アイドルと日々(私の日常)
『BREAK THE SILENCE : THE MOVIE PERSONA』を観た。
映画は“BTSのメンバーである自分”と“本来の自分”というテーマを軸に語られるメンバーたちの思いを通して、ワールドツアーのステージや舞台裏を振り返る構成になっている。
生きてきたんだな。
と思った。
たくさんの国を愉快に駆け抜ける7人の姿を見て、忙しい日々に立ち止まることも許されず、ただ流されるように、何も考えず過ごしているような気がしていたけれど、いつも7人を全力で大好きだった自分を思い出して、とても大げさだけど、あぁ 私もちゃんと生きてきたんだなと思った。
コンサートは楽しいことが一番で、楽しくなければ意味がないのだとゆんぎは言った。
「楽しければそれでいい。」
それはLOVEYOUR SELFツアーをふり返って私が書いた言葉だ。
そしてLYS~SYSツアーはあなたにとって何ですか?という問いに、
ゆんぎは日常だと答えた。
「私にとって君は日常だ。」
これは私が少し前にゆんぎに宛てた届くことのないラブレターに綴った気持ちだ。
大きなスクリーンの前で、“同じセリフを同じ時、思わず口にする魔法について”の歌が、私の脳の中で流れたぐらいには勘違いも甚だしく、シンクロするよろこびを感じていた。
ゆんぎは私にとって日常だ。
当たり前にいつもそこにあって、別のことをしていても頭の片隅にいつもいる。
一緒に観た友人は映画が終わって、彼の言ったこんな言葉がすてきで、こんな考え方をしているところが意外だったとたくさんの感想を持っていたけど、どれも私にとってはごく当たり前のいつも通りのかわいいかわいいゆんぎだった。
空に飛ぶ物体を見つけて「アイアンマンだ!」と言ったり、スタジアムの会場スタッフに出迎えられながら試合に出場する選手になった気分ではしゃいでいたり、夜食のメニューを後悔したりと、とてもかわいい。
いつでも穏やかなその人は、肌寒い夜にすべり込んだベッドのふかふかの毛布みたいに柔らかくて優しい。
新鮮な答えなどなくて、ただ私の日常の中にあるミンユンギで、SUGAだ。
反対に私にとってジンくんの答えはとても新鮮だった。
淡白な女なので、個人的には映画の中に泣きポイントなどなかったけれど、唯一『Epiphany』を歌うジンくんの背中に泣きそうになった。
自分が悲しいとARMYも悲しむから、悲しい姿や落ち込んでいる姿は見せたくないという。
信じられないかもしれないけど、普段はとても静かですと言ったけど、本当は大人しくて静かなのに、私たちのために明るく振る舞ってくれていることは、簡単に想像できる。だけどジンくんは、きっと上手く“JIN”をやれていると思っているのだろう。実際、上手くやれているだろう。ジンくんを見ていて落ち込むことはないし、いつでも明るい気持ちをくれる。だけどそうやっていつでも明るく楽しい“JIN”をやっているありのままのジンくんをとても感じるからこそ、彼のステージは私の胸を打つ。
ジンくんはコンサートとは“毎晩何が出てくるのか楽しみにしているごはん”だと言っていた。
その答えは想像もつかないきれいな言葉で、私の胸はいっぱいになった。
人は自分と似た人を好きになるのだろうか?
それとも全く正反対の人に惹かれるのだろうか?
いくつかの季節を、埋まりそうなぐらいズブズブにくっついたり少しよそ見をして離れたりしながら走り抜けて、ふと気づけば、何を考えているのか、今でも分からないと思っている大好きなその人と私は、とてもよく似た考え方をしているのかもしれない。
キムチを食べられなかったテヒョンくんがそのことをバラされて恥ずかしがっていたとき、何も恥ずかしくないのにな…と思っていたら「キムチが食べられなくて何が悪い。辛いものが嫌いな人もいるだろう。」とゆんぎが言った。
この感覚は私にとって当たり前のことだけど、私がジンくんの言葉に胸を打たれるように、誰かにとっては宝物のように優しい言葉なのかもしれない。
ファンが膨大に増えたせいか映画が公開して以来、SNSをじっくり見ようとしなくてもたくさんの感想が流れてきた。
読もうと思わなくてもなんとなく目に飛び込んできた、誰かのフィルターを通して飾られた、彼らの放つ名言じみた言葉に、そんなことを話していたんだな…と思ったり、涙が止まらなくなるほど良い話ってなんだろう?と気になっていたけど、自分の目で直接みて聞いた言葉や映像は、そのどれよりもずっとシンプルでとてもキラキラとしていて優しかった。
感想を発信することを批判しているのでは決してないけれど、メンバーは全く別の話をしていて放った言葉でも、誰かの劣等感や悲しさに刺さった途端、それは一ファンの自分を表現する道具になりかわる。
私の日記を読んで、こんなことを話していたんだ…と受け取った印象も、あるいは本人たちが言いたかったこととは曲がって伝わってしまうのかもしれない。まるで伝言ゲームのように。
私にとっての当たり前の感覚は、他人にとって異常であるのと同じように
誰かのフィルターの中の7人はその人のものであって本当の7人の姿ではない。
『自分の感受性ぐらい』という詩が好きだ。
自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ
この言葉のように、まっすぐに受け取った感情だけが、
それぞれの正解であり、宝物のように心を震わせ、いつか自分に染み込んでいく価値観に変わるだろう。
身近な人の口癖が知らず知らずのうちにうつるみたいに、気づかないうちに私の中にじんわりと染み込んだ彼らの価値観は、もともと私の中にあったものだろうか。
それともたくさんの日々を重ねて知らないうちにアップグレードされたのだろうか。
彼らから受け取った真心は、明日の私をどんな風に彩ってくれるのだろうか。
映画の中のたくさんの公演を振り返って、
揺れながらかがやいて、今日を生きる7人を
ずっとずっとこんなにもたくさん愛してきたんだなと思う。
きっと映画を観て泣いたと言っていた人たちのほとんどは、一緒に過ごしたその季節の記憶を思い出したから、涙が溢れたんじゃないだろうか。
誰かと出会って、別れて、楽しかったり傷ついたり、
忙しなく通りすぎていく毎日の中で、いつも彼らがそばにいた。
You gave me the best of me
So You’ll give you the best of you
いつのまにか私の中の銀河に住みついた、
私と良く似た人たちを
私と正反対の人たちを、明日も明後日も一年後の未来も
ただ楽しいと笑って愛していたい
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