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斜めから恋をしている人たちへ


リアコ…。

リアコとは「リアルに恋をしている」の略。
アイドルや俳優など、芸能人に対して恋愛感情を持っていることを指す。
(https://numan.tokyo/words/OWIlN)


アイドルや俳優など手の届かない人に対して恋愛感情を持つなんて、なんて滑稽だろう。
自分でもそう思う。
だけど私は彼を初めて見たその瞬間から、ゆんぎのリアコだ。
今やその人気は世界クラスとなったBTSのSUGA(ユンギ)は、クールな見た目と孤高のタンテクノロジー*を持ち、はっきりとした物の考え方や言葉にした目標を必ず叶え、あらゆる道を切り拓いてきたそのたくましさから、時にツイッターなどで「ゆんぎさん尊すぎて“さん”づけしないやつマジなんなんや…」みたいなことを言われている。
分かる。尊い。でも私の方が歳上だし、“さん”づけなんてしたらその途端彼氏感がなくなっていけない。
だから私は世間の大多数がそんなことを言う日が来たとしても、たっぷりと愛情をもって呼び捨てにするし私の宇宙一かっこいい彼をじじい呼ばわりする奴は即刻ブロックだ。
(※ユンギ=BTSのSUGAはなぜか“おじいさん”というあだ名で呼ばれたりすることがあるけれど全然分からない。どこからどう見てもかっこいい。どう見ても全人類のリアコ枠。)

“リアコ”という言葉を使い始めたであろう女子中高生がどういった感覚なのかはわからない。もしかして。いつか、ひょっとしたら…と夢を見ているのが正しいソレなのかもしれないけれど、そんなかわいい夢を見ていられるほど純粋な心はどこかに忘れて来てしまった。
悲しいほどに現実は見えている。一生交わることのない世界線だってことはわかっている。むしろどうにかなろうなんて一ミリも考えたことはない。付き合いたいとか、いつか結婚したいな…とか、そういうことではないのだ。現実は現実、夢は夢だ。だけど、握手会でその手の感触や温度を知ってしまったときは、嬉しさとドキドキの片隅に、ほんのり虚しさを感じた。それがリアコだ。苦しい。


そんな私でも、いつか彼がおじさんになった時、ひとりぼっちだったら悲しい。
“そんな君と一緒に 俺たちの未来を描いてみる
俺たちのカップルシューズの間に幼い運動靴 ”………
*

もしも彼が一生孤独だったら、この歌の彼のパートを思い出しては泣いてしまうだろう。
この詩がビジネスではなく本当の理想だったらどうしよう…。
幸せになってほしいのに…。
そう思って悲しくなるだろう。
したいことをして、たくさんの素敵な人と出会って、良い経験を積み重ねて、今以上にもっともっとキラキラと輝いてほしい。私たちにバレないように上手く隠れていてくれたら、私たちだけに「愛してる」の言葉をくれるポーズをいつまでもとっていてくれたら、それでいい。
でも嫌だ。知らないところで知らない女といるだけで嫌だ。嫌すぎて、、、彼が控え室のソファでくつろいでいる時に隣に座り、靴を脱いで楽しそうにベラベラ話していた女のスタッフは誰だ?私たちの大切な男の子たちの隣で靴を脱いでくつろぐなんていい根性してんじゃん…。マネージャーのセジンさんを見なよ。カメラに映らないようにさりげなく移動したのにあなたは何を堂々とくつろいでんの?…とか小姑のようなことを思ってしまう。
ジミンくんホールジーは良い子だけどちょっとそのハグは天真爛漫すぎない?おいRM氏、上目遣いされてうれしそうに笑わないでくれる?
こんな風に些細なスキンシップでさえ気になって仕方がない。私たちに見せない顔を特定の女だけに見せる瞬間なんて想像もしたくないのだ。一生孤独でいてほしい。でもいつかは幸せになってほしい。
めちゃくちゃ矛盾しているけれど、どっちも本気で思っている。


昔好きだった人を休日のショッピングモールで見かけたことがある。
隣を歩いていた女性はベビーカーを押していて、私みたいな系統の服装で、私みたいな雰囲気の顔立ちで、私より落ち着いていて少しきれいな人だった。
私はその時友達といたんだろうか?それともデート中だったんだろうか?例え隣にいたのが男性だったとしても、その時私は、とてもとても傷ついた。
自分に特定の恋愛対象がいてもいなくても関係ない。ほんのひとときでも恋をした人が別の誰かと幸せそうにしているという状態は、なんだかとてもおもしろくなかった。
リアコでいることで生まれる矛盾だらけの感情は、あの時の気持ちとよく似ている気がする。
ずっとずっと私のことだけ大好きで、ずっとずっとつきまとわれたら怖いけど、私じゃダメだったのに、どうしてその人が良かったのかと思うとなんだか自分に腹立たしい。生涯一緒にいるかもしれない彼女は、私がやってあげられなかったたくさんのことを彼にしてあげられるのかと思ったら絶望的な気持ちになる。


私はできなかったけど、
さみしい夜に黙って隣にいることができる。
さみしい夜にその愛おしい温度に頼ることができる。
外では見せないような無愛想な態度にイラつくことができるし、くだらない冗談を言い合っては、ふつうの思い出を重ねていくことができる。私にはもう永遠に叶えられないけど。

現実の世界ではそっと蓋を閉じて、仕方のないことだと処理できる感情なのに、リアコの世界では、そのことがどうしようもなく悲しくて嫉妬に溺れそうになるのだ。



最近私たちの大好きな男の子たちの周りが騒がしい。
有名になるほど、人気が出れば出るほど、足を引っ張ろうとする人たちに狙われやすくなる。
大きな魅力は時に不幸な誰かの感情をえぐるからだろう。
そして根も葉もない噂が蔓延し、その度にあまりにも不確かな情報に踊らされるのだ。
不確かなニュースや噂に対して、不安だと思うこと自体、愚かだと思う人もいるだろう。信じてあげられないのなら、その“好きという気持ちは偽物”だとか言うのかもしれない。

だけど、

信じていないわけがないのだ。
むしろ推しに熱愛騒動が出たというのにウェルカムな態度をとっている人は正気か?とさえ思う。
少し話は違うけど、〇〇と〇〇って雰囲気合うからコラボしてほしい〜絶対お似合いだし!みたいな発言もウソだろ?としか思えない。
信じていないわけがないけど、例えビジネスの関係だったとしても芸術を通して心を通わせてしまうなんてTOPオブ無理だ。

どちらのタイプがホンモノの推しへの愛をもっているのかどうか比べるなんてバカみたいだけど、リアコという感情を知っている人とそうでない人の間には、深い深い溝があるのだろう。だからどうか、お互いの感情を押し付け合うことなく干渉し合わない世界であってほしい。


そして熱愛騒動が起きた時、リアコをこじらせ喚き悲しみ、暴言を吐くことしかできない人がいたなら、その人たちは自分の想いが強すぎて、悲しくも嫉妬と不安に飲み込まれてしまった人たちだろう。
推しへ暴言を吐き、故意に傷つけようとする行為は論外だけど、推しだけを過剰に擁護し、あらゆる想像力を駆使して相手の女性をヘイトする人たちもまた、同じように嫉妬と不安に飲み込まれているのではないだろうか。

大半のリアコの場合は、理性でブレーキをかけられる。
やだ。なんで?嘘でしょ?と戸惑いながらも、ハグとかデコピンとかふざけんなよ…そう言ってしまう前に、冷静にあらゆる可能性を考える。この写真は偽物かもしれない。いや、そもそもプライベートなんだから、私たちが口出しすることじゃないし…。
色々な理由をつけて私たちは最大限の理解を示そうと努力する。だって私たちの世界線は交わらないのだから、大人のふりして乗り切るしかないじゃない。
この圧倒的な悲しみと虚しさは、同じ温度で好きでいるもの同士にしか分からないだろう。どうぞ愚かな人たちだと笑ってくれてかまわない。


昨今、私たちを騒がせた
“ジョングク反抗期問題”がある。
私は彼のリアコではないので、これは私の戯言だけど、

あの騒動が黒だったのか白だったのかは分からない。盗撮された写真に写っていたのが本人だったのか、ハグはしたのか…真実を知ることはむずかしい。
ほんの少しの埃で吊るし上げることが出来てしまう世界だし、権力があれば、不都合な真実を握りつぶしてしまえる世界だ。
だけど、熱愛騒動を否定した直後、旅を終えて空港に現れたジョングクの態度から想像すると、白だったんじゃないかと思っている。

偶然かもしれないけれど、噂になった女性にまつわるタトゥーを入れたのではないかと一部ファンに心配されていた、問題の文字の入った手をずっとポケットに入れていたのは、事務所の人に言われたからだろうか?少なくとも指示をされていたなら騒動になったことは知っているだろう。
もし後ろめたいことがあるなら、誠実なグクのことだから、あんな風にガムをクッチャクッチャと噛みながら颯爽と歩いたりはしない気がする。
そしていつでも愛想よく、甘い甘い笑顔を振りまくはずのそのかわいい笑顔の中に、いつもの“甘さ”が感じられなかった。これは妄想だけど、いつか記者会見で意地悪な質問をしてきた記者に見せたあの笑顔と似ていた気がする。俺は何も悪いことしてないぜ?とでも言っているかのような反抗期の笑顔だ。萌える。

しかし、親密度は分からないけれど、騒動に巻き込まれた女性がグクの友人であることは確かなのだろう。
からし色の制服を着てプクプクとした頬で、笑うと二重がなくなる、かわいいウサギのような丸い目を持つ男の子だったグクに、ごりごりにタトゥーの入った人たちとの交流があったことは事実だ。タトゥーについてマイナスな意見を多く見かけたけれど、彼女たちが悪人かどうかなんてそれだけで判断できるわけがない。だけど(私は彼女のスタイルをすてきだと思ったけれど)きっと驚いた人もいたと思う。

私も一瞬「おっ」と思ったけれど、思い返せばグクがBighitを選んだのは、Bighitという小さな事務所に、ラップモンスターがいたからだ。他にも声をかけられていたといつか話していたように、大手事務所のアイドルにだってなれただろうにわざわざBighitに入ったのは、当時今の姿とは違ってゴリゴリにとんがっていたキムナムジュン少年を幼いジョングクが「かっこいい!」と思ったからだ。
そんなグクがタトゥーアーティストの彼女に興味や尊敬を抱いてもおかしくはないような気がした。
その女性の彫った作品や下書きの絵は、とてもとても繊細な線ですごく美しいと思った。絵を描くことが得意なジョングクにとって、彼女の才能や仕事をする姿は、恋愛感情を抜きにしても、とても刺激的でカッコよく映ったのではないだろうか。


とはいえ、例え付き合っていなくても、好きになっていたらそれだけでいやだ。
だけど人の心の中の出来事の真相は、きっと永遠に分からないし、私たちただのファンはそれぞれの中で決着をつけるしかないことだけど、最近、彼がとてもとても大人の色気を放ちはじめたことに目を背けることは出来ない。
噂になった女性とは実はそんなに親しい仲ではないのかもしれないし、まったく関係のないところで何か変化があったのかもしれない。確実に変わったことは分かるのに、悲しいことに、私たちはその謎の答えを今すぐ知ることはできない。

だけどもし仮に彼が誰かに恋をしたとして、ファンたちが好まないかもしれないタイプの、新しい友人が出来ていたとして、別の世界線を思い知らされ、悲しみ打ちひしがれるしかないなんて…そんなことはない。


もし仮に付き合っていたとしても、その絆はいつかあっけなく終わるんじゃないだろうか。
私たちの世界がそうであるように、些細なことで気持ちが冷めて、そのうち相手の足音さえも疎ましくなったり、恋する気持ちは、あっけなく冷めてしまうだろう。
現実に恋をしてしまったら、終わるのだ。

そして私たちの恋は冷めにくい。
これから出会うかもしれない恋人が知らないことを、私たちはたくさんたくさん知っている。
あらゆる情報を知り尽くし、たくさんの時を共に過ごして、私たちは心と心で繋がっている。


まるで世界を救いに現れたかのように“人はみんな平等だ”と、“ありのままの自分を愛そう”と謳う、すばらしい考えを持つ尊い存在である彼らは、私たちリアコにとってはもっと身近な、毎日のように会い、今日一日がんばった泥だらけの心を洗い流してくれる、ともだちであり恋人なのだ。

ズボンがずれて上手くいかなかったと泣いていたことも、些細な一言にむすっとして無口になった瞬間も、もちもちだった頃から変わらない癖を、たくさんの光に包まれて大きなくりくりの瞳からこぼれ落ちた涙の透明な色を…
もしこの先、恋が冷めることなくずっと愛していける人に出会ったとしても、彼らの歌に込められた心の声やカフェに綴られた手紙のあたたかさも、きっとその人たちには一生味わうことはできないだろう。

アイドルは偶像だ。
彼らがなりたい理想像に恋をした私たちは彼らのいちばんの理解者になれるはずだ。時に、はみ出してしまった本当の姿を愛してしまいながら、見て見ぬふりをして…いつまでもずっと恋愛ごっこをしていられる。
“Cause its all fake love”?  * 
上等だ。
狂っていると笑われても、かわいそうな目で見られようとも、この歪んだ恋は、私たちにたくさんのパワーをくれるから。


最近ついに自分よりひとまわりも歳下のアイドルを“推す”という状態を経験してしまっているのだけれど、彼らと近い年齢のファンたちが時々羨ましくなる。
私はもう、彼らのリアコにはなれないから。
あの虚しくもとびきりのときめきがあれば、もっとずっと楽しいのにな…そんな風に思って、とてもとても羨ましい。
そう思うとリアコという状態はとてもとても貴重だ。それぞれが人生の中で必要とした時に出会える、数少ないとくべつな縁だ。


例えば星の王子さまがバラの花を想うように、
何百万もの星のどれかに咲く、たった一輪の花を好きになるように、空にかがやくたくさんの星をながめる時……雨の日も風の日も大切に水をやり育てた、けっして隣で咲くことのないその花が、今日もどこかで笑っているのだと想うと、私たちの心はとってもしあわせな気持ちになれるのだ。

使い古された言葉だけれど、
このはてしない空の下、大好きな彼が笑ったり泣いたりしながら、今日もどこかで生きているのだと想うだけで、私たちの心はとってもとっても励まされるのだから。




*タンテクノロジー:『Agust D』より
( https://youtu.be/3Y_Eiyg4bfk )

*(『Miss Right』)
*( 『FAKE LOVE』)


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