怪物(麦野くんの隣の席の女の子)

是枝裕和監督と坂元裕二さんによる脚本という夢のようなコラボレーションが大きな話題となっている映画『怪物』。

小学生3年生でドラマ倶楽部に入部した頃からこのお二人の手がけた作品に育てられたといっても過言ではない私は、大好きな人たちの作品を楽しみに、嬉々とした足取りで映画館へ向かい、出ていく時にはズタボロの心を引きずりながら劇場を後にした。
感情を消化するにはエンドロールが短すぎて、立ち上がりたくない…という気持ちを押しころし、麦野くんの隣の席の女の子のようにすました顔で映画館を立ち去るのが精一杯だった。早く一人ぼっちになって泣きたい。それが最初にもった感想だった。


※ 以下、本編の内容に触れるのでネタバレを踏みたくない方はご注意ください。
※ シナリオブック・ノベライズを読んだ感想も追記しています。
読むのを楽しみにされている方もご注意ください。



1  生まれかわるということ


人は誰もが自分の予期せぬところで人を傷つけている。
それぞれが精一杯に生きている毎日の中で、お互いのすべてを把握することは不可能で、そのせいで言葉や愛情はすれ違い、善意さえも時と場合によれば凶器になる。
直接お互いを傷つけないようにと構築されたはずの個人や組織を守るための社会のシステムはまるでコントロール不能な怪物のようだ。

この物語は、一人のシングルマザーの視点を通して息子が担任教師にいじめられているのではないか…という疑惑から始まる。
物語は3つの章に分かれ、少年の母の視点、問題の教師の視点、少年の視点と、それぞれの視点に切り替わるたびに一連の物事の中での登場人物たちへの印象は180度移り変わっていく。

坂元裕二さんが、以前、車の運転中、信号待ちをしていた時のこと、青信号に切り替わっても進まないトラックが車椅子の方が横断歩道を渡りきるのを待っていたことに気づかずクラクションを鳴らしてしまい、あとになって気づき、後ろめたい思いをした…という出来事をきっかけに、“視えていない”ことで誰にでも起こりうる後ろめたさについて書きたいと思っていたことがこの物語の下地になっているそうだ。
パンフレットでお話しされていたこの話のように、視えていないことで起こるすれ違いやもしかしたら悲劇とも呼べる人の悲しいサガがこの物語の中にはあるのかもしれない。

だから、これはおかしな感想なのかもしれないが、次第に明かされていく少年たちの物語は、まるで『小さな恋のメロディ』のように眩しく可愛らしくキラキラと輝いていた。

個人的には、クィアを扱った映画ではあるけれど、クィア・パルムを受賞したことでLGBTQを扱った映画だという色眼鏡で見ると掴みきれない感情があるのではないかと感じている。
現時点の言葉のクィアにも当てはまらない人が世界のどこかにはいて、その誰かにとってもこの物語は慰めになるのではないだろうか。
湊と依里のクラスメイトの女の子は異性愛者かもしれないが、彼女が抱えている趣向はこの先の社会でどのように扱われるのだろうか。
立派な肩書と仲の良い夫もいて順風満帆だったはずの校長先生は、依里がこの先の社会で傷つかないようにと言いながらひどい仕打ちをするあの父親は、保利先生は、湊を心から愛しているのに、ちゃんとできていないと自信のない母親は———普通の顔をして生きているように見える大人たちもまた、誰一人として“普通”でいられず誰もがどうしようもなく孤独に見えた。


麦野湊が星川くんに会いたくて会えなかった日、着信画面の依里の名前を見て、車から飛び降りてでも依里と話をしたいと思ったであろうまっすぐな恋心は、とてもとても綺麗だった。
病院の待合室で抜け殻のように伸びていた湊は、母親の言葉に傷ついたようにも見えるが、大好きな人に会えそうだったのに会えなかった時の絶望に天を仰いでいるみたいにも見えて少しかわいらしかった。

湊と依里の秘密基地は『銀河鉄道の夜』がモチーフになっているそうだ。
私も大好きな物語がゆえに、湊と依里はジョバンニとカムパネルラのように汽車に乗ってどこか二人だけの世界に行ってしまったのだと思った。
少年たちの恋物語はハッピーエンドなのかもしれないが、必死に湊を探す母親の姿に共感した私は、初めて鑑賞した日、その結末を悲しいと感じた。

その後、パンフレットや小説版やシナリオブック、是枝監督の舞台挨拶での発言やインタビューを読み漁るとたくさんのことを見落としていたなと思った。

二人の最後の会話に出てくる「生まれ変わったのかな」という言葉、

「生まれかわったのかな」
「そういうのはないと思うよ」

映画『怪物』より

劇中、人は死んだら生まれ変わるのか?という問いが提示されるように、生まれ変わるというのは命を失ったのちの出来事だと思っていたが、二人が保利先生に対して、秘密の信号を織り交ぜた作文の題材は『将来』についてだった。
そして同性である人を好きになった二人にとって強く脳裏に残ったであろう“結婚”というワードが刻まれた過去の自分の作文を無邪気にニコニコと読み上げていた保利先生は、死んでいないが、作文中“生まれ変わって”いる。

太陽が眩しい。海の匂いを胸いっぱいに嗅ぐ。いつもと違う匂いがする。
僕は生まれ変わったんだ。
僕は誓う。絶対に西田ひかるさんと結婚します。
五年二組保利道敏

映画『怪物』より

“太陽が眩しい。海の匂いを胸いっぱいに嗅ぐ。いつもと違う匂いがする。”
保利先生の作文の一文のように、生涯一緒にいたいと思えるほどの愛おしさを胸いっぱいに感じた二人は「生まれかわったのかな」という話を始めたのではないだろうか。
概念的な話をしている星川くんに対して、湊は実際に身近な人の死を経験していることから「そういうのはないと思うよ」と答えたのではないだろうか。
二人は別の生き物に生まれ変わることなく、ありのままの彼らのままで、嵐が去り、雨に洗われたような美しい緑とまぶしい光の中を駆けていく。
何も悲しいことなどなかったのだと今は考えている。

そして彼らの視線の先にいた私たちは、何に生まれかわるのだろうか。


2  麦野くんの隣の席の女の子



『怪物』という物語の中でとりわけ気になる存在がいた。
麦野湊と星川依里と同じクラスのませた女の子だ。
麦野くんの隣の窓際の席でBL漫画読み、友達とダンスを踊っていたり、なぜか画面の中によく登場していたちょっと大人びた女の子。

彼女(木田美青)の映画の中での物語に関わる行動は主に2つだ。
・保利先生に「麦野くんが猫で遊んでいた」と保利先生が勘違いしてしまうような意味深な言い方でコソコソと報告→のちに猫の話を勝手に膨らませてしまった保利先生に、校長先生たちの前で証言してほしいと頼まれるが拒絶
・星川くんが絵の具をふく布(雑巾だったか)を投げられ男子たちに揶揄われていたとき、俯いて見ないふりをしていた麦野くんにわざと星川くんの布を投げつける。

何も考えずに見ていたら生意気で意地悪な女の子に見えるのだろう。
だけど、エヴァだったら断然アスカ派の私には、持て余した自我のやり場をまだ見つけることのできていなさそうなあの子の態度が人ごととは思えずとてもキリキリと胸が痛んだ。
ここからはただの推察だけど、
あの女の子は、麦野くんのことが好きだったのではないだろうか。

女の子が教室で読んでいた漫画はBLモノだった。
彼女は元々麦野くんが好きだから、好きな人の心の中を知りたくて読んでいたのか、それとも元々BLが好きで読んでいたからこそ麦野湊と星川依里の間に流れる感情に気付いたのか、どちらが始まりかは分からないけれど、あの子はやたらと麦野湊の近くにいた。
(追記:シナリオブックを読むとただBLが好きな女子のようだったが。)

音楽準備室に先生に荷物を運ぶように頼まれたのにダルそうに断り、
断ったくせに二人のあとをつけていたのは、二人の仲を取り持とうとする策略家というよりも単純にみんなの前で湊くんと二人きりになるのが恥ずかしかったからではないだろうか。そして星川くんが麦野くんの髪を触るのを目撃し、驚いてガタンと音をたて、慌てて“手を洗っている人”になりきりながら二人がどうなったのかを気にしていたのは、BLへの憧れだろうか。

同じクラスの子供たちより大人びた素振りをしていたあの子が、音楽準備室の二人を目の当たりにしたとき、猫を囲んで語り合う仲睦まじい様子を目撃してしまったとき、自分が漫画の中でしか体験していない感情を目の前で繰り広げ、自分の憧れの世界を先に経験している二人に対して(特に好意を抱いている麦野くんに)嫉妬のような感情を覚えたのかもしれないし、なぜ隠すのかと苛立ったのかもしれない。
あるいは純粋に“麦野くんのことが好き”だったのだとしたら、自分のことを決して好きにならないであろう現実が許せなかったのかもしれないし、自分の本心を隠そうと努める姿が、好きだからこそもどかしかったのかもしれない。

だから少し困らせてやろうと、保利先生が麦野くんのことを誤解しかねないような話し方で麦野くんが猫で遊んでいた…という話をした。
実際に目撃した“麦野くんと星川くんが二人で楽しそうに猫を見ていた”微笑ましい風景を、“麦野くんだけが猫で遊んでいた”と曲げて伝えてしまった後ろめたさや自分の行動の根底にある、まだ上手く言葉にはできない麦野くんへの憧れが大人たちに見透かされてしまうことはあの子にとってとても怖いことのはずだ。
保利先生に肩を掴まれたとき、そこまで考えた結果「そんなこと言ってません」と口走ったとは思えないけれど(保利先生の中で話が膨らんでいるので文字通り、木田美青は“そんなこと言ってない”)
あくまでも彼女は麦野くんを少し困らせたかっただけで大事件に巻き込まれてしまえなんて思ってもみなかったはずだ。

というのが初めて映画を観た感想だった。
シナリオブックとノベライズを読むと少し詳細な彼女の心の動きに触れることができるが、シナリオの段階で木田美青というBLが好きな女の子は、麦野くんに好意を持っているとは思えず、友好的に振る舞いながら、漫画のように彼らを消費する脅威として存在しているように思えた。
彼女が湊にカミングアウトを薦めるというありえない行動や、漫画の性的な描写のあるページを湊に見せるといった無神経な行動は、湊が依里に対して特別な友達ではないと感じるようになる秘密基地でのシーンへつながっていき、物語が展開していく上では重要な行動だったのかもしれないが、映画の中でそれらのシーンがカットされ、シナリオよりも大人っぽい女の子になっていたのは、やっぱり彼女が湊に憧れを抱いているというスパイスが加えられたのではないかと思う。

ノベライズ版で依里の絵の具を拭く布を、彼女が湊に向かって投げつけたとき
彼女はなぜか怒っていたと描かれている。


彼女にとって、麦野くんは他のクラスメイトとは違ったはずだ。
ばれないようにこっそり、いつも近くでずっと見ていた、とても魅力的だった隣の席の男の子は、自分ではない人に恋をして、彼女の届かない場所に行ってしまった。
あの子の中にあったであろう説明不能の感情は、小学5年生のあの子にとって怪物なのかもしれない。
台風の去った世界であの子に待ち受けるものは何なのだろう。
あの子はこれからの人生でどんな恋をしていくのだろう。
どんな人に恋をするのだろう。


3  怪物はだれなのか


“怪物”とはだれなのか?
正しい解釈や答えがあるとすれば、それはおそらく社会であり全ての登場人物でありスクリーンの前にいた私たちなのかもしれない。

主な登場人物たちは意図せず人を傷つけてしまう側面はあるが悪人はいない。
悪い人として多くの人に受け取られているかもしれない人たちはどうだろうか?

木田美青は無神経な怪物だろうか?
彼女は台風の日、外を眺めながら枕を抱いている。
男性同士が愛し合う漫画を読み憧れながら、自らの愛を探している、大人になる前のさみしさを抱えた子どもなのではないだろうか?

クラスのいじめっ子の男の子は台風の日、家の手伝いをしていた。
蒲田くんに言われたの?と無実の罪を一番に押し付けられそうになるほど日頃の行いが悪い男の子だけど、家族にとっては優しい子なのかもしれない。

保利先生の彼女はどうだろう?
立場が危うくなったから離れた自分勝手な人間に見えるが、最初の登場シーンからもうすでに彼女は保利先生のことを何とも思っていなかったのではないか。
金魚を見ているシーンの彼女の言動は、もう距離を置きたいが相手が察してくれず、突然切り出して逆上されたら怖いな…と思っているとき、徐々に飽きられようとしている私かと思った。
華やかな服装やメイクで男性の扱いに慣れていそうな彼女は『問題のあるレストラン』で同じ高畑充希さんが演じたあの子のように、男性を怒らせない教習所に通ってしまっているように見えた。

分かりやすく最低な依里の父親は、酒を煽り乱雑ながらも帰宅早々庭の植物に水をやっていた。
それらは、花の名前に詳しい依里のための庭の植物ではなかっただろうか?

彼らは怪物だろうか?

湊と校長先生が鳴らした楽器の、怪物のような鳴き声は悲しくもとても美しかった。
泥だらけになって草原の中を自由に走り回る少年たちはあまりにも愛おしく、
台風の風に飛ばされ湊の部屋に散らばった、依里と遊んていたインディアンポーカーのカードに描かれた怪物の絵は、お気に入りのキャラクターのようにどこか可愛らしく見えた。
それは私の見間違いだろうか。
見たいものを見ようとしているだけだろうか。

インディアンポーカーのカードの中に“人”と書かれた一枚の絵を見つけた。
おそらく依里の描いたカードではないかと思う。
(湊よりも依里の方がちょっと絵が上手い)
その絵の中の人は、喧嘩をした日、湊が自分の脳は豚の脳だと泣いたあの日、
トンネルの中で待っていた湊と同じ、青い服に緑の短パンを履いている“人”の絵だ。


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