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1984年16歳の北海道旅行記(11 最終話) ~メルヘン夜汽車

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前説

前回、ススキノで怖いお兄さんに怯えて泣きべそをかいて、走って札幌駅に戻ってきましたが、鉄チャンは列車を見るとテンションが戻ります。夜行列車と青函連絡船、そして青森発の在来線特急「ふるさと」に乗車して帰京しました。昭和の鈍行夜行列車の旅を紹介して、このマガジンを終えたいと思います。次に書く予定の自己紹介で、改めてご挨拶させて頂きたいと思います。

函館行きの夜行列車で帰ります

無法地帯のカーペットカー

私がこれから乗ろうとしている列車は函館行きの普通夜行列車で、荷物列車・郵便列車がメインで、客車が申し訳程度に連結されている。荷物車5~6両、客車2~3両。メインが荷物列車なので、鈍行とはいえ急行列車並みの停車駅数だ。

乗客よりも荷物優先なので、客車は昭和初期に作られたようなボロボロの旧型客車が連結されていることもある。直角のボックスシート、混雑する車内。昨年乗車したが辛かった。これは避けようと思った。

ある日、テレビのニュースで、この列車にカーペットカーというものが連結された事を知った。座席をすべて取り払って、代わりにカーペットを敷き詰めたものだという。夜行列車なのにマクラが配られているそうだ。自由席なので、横になれるスペースを確保するには早く並ばなければならない。カーペットカーは1両だけだ。出発40分前に並んだ。前から5人目だった。

「業務連絡。業務連絡。46列車進入」
電気機関車に牽引された列車が入線してきた。何両か荷物車が過ぎて、カーペットカーが目の前に停まった。乗客が一斉に扉に向かって殺到する。突然、並んでいなかった初老の男性がやってきて、列に突っ込んできた。私は列から弾き飛ばされ、並んだ意味がなくなってしまった。立ち直って車内に入った時には、入る場所がなくなっていた。横になるどころか、座る場所も無かった。

これなら座席車の方がいい。というか、前から5番目で並んで座れない!

「本日は国鉄をご利用くださいましてありがとうございます。このカーペットカーは・・・」
国鉄職員がアンケートにやってきた。マクラが配られてたが
「こんなもの意味ありませんよ」と乗客が苦情を言う。
「定員ぐらいが乗っていればねぇ・・・」と職員が答える。この日は超満員で、並んで乗ったとしても居住性は最悪だ。そして、私を突き落とした初老の男性はタバコをふかす。禁煙車の筈だが・・・もう限界。カーペットカーは短距離の利用が禁止されているが、座席車に移動しよう。小樽での停車時間を利用して移動する事にした。デッキでは旅行者がリュックをデッキに置いてしまったので、乗降扉が開かず、怒鳴り声が聞こえた。そんな車両を離れて、最後部の一般車に向かった。

メルヘン夜汽車

最後部の茶色い客車に乗り込む。終戦直後に作られた客車で、車内は木製。ニスが塗られていてテカテカしている。車内は通勤客が降りて空席があるのだが、残った乗客がボックスを占有していて座れない。1人だけ起きている人がいたので、その隣に座る。通勤客のようなので、すぐに降りるだろう。狙いは当たり、すぐにボックスの半分を使うことができた。それでも寝苦しい。目の前には、年頃の女性が寝ているがイビキがうるさい・・・。

昭和の洋館みたいな雰囲気

私は最後部のデッキに立った。旧型客車には最後部に貫通扉がないものがある。真下を覗き込むと、線路がテールランプに照らされて赤く光っている。危険でもある。走行中に落下して死亡事故につながることもある。しかし、駅から遠ざかって行く時、街明かりが闇に吸い込まれる様子が見える。面白い。そして美しい。

デッキで夜景を見ながらの旅でした。

この車両にも都会から来たと思われる若者も多い。その人々はみな、車端部にあるトイレを出ると、このデッキに立って後ろを見ていた。また、この車両には高校生のような女の子4人組が乗っていて、そのうちの一人が、このデッキに立って、いつまでも、いつまでも、遠ざかる夜景を眺めていた。駅を出発する際、駅員が直立不動で列車を見送っていたことに感動したらしく、他の3人の仲間に語っていた。

山の中の小さな駅に到着した。音を発する機械を持たない旧型客車の室内は、シーンと静まりかえってしまう。客はほとんど眠っているので物音ひとつしない。どこからともなく汽笛が聞こえて発車・・・。旅情を感じた。銀河鉄道999に乗って旅している気がしてきた。メーテルはいないけど・・・。

改めてデッキに立つ。列車は峠越えに入ったようだ。真っ暗だ。そして、とても寒い。何分も佇んでいられない。暖房を入れてほしいと思った。

函館が近づいてきて外が明るくなってきた。行商のオバサンが乗ってくる。
「急に寒くなって着るものに困った」
「今年は暑かったねぇ。暑すぎた」
列車は函館の一つ手前の五稜郭に着いた。北海道の旅はあと一駅。もう二度と乗る事がないかもしれない旧型客車の夜行列車。名残惜しいが、4時58分すっかり明るくなった函館に到着。

さらば北海道

5時30分発、青函連絡船160便(臨時便)は大雪丸であった。昨年は満員で2便見送ったが、今日はガラガラだ。定員1280名のところ、60名しか乗っていなかった。5時30分出航。タラップがあがって離岸。誰もいないひっそりとした函館。作業員が手を振って見送ってくれる。ブォースゥ。故障の為、変な音色の汽笛を鳴らして北海道に別れを告げた。

青森に近づくにつれて波が高くなり、甲板には水しぶきが飛んでくる。テレビニュースでは今年の北海道の異常な暑さが、寒冷前線の到着で秋を迎えたと言っていた。そうか・・・夜行列車のデッキで感じた寒さが北海道の秋だったのか。波を蹴立てて大雪丸は津軽海峡を渡っていった。

大雪丸で北海道を去ります

あとがき

ここまで読んでいただきありがとうございました。

この旅では、一週間風呂には入らず、マットもないところで寝袋だけで寝たり(寝袋があるだけ昨年よりマシ)、鈍行列車の直角のシートで座って寝たり、食事は基本的に乾パン・・・。短いとはいえ、過酷な旅でした。この旅の話を終えるにあたり、金久保茂樹氏の言葉を引用してこの連載を終えたいと思います。北海道旅行に行くきっかけとなった雑誌に寄稿されていた文章です。

それぞれの旅人に贈る。金久保茂樹 (一部引用)
人生の豊かさとは、瞬間の豊かさに反比例することに気づいてきた。飽食、快楽、美しい景色よりも、貧しい食事、苦痛、つまらない景色に、思い出のふくらみが感じられるのである。そして、貧しい食事、苦痛、つまらない景色を味わう気力と体力に恵まれている時代にそれを体験しておくことが、真の意味での豊かさであり、晩年への投資ではないだろうか。

’84 旅と鉄道

私は今、投資をしっかりと回収中です。

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雨男
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