所側が折れた件と、この度の国連のニュースはつながっているのかもしれない。
何か得体の知れない大きな渦の中に、私の大好きな、かわいくてかっこいい7人の男の子たちが飲み込まれていくみたいだ。
これからどうなっていくのか、何と引き換えに何を手に入れたのか、ただのARMYであるイチファンの見解を、ここでもっともなようにつらつらと語ることになんの意味があるのだろう。私たちはファンだ。専門家じゃない。評論家でも事務所のスタッフでもなんでもない。どこへ向かおうとも、見守っていくしかないし、気に入らなければそっと去るしかないのだと私は思う。
多くのファンの願いは、彼らを世界的アーティストにすることや時代や平和のアイコンにすることではなく、ただ彼らがいつでも幸福な時間を過ごしてほしいということなんじゃないだろうか。
これから日本での活動において、もしかすると韓国の活動についても、ペナルティを受けるのかもしれない。楽曲提供してくれた日本の大物を敵に回し、決定事項をファンダムの声で覆した事務所の決定の代償は大きい。
だけど、そんなことは事務所だって分かっているだろう。私たちが心配しなくても、誰よりメンバーのこと考えているのではないだろうか…。
殺人的なスケジュールを共にこなす運命共同体なのだ。私たちが見せられているのは、ほんの表面の部分だけだろう。
それなのに、すべてを分かったかのように語り、誰かを責めたり、これが正しかったのだと、どうして断言出来るのだろう。
最も恐ろしいと思うのは、事務所のバカな決定を覆し、私たちがBTSを守ってあげたのだと、誇らしげな顔をしている一部のファンだ。
自分の作り上げた理想からはみ出すことが許せず、偏った面からだけ物事を判断し、政治だとか思想だとか色々な理由をつけて自分を正当化する。そして純粋に曲を聴いてみたかったという意見に対してあれこれと理屈を並べて浅はかな考えだと嘲笑う。
意見が分断する出来事が起きたとき、多様性を謳うのに、自分と異なる考えの人を決して受け入れず、もの言えない雰囲気が作られるのはどうしてだろう。
選ばれた選択がいくら正しくても、正しさだけでは救われないのが人の感情なのではないだろうか。いくら間違っているとしても、誰かの薄っぺらい愚かな優しさに慰められる人がこの世界にはいるはずなのに、正しさだけ突きつけられたら悲しみの逃げ場がない。
きっとBTSは近い未来、グラミー賞を獲るのかもしれない。
大きくなればなるほど、足元をすくおうと狙う人は増える。ほんの些細な発言を、反日だとか、偏見を持っているとかこじつけてくる社会だ。
その時、足を引っ張られることがないよう、ファンダムが彼らを守ったのだ。
Me too運動が盛んなこの時代に、国や人種を超えて人は平等なのだと謳うこの時代に、あんなコラボはなくてよかった………本当にそうだろうか。
『大きな目的を達成するためには、小さな犠牲のひとつやふたつ……』
ドラマに出てきた悪者のセリフが、皮肉にもこの度の騒動に当てはまる気がしてならない。
一つの作品を世の中に発表する前にどれだけの準備と努力をするのか、想像したことがあるだろうか。どんな曲でも、愛せるように掘り下げて、一つ一つの言葉やフレーズの歌い方を練習する。まして外国語の曲を準備してくれていたのだ。日本語特有の情緒を想像し、噛み締めて、聴き取りやすい発音になるよう努力してくれていただろう。プロだから当たり前だなんて、私は大好きな人の努力の前に、そんなことはとても言えない。
聴いて欲しかっただろう。聴かせたかっただろう。
ファンの喜ぶ顔を想像して真心を込めてがんばっていただろう。
だけどそれは、
世界のBTSでいるために、よくないことだったみたいだ。
正解は分からない。
だけど、私は忘れたくない。
あの日のコンサートでナムジュンが口にした皮肉めいた言葉を。
それはただの思い込みだったとしても会場の人たちが泣いているのかと思ったというテヒョンくんの仕草を。
ジョングクが「あの曲はちゃんと存在してたんだ」と訴えるかのようにおどけながら見せた、鳥が羽ばたくようなそのダンスを。
私は忘れたくない。
政治も女性軽視も分からず、
ただ純粋に新しい曲を楽しみにしていた子たちがいる。
学校へ出かける前に観た朝の情報番組で、いつも最高を更新してくれる、大好きなアイドルが語った「とてもカッコイイ曲が出来ました」という言葉に胸をおどらせた一日を。
新曲の入ったCDを、
おこづかいを貯めて買おうと楽しみにしていた子たちの、
明日の楽しみがなくなってしまったことを。
追記:
ここに記したものは当時の一個人の所感です。
時間が経ち、考えの変わった部分もありますが当時の記録としてそのまま残しています。
この一件から始まった当時の色々な問題について興味のある方は、私の感想だけで判断するのではなく、ぜひさまざまな意見を探してみてください。
下記のnoteにて、とても詳しくフラットな視点でまとめてくださっていますのでリンクを貼らせて頂きます。ぜひご覧ください。(2021.8.16)
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