素人の考古学―福岡県糸島市(伊都国の王都)の三雲・井原古墳遺跡巡り
三雲・井原遺跡は、中国の歴史書「魏志」倭人伝に記された弥生時代の国のひとつ伊都国の王都とされる遺跡である。
東を川原川、西を端梅寺川に挟まれた低位段丘上に位置している。
遺跡としては、弥生時代早期に墓域と居住域が営まれ、中期後葉から後期後葉まで大規模に遺構と遺物が検出され、その後、古墳時代まで集落として存続した。
●三雲・井原遺跡マップ
弥生時代中期後半から終末期にかけて王墓が連続して営まれており、それが三雲南小路遺跡・平原遺跡である。
糸島地方には、約60基の前方後円墳をはじめ重要な古墳があり、伊都国の都と推定される。
1. 三雲南小路遺跡(国史跡)
弥生時代の集落跡で、古代伊都国の中心地と考えられている。
弥生時代中期の大型墳丘墓の方形周溝墓から甕棺2基が出土し、王墓と考えられる。
副葬品は、銅剣、銅矛、ガラス壁破片、ガラス勾玉、ガラス管、銅鏡31面以上など。鏡の多くは内面花文鏡であり、直径16.4センチメートルである。
2. 端山古墳
墳丘長78.5、高さ8mの柄鏡形前方後円墳 4c頃の築造
前方部は消滅しているので大きな円墳状になっている。
前方部は2段、後円部は3段築成 盾形の周溝が廻らされている。
端山古墳の南100mの所に、同じ前方後円墳の築山古墳がある。
端山、築山古墳とも、埋葬施設の発掘は未実施である。
付近は伊都国の主要な地域と考えられており、葬られている人物は、伊都国王に代わってこの地域を支配していた、大和政権と深い関係を持つ豪族と考えられる。
3. 築山古墳
墳丘長60mの帆立貝式前方後円墳、4c頃の築造
斜面に葺石が施され、盾形の周濠が廻らされており、周濠を含むと全長約105mとなる。墳丘には埴輪が立てられていたと考えられる。
4. ワレ塚古墳(国史跡)
墳丘長42mの帆立貝形前方後円墳、5c末
後円部は2段築成、墳丘の斜面には葺石が施され、埴輪が立てられていた。墳丘の周りには幅7mの周溝が廻らされていたと考えられる。
出土品は、須恵器、円筒埴輪、馬形埴輪など。
5. 銭瓶塚古墳(国史跡)
墳丘長48mの前方後円墳 5c後半
周溝内から円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪が出土。
怡土平野の首長の墓と考えられる。
●細(さざれ)神社
伊都国の中心部で、祭神は磐長姫と妹の木花開耶姫の二柱。
付近の遺跡は、南小路遺跡と鑓遺跡
以上
小兵衛