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追悼 森永卓郎さん 2 『ガン闘病記』を読んで

 『書いてはいけない』より先に森永卓郎さんの『ガン闘病記』を先に読んでいた。わたしは森永さんのように仕事人間ではなかったが、森永さんのような存在の仕方がいいと思っていたのは確かだ。森永だんの「ゆるキャラ」的ふるまいは、森永さん特有のポーズだったような気がするが、ガンに向き合った時の姿勢はなかなかなものだと思った。
 『ガン闘病記』のあとがきを紹介したい。

あとがき

 これまでずらと書いてきて、おわかりいただけただろうか。私がお伝えしたかったのは、私の場合、人生でやり残したことがほとんどないということだ。
 これまでの仕事で遊んで、遊んで、遊びつくして、やりたいことはすべてやってきた。だから、朝から晩まで、泥んこになつて遊んだ子どもと一緒で、十分満たされて、「そろそろ家に帰ろう」と言われたら、すぐに家路につく気分なのだ。
 ただ、そのなかで迎える本当に幸福な老後、あるいは人生とはいったいなんだろうか?
 2024年の元日に亡くなった山崎元氏が、『経済評論家の父から息子への手紙』(Gakken)という書籍を出版した。
 山崎氏は私と大学の同窓生で、三和総研や獨協大学では同僚だったので、よく話をした。ただ、私は彼のことを「合理的経済人」だと思っていた。 一流企業ばかり12回も転職を繰返して、つねにより高い処遇を目指していると考えていたからだ。
 ところが、書籍のなかで彼は息子に「金持ちを目指すのではなく、面白いと思える仕事を通じて、必要な程度のお金を稼ぐことができればそれでいい」と言っている。お金がたくさんあっても、幸せにはなれない。それよりずっと大切なことは自分が面白いと思える仕事を続けることだと言うのだ。
 私は、サラリーマン時代、24時間操業のモーンツ社員を続けていた。
 転職は3回だけだが、出向や異動で、職場は10ヵ所ほど経験した。
 どの職場にもおバカな上司がいて、理不尽な業務命令を下してきた。顧客にも振り回された。
 シンクタンク時代、官僚から「3時から打ち合わせに来い」と言われたので、「もう4時をすぎてますよ」と言つたら、「馬鹿野郎。午3時から打ち合わせするんだよ」と言われたこともあった。私は、どれほど煮え湯を飲まされても、歯を食いしばって我慢した。子育てにお金が必要だったからだ。
 ただ、子どもが成人を迎えたのを機に、私は会社を辞め、同時に、嫌な仕事、金を稼ぐためだけの仕事をすべて排除した。
 私は、50歳にして「悠々自適」の生活に入つたことになる。実際、それ以降、私が抱えるストレスはケタ違いに減った。
 また、65歳を迎えて、年金をもらえるようになったことから、私は自らに課していた最低限の言論規制も取り払つた。どんなに仕事を千されても、年金だけで生活が続けられると確信したからだ。
 もちろんそうした暮らしを実現するためには重要な条件がある。それは、生活コストを下げることだ。
 幸か不幸か、私は都心を離れたトカイナカに家を建てた。物価は安いし、大都市のようなエンターテイメントもないので生活コストは半分くらいになる。それだけで無理をしてお金を稼ぐ必要がなくなるのだ。
 一方、大都市の高コストな暮らしを続けようと思うと、どうしても定年後も働き続けることが必要になる。しかも楽しい仕事ほどお金にならないというのが世のなかの大原則だから、お金を稼ぐためには、ストレスの多い、嫌いな仕事を選ばざるをえなくなるのだ。それを避けたいから、今度は、お金を増やそうと危険な「投資」という名のギャンブルに手を出してしまうのだ。
 富山県に舟橋村という日本一面積の小さな村がある。移住者の増加によって、この30年間で人口が倍増している。移住者に人気なのが、村が斡旋してくれるプロの農家のサポートがっぃた小さな農地の貸し出しと、分不相応なほどの巨大な図書館だ。晴れた日には、畑に出かけて、汗を流す。雨の日には、図書館で本を読みふける。まさに晴耕雨読の暮らしだ。
 誰も理不尽な命令をしてこないし、どんな作物をどのようなやり方で育てるのかはすべて自由だ。もちろん、どんな本を読むのかも自分で選べる。それ以上に必要なものが人生にあるのだろうか。
 山崎元氏の12回の転職も、 いまから考えると、その終盤では、彼の自由な活動を認めてくれる会社へと転職先が変化している。つまり、山崎氏は高報酬を求めて転職をしたのではなく、自由を求めて転職をしたのだ。
 いま私は、とても幸福だ。お金を稼ぐことに気をとられずに、自由な論説を展開しているからだ。
 

2023年に出版した『ザイム真理教』は大ヒットしたにもかかゎらず、大手メデイアから無視され、私は大手テンビ局の報道・情報番組のレギュラーをすべて失った。3月に出版された『書いてはいけない』も、大手メディァは完全無視のスタンスを取り続けている。とくに日本航空123便の撃墜事件に関しては、どこも取り上げない。それでも、私は幸せだ。お金を稼ぐことや、テレビに出続けることよりも、本当のことを自由に言い続けることのほうがずっと面白くて、ずっと大切だと考えているからだ。


 人生の最後をどうすごしたいのか。それを考えるうえで、とても興味深かった書籍がある。『108年の幸せな孤独――キューバ最後の日本人移民、島津三一郎』(中野健太著、KADOKAWA)という本だ。
 キューバに移住した最初の日本人について書かれたノンフイクションなのだが、キューバ革命、冷戦、国交回復など、キューバが激動の時代を重ねるなかでも、主人公の島津は一度も日本に帰国せず、波乱万丈の人生を送る。そして、島津は孤高の人生の最期をキューバの老人施設で迎える。支援者たちに囲まれた島津は美味そうにたばこを吸いながら、この世を去っていくのだ。
 私のイメージする人生の最期はそれと同じだ。
 たばこに火をつけて、肺細胞の一つ一つで紫煙を味わったあと、ひと言こう言って、
息を引き取るのだ。

「今日も元気だ。たばこが美味い」

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