アイドルと日々(人それぞれのしあわせ)
“幸せ”な人とはどういう人を指すのだろう?
男らしく良い仕事をしてたくさんお金を稼ぐこと、女らしく素敵な人を見つけ結婚し子供を育て家庭を守ること…。
豪邸に住むことはなくても、たとえ欲しいものをなんでも買える油田を持っていなくても、温かな家庭を築き、人並みにおだやかな暮らしができるなら、それが人の幸せだろうか?
人生ゲームのコマを進めるようにプラスチックの車の中にピンクや青色の人型を増やしていけば、それで心は満たされるのだろうか?
〇〇らしくなんてクソ食らえだ。
そんなものはビリビリに破ってゴミ箱に捨ててしまいたい。
そんな風に誰かが作った人並みの幸せに従えない私は、不幸でかわいそうなのだろうか…?
この世界には確かに、誰かと一緒じゃなきゃ味わえない喜びがある。
もたれあった肩と肩の温度に安心感を覚えたり、繋いだ手の湿り気に相手の緊張を感じてドキドキしたり、自分とは違う、不思議な他人の感触の中にしか見出せない幸せがある。
誰も自分を知らない場所に逃げてしまいたいと思ったことはあるだろうか?
もし誰もいない無人島に降り立ったとして、きっと多くの人がいつか自分ではない人間と言葉を交わせる日を夢見るだろう。よく分からない他人の温もりを欲して心細くなるだろう。
人はどんなにそれを望んでも一人ぼっちにはなれない。
スピッツが言ってたみたいに、愛はコンビニでも買えてしまうのだ。どんなに一人ぼっちでも、自分の為に、誰かのために、たくさんの人たちが働き、まわる世界で、今日もたくさんのものが溢れ、その愛のはしくれに触れてしまう。帰宅が遅くなった日に立ち寄ると必ずレジで声をかけてくれるおばちゃんがいる。
人は嫌でも人と繋がっていて、その中でしか味わえないものが確かにある。
だから、オタクでいることは恥ずかしいことなのかもしれない。
アニメのキャラクターや手の届かないアイドルに憧れて、疑似恋愛のようなことを楽しみ、そこに幸福を求める状態はとても悲しくみえるだろう。
孤独だと思うだろう。
オタクになりやすい人は〇〇だ…とか、オタクは高確率でコミュ障に違いないとか、ダサいジーンズを履いて無個性なチェック柄のシャツを着ているとか、何時代なのか分からない古から伝わる偏見により、多くのオタクたちは、きっと自分が何かにのめり込んでいることを恥ずかしいとさえ思うのかもしれない。
自分の中の聖域を汚されないように、自分だけの宝物をガラクタ呼ばわりされないように、大切にしまいこんでこっそりと秘密の愛を育てているのかもしれない。
しかしながら私はKPOPアイドルを好きになって以来、とても幸せだ。
そして自己肯定感がつよいので、自分を遠慮なく持ち上げるけど、私はダサくない。むしろおしゃれな部類に入るだろう。仕事もそこそこできるしフットワークも軽く、あらゆる現実世界のイベントにマメだ。友達100人というタイプではないけど、第一印象で嫌われたことはなく高確率で好かれる。古から伝わるイメージには当てはまらないはずだ。
そしてこのことは私に限ったことではない。
ライブ会場で見かけるファンたちは男の子も女の子もそれぞれ思い思いのファッションに身を包み、きれいにメイクをして、推しに会う瞬間を心待ちにする。その姿は、まるでキラキラとした粉を周囲に撒き散らしているかのようにかわいいオーラを放っているのだ。
暗くてコミュ障でダサい…という凝り固まった太古の時代のイメージは彼女たちの姿からは到底想像できない。趣味もなく、なりたい自分のイメージもないまま無個性に生きていた頃より、きっと彼女たちは輝いているだろう。
“ダサい”ということについては人それぞれの美的センスが違うのでとても曖昧なものだけど、少なくとも誰かのためにきれいになりたいと、日々自分を磨き続ける彼女たちのマインドはとてもとても美しいものだと思う。
誰かと一緒じゃなきゃ味わえない幸せはあるけれど、誰かといたって孤独が消えるわけではない。自分を大切にしてくれる人と一緒にいれたならそれは幸せだけど、もしそうじゃないのなら、一人だと思われることが、誰にも選ばれなかった人だと思われることが恥ずかしくて、愛のない関係をキープするのなら、そんな悲しいことはない。思えばそういったものを手放した時、私は魔法のようなときめきに出会ったのだった。
私はBTSのオタクだ。BTSのファンにはARMYという名称がついている。
ふと興味が湧いて、私以外のARMYたちがどうやって彼らを見つけ、どのようにARMYになったのか「マシュマロ」という匿名のサービスを通して教えてもらった。当初5件くらい集まればいいなと期待して問いかけてみたけれど、予想以上にたくさんの方たちがとてもすてきなそれぞれの物語を聞かせてくれた。
素直な言葉で語られた熱のこもったメッセージたちは、それぞれの中に大切にしてきた思い出を感じてどれもとてもすばらしいものだった。
ある人は友達の紹介で、ある人はテレビを観て、ある人は高校の文化祭でカバーダンスをみたことをきっかけに彼らの様々なコンテンツに触れ、唯一無二のダンスやパフォーマンスにかける熱量、楽曲のメッセージ性、7人の仲の良さやそれぞれの個性に惹かれてずぶずぶとその沼にはまり込んでいったという。
私たちARMYはさまざまだ。
2、30代の比較的自由に時間を使える世代の他にも、中高生に主婦に、ライブ会場では娘と来たであろうお父さんや、おばあちゃん世代の人も見かけたことがある。
みんな生きて来た時間や歴史や価値観や、それぞれが抱える日々の悩みはさまざまだ。だけど一見すると相容れない存在である私たちは共通して、7人の男の子たちを愛している。
BTSのドキュメンタリー映画でのインタビューに答えた海外のARMYがこんな話をしていた。
結婚して以来、〇〇の奥さんや〇〇のお母さんでいることに慣れ、自分自身の望みを忘れてしまっていたけれど、BTSと出会い、彼らのメッセージに触れ、自分自身として生きることを思い出したと。
きっとみんなそうだろう。
親や友人や上司や、どこかの誰かに好かれる自分でいるために、“普通”でいることを重要視し、いつの間にか本当の自分の望みを失っていた私たちは、“自分を愛すること”について考えるようになったのだ。
彼ら自身も自分を愛するということがどんなことなのか…その答えは出せていないのだと話すように、時に間違え悩みもがき目の前のことに全力で打ち込みながら、日々成長していく7人の姿に私たちは自分を重ねる。
今の私はどうだろう?今日という1日をちゃんと生きることができただろうか?
感情のままに嫌な言葉を誰かにぶつけてしまわなかったか…。こんな時、大好きな7人ならどうするだろう?…そんな風にして私たちは彼らから受けとった多くのありあまる愛と勇気をたくわえる。
彼らの読んでいた本や映画を観ては、自分の触れてこなかった新しい世界に触れ、知らなかった国の歴史や言葉に興味を持ち学び始める。
どこの国やどんな家柄に生まれ、どんな人生を歩んで来たのかに関係なく、ただ好きな人たちに恥ずかしくない自分でいたいと私たちは自分を磨き続ける。
心が震えたとき、彼らならどう感じるだろう?と愛しい人たちの顔を思い出し、美しい風景に触れたら、いつか見せてあげたいと願う。
そしてこのささやかな祈りは一方通行ではない。
あるメンバーはニュージーランドの満天の星空を見て、私たちに見せてあげたいと話し、また別のメンバーはその思い出を歌の中につめこんで届けてくれる。
ゲームをしたり、散歩に行った公園の景色や自分の家の犬の写真や、ささやかな日常を見せてくれる。「あーみー会いたいよ」というメッセージを添えて…。
会いたいと思える人が、会いたいと思ってくれる人がいるということはとても幸せだ。
私たちは互いの温度を感じることはなくても想い合うだけでとてもとても幸せだ。いつかは抜け出さなくてはいけない夢の中にいるのかもしれない。だけど、できるだけずっと長くみんなと一緒にいたいのだと甘い言葉を言われると、いとも簡単に信用して、その気持ちに答えてあげたいと思う。
「Whalien 52」という歌がある。
52Hzという仲間のクジラたちにさえ届かない声で鳴き、今もこの世界のどこかを泳いでいるクジラの歌だ。
7人のメンバーは今でこそとても仲が良いけれど、昔はたくさん喧嘩もしたという。どんなことでぶつかったのか傲慢にも容易に想像できるほど、7人はそれぞれ、良くも悪くもみんなどこか変わっている。
だからこの、誰にも聴こえない声で鳴くクジラは7人の話だった。
そしてその声をキャッチした私たちもまた、誰にも理解されない部分を抱えて生きて来たのだろう。ある人は群れからはぐれ、ある人は本当の自分を隠し“普通”を装って。
そしてWhalienたちは、あまりにも広くなったコンサート会場を埋めつくす無数の光になった。
時にいがみ合い、自分とはまるで異なる生き物に驚き蔑むことがあったとしても、ペンライトの光に包まれ、同じ人たちに愛を投げるその時だけは、無数の光の全てがとてもとても大切な一粒一粒の美しい瞬きに見える。
彼らはその光の中でとびきりの笑顔で笑い、時に大粒の涙を流す。
愛おしいものを見るまなざしをたくさんのARMYたちに向けて。
あの眼差しの美しさやあの場所に流れる多幸感は、世界中で私たちしか知らない。
そして別のオタクの世界にも、私が知ることのない幸せな時間が必ずあるだろう。
先の見えない世界で、また会える日を夢見て、自分を磨き、良い人間になりたいと願う。この理解されない幸福は、ささやかで偉大な原動力をくれる。
不安に襲われ飲み込まれそうな時代に、明るく乗り越えていける強さをくれる。
なにか一つでも夢中になれるものを見つけた人は幸せだ。
盲目的に信頼できるものを持っている人は、どんなにバカげていると思われようと幸せだ。
私たちはたとえ真っ暗な世界の中でも特別な星を見つけることができるのだ。
だからきっと、そのうちやってくる未来は明るい未来だろう。
私たちの人生ゲームの車には、たとえ目には見えなくても
7色のコマがぎゅうぎゅうに身を寄せ合い、
あふれる愛が積みこまれている。
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
このnoteを書くにあたり、BTSとの思い出についてたくさんの投稿をいただきました。どれもとてもすてきなお話ばかりです。きっとあたたかな気持ちになれますのでぜひご一読ください。
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