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貧困とドーナッツ

最近、YouTubeでとあるニュースを見た。
テーマは、若者の貧困だ。
所持金が数百円。
学費を親に払ってもらえず、学業の合間にアルバイトを詰め込む日々。
奨学金を借りられるだけ借りて、その返済に怯えながらも学ぶことを諦めない若者。
住む家が無くなっという連絡が殺到するシェルターもあるらしい。
ふと、目の前にあるドーナッツを見る。
仙台にある、大好きなお菓子屋さんからお取り寄せしたお豆腐ドーナッツ。
素材にこだわっていて、某チェーンのドーナツショップやコンビニよりもはるかにお高い。
私は、このドーナッツがどうしても食べたくて、わざわざ送料をかけてまでお取り寄せをした。
ドーナッツを頬張る。
お豆腐の優しい香りが鼻に抜ける。
美味しい。
私がこのドーナッツを食べることが出来るのは、お金があるからだ。
お菓子という嗜好品に、かけてもいいお金を持っているからだ。
自分で働いて得たお金。
でもそれだけじゃない。
私は学費を自分で払ったことはないし、奨学金も借りなかった。
産まれ落ちた家は裕福でもないが貧乏でもなかった。
父も母も、安定した仕事に就いて働いていた。
私はひとりっ子で、何不自由なく成長した。
このドーナッツを食べられることは、幸せなことだ。
自分ではどうすることもできない要因で、困難を強いられる人もいる。
はたまた、産まれた時点でもう高いところにいて、平均以上の暮らしが当たり前として生きてきた人もいる。
作り手の想いや、私が払ったお金、ドーナッツに使われている材料、それ以外にもたくさんの何かがいっぱい詰まったドーナッツなんだ。
もし、このドーナッツを食べたいけれど食べられない人がいたら、私はそっと半分こして、差し出してあげられる人でありたい。
私はそんなことを考えながら、ひと口ひと口ドーナッツを齧る。

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