嵐が丘(エミリー・ブロンテ)ネタバレ読書感想文
言い方はあまり良くないのだけれど、登場人物のほとんどが狂人、もしくはそれに準ずるような人たち。それがわかるシーンを紹介する。
相思相愛であるにもかかわらず結婚できなかったヒースクリフとキャサリン。ヒースクリフはある日、キャサリンの住むスラッシュクロス屋敷に乗り込む。そこで口論をしたあげくに抱擁し合うシーンの描写が以下。
とまあ、終始こんな感じで、「そんな大袈裟な!」と時に感心したり時に失笑したりで、なんだか心がざわつきっぱなしになるような小説でした。
思うにこの「嵐が丘」という小説、食事に喩えると、素材そのもののような感じがする。なんというか、フレンチ、イタリアン、中華、和食、さらにはラーメンやお好み焼き、もっといえば駄菓子のようなものに至るまで、料理には色々なジャンルがあって、そして、それぞれのジャンルで最高のものを提供しているのが一般的な小説だとするなら、この「嵐が丘」は「塩!」とか「砂糖!」とか、まあもうちょっと食材っぽいものを例に出すならば「鶏!」とか「豚!」ってな感じの印象を受けた。
なんでそう思ったかというと、この小説には登場人物が社会的にどんな立場にいるとか何をしているとか、そういった説明が必要最低限しか書かれておらず、ひたすら人間同士の感情のぶつかり合いが描かれていたからだと思う。人間を根本的に支配する「感情!」つまりそれは、料理で言えば調理される前の素材そのものなんじゃないだろうか? そして、その生々しい感情(素材)を思うがままに描き切ったからこそ、この小説が後世の人たちからも共感を得るものになったんだと思う。他にないよ、こんな作品。
(もしもあったら教えて下さい)
ともあれ、「嵐が丘」が素晴らしい小説であることは分かったつもりだけど、一方、私はまだこの小説のことを全く分かっていないような気もするので、新潮社から出ている鴻巣友季子訳も読むことにしました(早く届けておくれ、郵便屋さん!)。
読後に別訳を即購入したのは、この本が初めて。読後にまたレポートします。
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