見出し画像

アメリカ(GHQ)と日本政府は広島・長崎への原爆投下を一年以上も隠ぺいした事実を私たちは知らない

『ヒロシマを暴いた男 米国人ジャーナリスト、国家権力への挑戦』

レスリー・M・M・ブルーム 著 高山祥子 訳  を読む

 私事で恐縮だが、来週の6月13日(火)~15日(木)にかけて旧来の知人たち18人と「オトナの修学旅行」と題した小旅行に出かける。この企画は、40年来の友人である横浜の赤田圭亮さんの呼びかけで始まった。赤田さんは横浜市立中学校の教員だったころから「ヒロシマ修学旅行」を生徒と学年の教員団と共に熱心に行われてきた方だ。上記の『ヒロシマを暴いた男』は出版当初、県立図書館から借りていたのだが、中途半端にしか読まなかった本である。今回の広島行を機会にもう一度しっかり読もうと手に取った次第である。
 本書の訳者である「高山祥子」さんのあとがきが本書の内容を端的に紹介していると思えたので、引用して紹介する。

訳者あとがき

 アメリカのジャーナリスト、ジョン・ハーシーによる『ヒロシマ』という本がある。広島への原子爆弾投下とその影響を、六人の広島の住民の証言によって紹介したもので、 1946年の刊行以来今日まで、原子爆弾の恐ろしさを伝える貴重なルポルタージュとして読み継がれている。本書『ヒロシマを暴いた男 米国人ジャーナリスト、国家権力への挑戦』はその『ヒロシマ』の舞台裏に追り、ハーシーがどんな思いで広島の現実を書いたのか、そしてそれが第二次世界大戦終戦直後の世界において、どれほど意義のあることだったのかを、この名著をめぐって起きたさまざまな出来事を通して説き明かしたノンフィクション作品である。

 1946年8月29九日、米国ニューヨーク市で一冊の雑誌が発売された。〈ニューヨーカー〉という、ユーモアと風刺の効いた都会的な雰囲気が人気の週刊誌だ。だがこの日の〈ニューヨーカー〉8月31日号は、いつもとちがつていた。愛読者たちが心待ちにしていた読み物や漫画は見当たらず、全頁を割いて、ジョン・ハーシーによる『ヒロシマ』という記事だけが掲載されていた。
 そして唯一掲載されていた『ヒロシマ』は、まさに世紀のスクープだったのだ。
 前年の1945年8月、日本の広島と長崎に原子爆弾が投下され、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏をした。このとき原子爆弾はまだ開発途上で、開発をしたアメリカでさえ、その全貌を把握していなかった。アメリカはさらなる爆弾の開発を進めるいっぽうで、非道な武器を使用したという批判を避けるため、そしてその独占状態を保持するために、原子爆弾に関する報道を厳しく規制した。 一部が公表されたとしても、損壊した建物の数や死傷者の人数といった統計値は、世間の人々にとっては単なる数字に過ぎなかった。
 そんななか―ジョン・ハーシーはみずから広島へ行って市井の人々の声を集め、悲惨な現実を訴える記事を書く。それを受けて〈ニューヨーカー〉の編集長ハロルド・ロスと副編集長ウィリアム・ショーンは、丸々雑誌一冊という異例の舞台を用意する。
 これはアメリカ政府による原子爆弾に関する事実の隠蔽を暴く行為でもあった。第二次世界大戦直後の混乱をきわめる時期に日本で取材をし、これだけの記事を発表するのには、想像を超える困難が伴った。
 ハーシーは1914年生まれの気鋭のジャーナリストで、第二次世界大戦中は雑誌〈タイム〉の特派員として世界各地の戦場を飛びまわっていた。モスクワ支局勤務を経て1945年にフリーとなり、前年に発表した著作『アダノの鐘』でピューリツァー賞を受賞したばかりで、今後の進むベき道を模索していた。
 ハーシーの気持ちを広島へ向かわせたキーワードは、”人間性”だった。どんな人間でも、敵の人間性を見失ったとたんに残虐な行為に走ることを、彼は戦地での経験を通して知っていた。広島での悲劇を、自分たちと同じ人間の身に降りかかったこととして捉えた報道が必要だと考えた彼は、日本への取材旅行を敢行したのだ。
 ハーシーは『ヒロシマ』で、政府によるフィルターのかかった報道や統計値とはちがう、広島で暮らす住民の視線の高さから見た現実を描いた。本書を読んでいて印象に残るのは、取材時のハーシーの、まっすぐに相手に向き合おうとする姿勢だ。とくに広島で生存者たちと会ったさい、過度に同情的にならず、相手と対等の立場で取材を進める様子には、誠実な人柄がうかがえる。
 また本書では、当時のアメリカのジャーナリズムや出版界の裏側も描かれている。(ニューョーカー〉8月31日号に『ヒロシマ』を一挙に掲載するという英断をしたのは、ハロルド・ロスとウィリアム・ショーンという名物編集者たちだった。辛辣で攻撃的なロスと内向的なショーンは、正反対のキャラクターでありながら同じ志をもって雑誌作りに取り組む、なんとも魅力的な二人組だ。記事を校閲・編集するさいの様子は、当時の編集室をこっそり覗いているようで、読んでいてとても楽しい。

 著者のレスリー・M・M・ブルームはロサンゼルスに拠点をおき、〈ヴァニティ。フェア〉や〈ニューヨーク・タイムズ〉、〈ナショナル・ジオグラフィック〉など数多くの雑誌に寄稿するジヤーナリスト。ピアニストの母親とジャーナリストの父親のあいだに生まれ、ウィリアムズ大学とケンブリッジ大学を卒業後、父親のあとを追うようにして報道の道に進んだ。ABCニュースではアメリカ同時多発テロやイラク戦争など多くの重大事件の報道に関わり、ファッション誌〈ヴオーグ〉の、過去数十年で影響力のあった女性百人に選ばれたこともある。
 作家としての活動もさかんで、アーネスト・ヘミングウェイの『日はまた昇る』執筆の内情を描いた書籍など、多数のノンフィクション作品を発表。そのいっぽうで、子ども向けの小説を4作と短篇集を2作発表している。
 本書『ヒロシマを暴いた男』は、広島への原子爆弾投下75年を記念して、2020年8月にアメリカで刊行された。謝辞に”本書のための調査は三つの大陸で、四つの言語を用いておこなわれた″とあるように、ブルーム自身が多くの関係者と直接会い、幅広い文献や資料を調べたうえで書き上げた力作だ。巻末の膨大な脚注にも、この作品に注ぎこまれたブルームの温れる熱意がうかがえる。
 核戦争の脅威を再認識させ、ジャーナリズムの独立性の意義を訴える内容は好評を博し、〈ニューョーク・タイムズ〉の年間ベストー10と2020年のお薦めの百冊に、また〈ヴァニティ・フェア〉〈パブリッシャーズ・ウィークリー〉の2020年のベスト作品にも選ばれた。ブルームは本書で、『ヒロシマ』に関わった人々がそれぞれの思惑をもって立ちまわる姿を描いた。ジョン・ハーシーや二人の編集者ばかりでなく、報道操作のために右往左往するアメリカ政府関係者たちまで、その一人ひとりが人間性を持った存在として描かれている。どんな立場にいる者でも、人間性のある存在として扱う――それはまさに、『ヒロシマ』を執筆するさい、ハーシーが念頭においていたことだった。ブルームもまた同じ志をもって本書を手掛けたからこそ、ここに第二次世界大戦直後の激動の時代がリアルな人間ドラマとして再現され、読む者の心に迫ってくるのだろう。

 最後に、本書訳出の機会を与えてくださった集英社文芸編集部の佐藤香氏、そしてさまざまな形でお世話になった同編集部の皆さまに、この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございま
した。

2021年6月    訳者 高山祥子

いいなと思ったら応援しよう!