春琴抄(谷崎潤一郎) ネタバレ読書感想文
美人だけど性格が悪い春琴(本名は琴)。周りの人たち(特に世話人の佐助)に事あるごとに当たり散らす。読んでいて、吉本ばななさんの「TUGUMI」の主人公つぐみちゃんを思い出した。ばななさんも当然「春琴抄」は読んでいるはずなので、春琴を現代風に少しマイルドにしたのかもしれない。感想文の本題からはいきなりズレるが、これはわりと自信がある推察。というのも「春琴抄」には四種類の鳥が出て来る。一つは春琴の姓「鵙屋(もずや)」。二つ目と三つ目は、春琴が可愛がっている鶯と雲雀。四つ目は春琴と佐助の世話をした「鴫沢(しぎさわ)てる」。そして時を越え、吉本ばななさんが意地悪美人の主人公に鳥の名前を付けた。オマージュってヤツなのかな?
さて本題の感想。
この小説のクライマックスは、佐助が自分の目を針でついて、春琴と同じく盲人になる描写だと思う。「白目をは硬かったので、黒目を突いたら、すんなり針が入った」ってところは「ぐええええ」と身もだえしながら読みました。
佐助がなぜ自分の視力を奪ったのかというと、ある日、春琴が顔に酷い傷を負ってしまい、春琴はそれを人に見られるのを、殊に佐助に見られるのをひどく嫌った。なので、春琴を安心させるために目を潰したんですよ、最初は。
ところがね、この佐助、「目が見えなくなって初めて春琴のことが分かった」と、「ようやく春琴と同じ世界に住むことができた」と喜んでいるんです。思うに、春琴が顔に傷を負う前から、佐助は盲人になりたかったんじゃないんだろうか。とにかく、この佐助にとって、春琴は全て。呼吸よりも、食事よりも、性欲よりも、睡眠欲よりも、とにかく春琴が大切。春琴を喜ばせることが何よりの生き甲斐。しかし、尽くしても尽くしても、彼女とは決定的な違いがある。「目の見える世界」と「見えない世界」。この二人、夫婦にこそなっていないものの、肉体関係はそこそこあるようで、都合四人の子をもうけている。それに食事、排泄、風呂などの世話も佐助が全て行っている。普通に考えれば、佐助は好きな女性の全てを手に入れているようにさえ思える。しかし、佐助は違った。盲人になって初めて春琴の全てが理解できたと歓喜に震える。そして、春琴もそれを喜び、二人して涙を流す。
SMの極致なのか? それとももっと深い愛の形なのか? もちろん「同じ世界に行くことができた喜び」は理解できる。理解できるけど、やらんぞ普通。「そこまで深く人を愛する事が出来て羨ましい」とか、そういうありきたりな感想が浮かんできたけど、そういうものでもないような気がする。
極度の共依存? そんな学術的な言葉で文学作品を解釈してしまうのは野暮の極致なんだけど、やっぱ愛だけじゃないよ、この作品は。じっくり考えることにします。