愛していたよ2020
今更かもしれないが、私の2020についてつらつらと。
わたしの2020は、苦悩のひとことに尽きる。
特に何かがとても辛かったわけではないが、なんとなくぼんやりと、いつだって辛い感じ、いつだってモヤモヤと、胸に爆弾を抱えながら、自分のことを全力で嫌いながら、毎日を必死で生きた、そんな年。
2020の始まりはバイト先で、大好きな人たちと大好きな場所で最高に幸せに過ごしていた。もしかすると、あれが2020のピークだったのかもとか思ったり思わなかったり、でもやっぱりそうだったんだろうなと、2021がはじまった今振り返ると、思う。
2019から見た2020は、希望しかなかった。
2月にいく予定だったメキシコ・キューバ旅行、東京オリンピック、ライブやフェス、たくさんの国をめぐったり、たくさんの人と知り合ったり、大学にも慣れて三年め、きっと楽しいことしか待っていない、なんて、この世にいた誰よりも幸せな年越しをしていた私はそんな気がしていた。
でも現実はそうじゃなかった。
コロナウイルス。
おかげで世界はガラッと変わった。
大好きなライブは全部中止、旅行も、飲み会も、友達も、バイトも、私の大好きなものもとの距離はどんどんどんどん広がっていった。
悲しかった。でもしょうがないこと。
ライブがないことはしょうがない、旅行に行けないことはしょうがない。
わかっていたけれど、わかっていたからこそ、生き甲斐にしていたそれらがなくても、生きていけた自分がいたことが悲しくて虚しくてしょうがなかった。
しんどい、辛い、悲しい、そんなことを思っていたけれど、もっと辛いしんどい人なんかいっぱいいて、私ごときがそんなことを言っていてはダメだと思ってはまた落ち込む、そんな日々。
2020、毎日、楽しいことがなかったわけじゃない。バカ笑いもたくさんした、沢山の友達にも支えられた、毎日笑って過ごしていた、たくさんの知り合えてよかったと思う人たちに出会うこともできた、刺激もたくさんあった。多くはないけれど、旅行にも、ライブにも行った。友達の意外な一面が見れたことも、たくさんの友達とわいわいオンラインゲームをしながら朝まで過ごしたことも、嬉しかった、楽しかった
はずなのに、楽しかった記憶は割と簡単にすぐ消えて、苦しいこと、嫌なこと、辛いこと、そんな記憶ばかりが残っている、
どうして楽しかったことよりも、苦しかったことに自分の目と注意が向くのだろう
嫌な性格!!!!!!
自分のバーーーーーカ!!!!!!
一年じゅう、ずっと、いっぱい動いていたつもりだったけど、私は、結局、何かをしている自分でありたかっただけなのだと、コロナの影響はあったけど、私はやれることをやったよって、言いたいだけ、何もしていない自分から、逃げて、逃げて、逃げて、逃げているフリをして、でも結局逃げれず、足踏みをしていた自分を見て、あまりの無力さと愚かさにただただイライラして、悔しくて、閉じこもってしまっていた、そんな日々だった。
これも成長、なんて言ったらダサすぎるし、そんなだるいこというつもりはないよ
結局、何も形にして残せなかった、残らなかった一年だったのかな
最後に、自分への言い訳のように、コロナのおかげでできるようになったことにも目を向けようと思う。2020を生きた意味、それは確かにあったはず。
ギターが弾けるようになった。
家族と仲良くなった。
音楽を今まで以上に聴くようになった。
たくさんのアニメを見た。
本をたくさん読むようになった。
それらからたくさんの知見と話題を手に入れた。
オンライン化のおかげで出会えるはずがなかった遠くの人たちに出会えた。
私が自分の未来や、やりたいことや、できること、今のことなど、ぼんやりとではあるが考えるようになったのも、少し頭を使うようになったのもコロナのおかげ。
この一年のコロナ禍はは私の人生において確実にプラスに働いてくれた、成長させてくれた、とまだまだ禍いの中ではあるが、ぼんやりとおもっている。
辛いこと、苦しいこと、たくさんあったけれど
2020は私にとって必要であったと、2022になったときに言えるよう、
私は、2021を過ごしていく。
ありがとう、愛していたよ2020
2021はもっと愛せるといいね。
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