人間
人間とは何なのだろうか?
立教大教授の奥野克己氏著書『絡まり合う生命 人間を超えた人類学』を完読。非常に興味深い一冊であった。
本著では、自然と共生している民族の具体例を見ながら、少しずつ人類学の話に発展していく構成になっている。その中で、人間のみ、自然のみという二項対立的に物事を考えて学問を進めても、説明できない現象も多くあり、また思想的な観点からも豊かになりにくいことが述べられている。その中で、アニミズムへの回帰的な話であったり、近年発展してきているマルチスピーシーズ民族誌という新たな学問分野の話についての成り立ちも記述されている。
本著は、初めて出会う思想が数多くあったため、理解度としては半分にも満たなかったかもしれないが、色々な着想を得ることが出来た気がする。最も印象的だったのは、世の中は生成のプロセスで成り立っているという概念であった。
確かに、人の身体一つとっても常に細胞の分裂と再生成が行われており、食事として接種した栄養分の代謝が細胞や細菌叢でなされ、そこには呼吸により取り入れる酸素と、排出する二酸化炭素の出し入れも重要である。全てが確率論的に、分解も含んだ生成のプロセスで関係性が紡がれている。
本著では、エンタングルメント(絡まり)、不在の重要性、関係性の記号化、などの概念も含まれている。これらの話を読み進めながら、量子科学との繋がりも感じずにはいられなかった。量子科学の重要な概念は量子もつれ(エンタングルメント)であり関係性の話である。量子の存在確率は行列で表される。確率と不在の話(シュレディンガーの猫)や、行列という数式に記号化できるという点でも類似性を感じた。ミクロでもマクロでも、偶発的な関係性と生成で成り立つということなのかもしれない。
読後に少し思ったのは、人間もある特定の関係性を長周期で成り立たせるための場であるように感じた。その関係性が成り立つには、人間だけの意志では難しく、人間以外の生物や植物、無機物にも意志や精神があってもおかしくはないように思う。食物連鎖という広大な範囲・場で起こりうる持続可能な生態系というものは、何等かの意志が感じられるようにも思う。
現代社会で、人間はかつてないほどに増えすぎ、テクノロジーの発展を伴う短周期での破壊と生産が連日繰り広げられている。持続可能な生態系が成立する周期よりも早く破壊が起こってしまうから定常化が出来ない状態だと考えられる。そのような中で、関係性を元に、人間と動植物や自然とのあり方を見直す本著のような学問や哲学は、大きな社会課題解決には重要なのだろう。今回理解しきれなかった部分も含め、もう少し勉強しながら考えを深めていければと思う。