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この国はどうなってしまうのか!? 1
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防衛費の大幅な増強を国会に図る前にアメリカに飛んで、バイデンに報告して「頭をなでなで」してもらう首相と政権与党 自民党とは、何者なのかについて連続して考えていきたい。今日はまず、白井聡さんの論考からこの国の他の国とは違う特殊性について考えてみたい。
内田樹編 『街場の平成論』に所収されている白井さんの論文を引用する。その胆は次の言葉に尽きる。
平成時代は「対米従属を否認する対米従属」という「戦後の国体」の不条理が露になりつつ極限化してきたのである。
「ポスト・ヒストリーとしての平成時代」 白井聡
平成時代の歴史的位置づけ
右に論じてきた平成時代の空虚性はあまりに甚だしく、それを認識する者にとって、絶望感を催させるかもしれない。しかし、この時代を歴史的に位置づける、言い換えれば、ポスト・ヒストリカルな時代状況を「再歴史化」することによって、その内実は解明可能である。
筆者は、2018年4月に刊行した『国体論―菊と星条旗』によって、明治維新以来の150年の日本近代史の歩みを、「国体」が形成され、相対的な安定を獲得し、そして崩壊するという過程が二度繰り返される歴史としてとらえることができる、との仮説を提示した。平成がここまで悲惨な時代となつた理由は、この歴史把握から明快に説明しうる。
すなわち、ここで言う「国体」とは、無論明治期に形成された天皇を絶対的な中心とする国家体制を指すが、この体制は速成的な近代化を成功させ、日本はいわゆる一等国の仲間入りを果たした。続く大正期になると、明治の藩閥勢力による権威主義的体制への批判が高まることで、 一定の民主化。自由化が進行した。だが、昭和期に入ると、民主化・自由化の潮流はファッショ化へと転化し、無謀な戦争の果てに国体は破滅する。
敗戦に伴う一連の民主化改革によつて「国体」は解体され、死語と化すが、筆者の説は、国体は「菊と星条旗の結合」によつて生き延びた、すなわち、戦後日本の対米従属体制のなかに再建されたと見る。
日本の敗戦処理において、アメリカが天皇制を象徴天皇制へと改変することによって存続させ、戦前の保守支配層のある部分の戦争責任を免責し、「親米保守派」として統治権力の当事者へと仕立てたことは、あまりにもよく知られている。しかし、このことの深甚な意味、すなわちこの戦後日本の基礎構築の過程がパワー・ポリティクス的な次元においてアメリカが日本を属国化する過程であったのみならず、戦後の日本人の精神的基盤を戦前天皇制を原型としつつ再編成するものだったことについて、今日露になっているその究極的帰結をも合んで、その全体像が示されたことはない。
要するに、戦後自本に成立したのは、アメリカを頂点とする天皇制(=戦後の国体)にほかならなかった。戦前の国体から受け継がれた最も重要な要素は、「天皇=国民の大いなる父国民=天皇陛下の赤子」とした独特の家族国家観である。ゆえに、日本にとってのアメリカは、宗主国として君臨・支配するものとしてではなく、「天皇陛下のように慈悲深く」「日本を愛する存在」として現れる。戦前天皇制が日本人全体を一つの家族であると規定して日本国家には支配・服従の関係は存在しないと強弁したのと同じように、戦後の日米関係には支配・従属の関係は存在しない、したがって、(世界の日本人以外のすべての人々の常識に反して)日本はアメリカの属国ではない、という妄想が紛うことなき社会的現実として通用してきた。世界にはアメリカに依存し従属している国は星の数ほどあるが、日本だけが従属の事実を否認しつつ従属している。国体は、まさに「万邦無比」なのである。
そのように見たとき、戦後の歴史と戦前の歴史との間には、明瞭な並行関係を見て取ることができる。明治の国体が近代化を可能にしたように、戦後の対米従属体制は、復興と高度成長、経済大国化をもたらした。そして、大正期に天皇の存在感が希薄化したのに似て、昭和末期、おおよそ1970年代から昭和の終わりにかけて、対米従属の事実は不可視になる。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が喋々され、日系資本がアメリカの老舗企業やマンハッタンのランドマークを買い漁るという状況においては、「属国」であることのリアリティは蒸発するに至った。しかし、大正デモクラシーから昭和ファシズムヘの暗転に似て、対米自立の機会はここで逸され、ソ連の崩壊によって対米従属体制を続ける合理的理由が消えた時期においてこそ逆に、この体制がますます露骨なものとなって、現在に至るわけである。