まじめな話
カウンターで酔いどれるオニイチャンは、3杯目あたりからお喋りに弾みがつく。
行く宛てのない彼のお喋りを、無の境地で聞き流すラーメン屋の大将。
「あいつはサーフィンやらせても絶対ヘタだろうな」
とよもぎの耳元で呟く。
確かにオニイチャンは波には乗れないタイプであろう。
さざ波一つ立たない静かな水面の上にガムシャラに立とうとする勇気は素晴らしいが、杯を重ねていくと、他所の席で交わされる赤の他人の会話の端々も彼の鋭敏なセンサーに引っかかるようで
「あのですねー。それについてはおもしろい話がありまして」
と人生観を語らうような真剣な会話の真っ只中に、グラス片手に乱入しておもしろい話を提供しようとする。
これまた周囲の誰もが凍りつくタイミングなのだから、オニイチャンの波待ちは計り知れない。
そんな酔いどれオニイチャンは突然
「まじめな話…」という枕詞で始まる不思議な話を繰り広げる。
カウンターにひしめく常連の肩がワナワナと震え始める。
あらゆる会話の冒頭にこの枕を乱発するオニイチャンが面白すぎて"まじめな話"はオニイチャンの繰り広げる不思議な話の隠語として、ラーメン屋の流行語大賞を飾った。
10席足らずの狭いカウンターの世界で日々トンデモネタを提供してくれるオニイチャンは誰からも親しまれる存在。
しかし彼の人気ぶりは、いつも当人が居ないカウンター上で語られることが多い。
アニメ、ゲーム、舞台、小説、歴史、映画、登山など様々な分野に造詣が深いオニイチャン。
シラフの時は趣味人が喜ぶ話題を提供してくれるのだが、常連組は彼とまともに語える時間が儚い数刻と悟っているので、彼が何杯グラスを空けたかを確認しながらコミュニケーションをとっている。
しかしヘベレケも完全体と化した彼のフィールドにうっかり足を踏み入れた新参者は、魑魅魍魎の世界へ引きづり込まれてしまう。
「まじめな話、キミはどんなアニメが好きなの?」
と初見の相手が年の離れた女子大生だろうがセクハラも疑わずに突き進む。
焼酎グラスを鳴らしながら、物腰の優しい眼差しで会話を進めるので、新参者は彼を善良な知識人だと錯覚する。
オニイチャンと新参者の密な空間をこっそり観察していると、女子大生がオニイチャンとの会話を持たせようと話題を捻り出すところから始る。
「アニメですかぁ。あんまり詳しくないですけど…ルパンとか好きですよ」
彼は相手の投げたボールが優しさとは汲まずに、人知れずコツコツと蓄えた知識の中から、ルパン三世にまつわる情報を漁り始める。
「君の言うルパンとは宮崎ルパンなのか、オリジナルのルパンなのでしょうか。」
「えっ!?」
「そもそもルパンは平気で人を後ろから撃ったりする様な人間ということを知っていますか?」
「はっ!?」
※冒頭の「あまり詳しくないですけど」という彼女の台詞は彼の耳には擦ってもいない。
何度も質問を被せながら、何も引き出さない内に陽気に会話の枝葉を伸ばし、派生した蛇足話に夢中になる。
「……。そうそう……。そんなオリジナルのルパンは、捕まって数年牢屋に入ってたこともあるんですよ。知ってました?」
「はあ。」
「まじめな話、俺は宮崎ルパンをルパンだと思っている人に言いたいんですけど〜。まあもっと色んな作品を読みこんで欲しいなっていう話なんですけどねえ」
「そうなんですねぇ」
「まあ所詮は酔っぱらいの戯言なんだけどね。」
ミモフタもない言葉で締めくくられるまじめな話は大抵
そもそも論
本編より長い蛇足話
回りくどい批判
所詮話
の4小節に分けられ、数々の章が命題を失ったまま終わる。
一体何の会話をしているのだろうか。
誰と会話をしているのだろうか。
と考えれば考えるほどに、無意識に新参者の表情は菩薩に近づいていく。
30分も聞けば、壊れた文化放送だと気づき、電源を切ることができずに窮した女子達が目線を外して助けを求めるので。
「まともに聞かなくていいからねー。」
「どうせ全部忘れちゃうからー」
と、そこかしこでオニイチャンへの耐性を植えつける為のお助けワクチンが注入される。
最後はカウンター越しに大将が
「オニイチャン!もう7杯だから帰っていいよ!」
「それから君ね。気をつけた方がいいよ。この人8杯以上飲むと君の座ってる席の後ろでひっくり返ってオシッコ漏らしちゃうから、まともに付き合っちゃダメだよ。」
と耐性どころか、絶句する濃度のカウンターワクチンが発射される。
こうして沈み逝くオニイチャンのまじめな話を、誰もが全ての感情を飲み込んだ表情で、目線を逸らさずに聞き流せる様になるのである。
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