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短編小説|マリトッツォの鎮魂(前半無料公開)
文芸誌『現代人』創刊号に掲載した2022年の作品。100年以上前の小説・夏目漱石「三四郎」をオマージュしつつ、現代に蔓延る「呪い」のひとつとは何か?を描いています。
前半のみ無料公開しておりますので、noteでの有料購入か、BOOTHにて『現代人創刊号 増補版』をご購入いただければ全編をお読みいただけます! マリトッツォワールドをぜひお楽しみください。(あいけ)
マリトッツォの鎮魂
伊太郎がバスの中でうつらうつらして目が覚めると、窓の外は有史以来の人間界の白色をあらかた持ってきたほどの濃霧である。何も見えない。隙間なく木々が茂るのだけはうっすら分かる。けれどもバスはすいすい澄まして進み、臆する様子もない。そこがどうにも不気味である。エンジンの音が聞こえずしんとしているのも気味が悪い。自分の心臓の鼓動だけがむやみに響く。
あれほど騒がしく疎ましい東京にでも、伊太郎は今すぐ戻りたい。故郷の栃木にはなおさら戻りたい。伊太郎の実家があるのは栃木の平野だから、だいたいこんなに山はない。山の中は恐ろしい。「日本の国土の七割が山」というのはおよそ山賊か何かのでっち上げた与太話が出回っているだけだろうと思っていたが、このような場所が多いのならばことによると本当かもしれない。
ところで通路を隔てた反対側の座席に目を移すと、例の紳士がじっとこちらを見ていたので面食らった。紳士の黒い目といえば白い霧の反対で、安い黒豆を煮詰めたあとの汁などに似ている。その呆けた暗闇に見つめられるのだから伊太郎は敵わない。
「鎮魂の地へはあと五分ほどで着きます。心構えはよろしいでしょうか」
すでにここまで来ているのだ。よろしいも何もない。それに怨霊が全盛であった平安の昔と違うのだから、何か非常事態が起きてもスマホがあればどうとでもなる。今のところ圏外になる様子もない。伊太郎はただ「ええ」と答えておいた。
◆
一年ほど前、民俗学の深淵先生の講義を受けた後に大学をぶらついていたら学友の軽一郎とばったり会った。すると出会うなりスマホの画面を突きつけては「君、このマリトッツォというやつを知っているか。これは恐るべきものだ」とのたまう。先方はすっかり鼻息が荒い。
「いいや、まだ聞かない」
「相変わらず君は情報を知らんのだな。大学開闢以来の迂闊者だ。この写真を見ろ。たっぷり入ったクリームがじつに美味い。しかも、これさえ食っときゃあ当世の流行りに乗れるんだから食わん手はない。スイーツだけあって女子がこぞって食うらしい。したがってこれひとつ食えば、それ以来女と会話するにも苦労しなかろう。我々の未来は明るいぞ」
あまりに軽一郎がしつこいので、伊太郎は大学付近のパン屋へ駆ける。それでマリトッツォなる洋菓子を食べたが特に感心しなかった。というよりも今一つ分からなかった。令和の文明じみた新しい味がするのだけは気に入ったが、これならコンビニのクリーム入りのメロンパンのほうが旨いと思った。
そう申してみると軽一郎は妙な顔になり、「なんだ君はクリームにはうるさいのか。それならそうと早く言ってくれ」などと言う。この程度でクリームにうるさいことになるならクリーム界もさだめしずいぶん簡単だ。
軽一郎は何か流行のものを毎度こちらに薦めるくせ、自分はすぐに飽きてしまう。とはいえ同じスマホを使っていてなぜこれほど物を知っているのかと、その手腕に伊太郎はたびたび感服している。
◆
翌日、懲りない軽一郎に連れて来られたスイーツの店で二回目のマリトッツォを食ってみたら、これが美味い。昨日のはどうも生地が固すぎたらしい。こう考えるとマリトッツォも存外奥が深いのかもしれないと思い直した。
それどころか美味い美味いと語らう勢いで軽一郎の口八丁に乗ってしまい、伊太郎はインスタグラムでマリトッツォ用のアカウントを作成するに至った。日々マリトッツォを欠かさず食い、情報を投稿するのである。伊太郎は今までSNSの使い道が分からぬまま生きてきたので、これは良い機会だと思った。ところが数時間経ち冷静になると疑問が湧く。
「作ってはみたが、しかしこれが本当に意味あるものかな」
夕方の講義が終わった後、食堂で軽一郎を捕まえる。たいそう騒がしいので通常よりも声を張って問うてみたら、軽一郎からはその倍ほど五月蠅いやつが返ってきた。
「何を言ってやがるんだ。学生ごときが意味なんて考えだしたら世話はない。みんな言うだろう、継続は力なり、雨垂れ石を穿つ、死せる孔明生ける仲達を走らす。今はグーグルだけでなくインスタで検索をする時代だぜ。こういうアカウントっていうのは後になって価値が出てくるもんだ。数年後、マリトッツォは今より人気になってるはずなんだから、そしたら君、誰もが君の投稿および一挙手一投足を食い入るように見る。世間からは拍手喝采、女性からも黄色い声、どうだ明るい前途だ」
こうやってあることないことをまくし立てるのは軽一郎の悪い癖だ。しかし言い分には一理あるようにも思える。なにしろ軽一郎は情報通であるのみならず、社会学を専攻している。伊太郎には社会学が何なのか分からない。これから勉強してみるつもりだが、何しろ社会学をやる者は社会に詳しいはずだから、軽一郎の言うことはなるべく聞くようにしていた。
それから投稿を始めて一週間になる。フォロワーは八人になった。うち六人分はどれも軽一郎の用途別アカウントだから、実質二人だ。軽一郎曰くまったく冴えない数字だが、伊太郎はさしあたりこの二人のために頑張ってもいいような気がしてきている。二人という数字で表せば確かに冴えなかろうが、現実で二人から注目されていると考えれば十分である。
ゆくゆくは八人が千人に、千人が一万人に増える。友人から一目置かれる。教授からも褒められる。美女ともお近づきになる。どうも自分の人生のこれからの変わりようを思い、伊太郎はごくりと唾を飲み込んだ。
それから三ヶ月あまり、投稿はついに百を超した。ところが輝く未来はいっこうに来ない。フォロワーは二十五人に増えた。二十五人ではまだクラスの人数にも満たない。軽一郎は気を悪くしている。「火がつかないのはこれ、君の写真がいけないんだ」などと写真のせいにしてきた。
「写真がいけないってのは、どういけないんだ」
「知らんよ。僕だって別に写真の専門家じゃないんだ。ただいけないものはいけない。近頃はテレビでもマリトッツォをやることが増えた。マリトッツォを売っている店がインスタをやるのも見かける。そういうのを見て勉強するがいい。人間万事、勉強すればなんとかなるもんだと民俗学の深淵先生も言っていた。先生もユーチューブで、エミューと一緒に暮らす女の動画を日々熱心に観ておられる。そりゃ何ですかと訊いたら、何これも勉強さと答えた。勉強ってのはそういう地道なもんだ。しかも表面上からは意味合いが見えにくいもんだ」
そうしてまた三ヶ月が過ぎた。従来の仕方を改善し、写真に自分の指が写り込まぬようにした成果だろう、フォロワーはどうにか百人に達した。しかし百人を超えたらあとは倍々で増えるもんだと聞いていたが、別段増えそうにもない。
伊太郎は少し嫌になってきた。このごろは街でマリトッツォを見かける機会も減ってしまったから、探すのにも足労を要する。みなマリトッツォのことは忘れてしまったように見える。数年で本当にマリトッツォが大人気になるのかどうか、軽一郎の社会学は果たしてちゃんと研究しているのかしらん。
それからまた三ヶ月、すなわち投稿を始めてから九ヶ月。マリトッツォの写真を毎日撮るのはめっきり難しくなった。どの店を見てもマリトッツォがほとんど消えているからだ。いっときはデパートの催事場にも、コンビニにもあった。今はない。テレビでもやらなくなった。いいねもつかなくなった。伊太郎はすっかり虚しくなった。もうやめてやろうと思ったが、それも癪なので続けることにした。
やがて家でマリトッツォを作り始めた。こうなると当初の目的とはまるで違う気もしたが、もはや背に腹は代えられない。伊太郎は晴れの日も雨の日も作り続けた。作るのは容易い。要するに丸々としたパンの口が開いていて、そこにあふれんばかりのクリームが挟まっていればそれはもうマリトッツォなのである。
終いにはコンビニのクリームパンを買ってきて、包丁で切れ目を入れ、側面を開き、マリトッツォということにしてしまった。百人余りのフォロワーからは特にお叱りもない。どころか普段よりもいいねが多い。世の中はじつに不条理だ。ならばもう何でも良かろうと、マクドナルドでハンバーガーを買ってきて、具の肉をはみ出させることでマリトッツォと呼んだ日もある。
しかし、これを十日ほど繰り返したところではたと伊太郎は我に返る。どうもこれではマリトッツォに申し訳が立たない。今や世間からはとんと消えてしまった分、あの世ではさぞ悲しかろう。伊太郎は急に胸が締め付けられる思いがした。今日日、マリトッツォのことをこれほど日がな一日考えて過ごしているのは自分くらいのものに違いない。その自分がこの体たらくでは恥ずかしい。
伊太郎は心を入れ替え、マリトッツォを売る店を再び探すことに決めた。難しいスマホもどうにか駆使した。好きなもののためにこれほど心を砕くのは初めてである。くだらぬ自分でも何かの役に立てるのだと、伊太郎は嬉しかった。
◆
ある日インスタグラムにダイレクトメッセージが来た。なにやら鎮魂だとか儀式だとか書いてある。気味が悪いので軽一郎に見せた。すると「こりゃ普通に考えればスパムだ。つまり悪党だ。しかしこの相手はプロフィールに何がしかの理事長だと書いてある。知らん名だが、しっかりした身分のあるやつだろう。民俗学の深淵先生が知っておられるかもしれないから見せてくる」と言って先生のもとへ飛んでいった。今度は深淵先生を引き連れて戻って来るやいなや、「やはりこれには対応すべきだ」と念を押してくる。
「先生はこの人物をご存知ですか。【ゆる募】各概念を鎮魂できる人、なんてプロフィールに書いています。投稿で使っている絵文字や顔文字の調子もすこぶる怪しく思えます」
「君はまったく愚の極みだ。若いね。本質を見誤っちゃいけない。SNSの文体が駄目だからって、必ずしもそいつを判断すべき材料にはならないさ」
「そういうものですか」
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