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成城大学文芸部機関誌『萬屋夢幻堂』第100号巻頭作品「夢と幻」

はじめに


「夢と幻」は、《ますく堂なまけもの叢書》発行人が、2024年に25周年を迎えた成城大学文芸部の機関誌『萬屋夢幻堂』の第100号に寄せた作品です。
この第100号を初頒布する2025年1月19日開催の文学フリマ京都にあわせて、巻頭作でもある拙作の冒頭を試し読みとして公開いたします。

「夢と幻」は、あらゆる表現物がインディーズへと移行した近未来(?)に、それでも権威を必要とする人々のため文芸誌と文学賞を維持し続ける長命種カップルを描いたSFBL小説です。
ほとんどがセックス描写なBLが記念すべき100号の巻頭でよいのか、と思わないでもないですが、異端BL好きの作者としてはなかなかよく書けたと思っております(笑)

関係者中心に頒布される少部数刊行の機関誌ですので、公に手に入れられる機会は、ひょっとすると今回だけかも……

「文学フリマ京都9」にお出かけ予定の皆様、ちょっとでも刺さるものがあったな、と思われましたら、是非、当ブースへ遊びに来てください!


「夢と幻」

【夢】

 幻さんはいつも修羅場の中にいる。
 彼が営む老舗出版社は合計五つの文芸誌を擁する。純文学、エンタメ文芸、ジャンル小説誌が三種。発行部数は少ないが、それぞれがそれなりに長い歴史を持っており、文学賞も主催している。だから、幻さんは常に受賞作を選んでいる。公募をし、下読みに配り、自分も読み、あがってきたものを選考委員に配り、選考会を開き、受賞作を決めて世に出す。これを五回くりかえしているとあっという間に一年が過ぎる。受賞作の単行本化も、文庫へのサイズダウンも、すべて幻さんの仕事だ。賞の歴代受賞者と選考委員の本だけでも一年で百冊くらいは世に出さなければならない。それでも赤字で、それでも、応募数は増え続ける。あらゆる点で自前のメディアとしての出版が可能な時代において、それでも「プロの作家」を生んでくれる、その資格を与えてくれる「出版社」を、一定数の人々は熱望し続けている。

 夢は、そんな幻さんが文芸出版を続けられるように隣のデスクでせっせと雑誌をつくっている。美容系の動画配信者をやっていた時期があるので、ファッションやコスメをテーマにしたビジュアルマガジンが得意だ。というか、そんなものしか売れない。漫画は完全にデジタルに移行して、紙で欲しいひとは各自オンデマンド印刷にて愛蔵版をつくるしかない。週刊誌や各種情報誌もデジタルニュースサイトとして読み捨てられる時代がやってきた。そうしたものを収入源として文芸出版をしてきた老舗出版社は、その多くが廃業を余儀なくされた。幻さんが買ったのはそのうちのひとつだ。夢は、そんな幻さんの道楽につきあっている。幻さんは、あと百年は続けたいという。じゃあ、百年、自分も雑誌を作り続けるのだろうか。美しいひとたちが美しいお洋服やお化粧に彩られながら一葉の写真に焼き付けられる。それを綴じて一冊にする。そんな生活を百年も続けられるものだろうか。

 夢は、次の特集について考える。季節にあったお洋服を選びながら誌面をイメージするのは楽しい。アパレル業界はそれなりに健在で、次から次に美しい装いを提案している。その提案に応える美しい肉体を提供するエンターテインメント業界もまた健在だ。いや、むしろ今がもっとも芸能が輝いているときかもしれない。

 雑誌の読者が求めているのは、肉体だ。一般人にとって、もっとも遠い存在となった生身の肉体を、それ故に、人類は今もっとも欲している。

 この世界では、人類は肉体から自由になった。あらゆる身体的差別への厳しい目が向けられるようになった社会。その理想を実現すべく選ばれたのが「徹底的に他者と会わずにくらす生活様式」である。

 いや、正確には誰かには会っている。だが、それが誰かはわからない。コミュニケーションはすべて、仮想空間で営まれる。あなたが肉体労働者だとしても。あなたは、仮想空間における顔見知りの誰かの指示や呼びかけに応えて仕事をする。目の前の現実で蠢く誰かのことなど認識しない。そのひとはそのひとで誰かの指示や呼びかけに答えているだけだ。あなたはただ、自分の仕事をしていればいい。あなたがどんなかっこうで現実にいても責められはしない。誰も、生身の肉体を見ていない。見てはいけない。見て、なにかしらの感想を漏らしてはいけない。それは非常に罪深いことで、もしその過ちを犯せば厳しく罰せられる。

だからこそ、あなたは、自分が見られたい姿で、見られたい場所にいられる。あなたは、あなたの価値観を貫くことができる。あなたはあなたの好きなものをつくり、好きなものを同好の士に向けて発表できる。あなたは明日からでも作家になれるし、映画監督になれるし、漫画家にも、画家にもなれる。タレントにだって、歌手にだって、ファッションモデルにだってなれる。

そして、それで納得できる人には、幻さんも、夢も、必要はない。

夢の雑誌を買う人々は、生身にこだわる人々だ。誰かの夢を仮想の中で実現した肉体にはごまかされない。そうした世界のスターを被写体として雑誌をつくってみたことがあるが、大人気のインフルエンサーをメインに据えた一冊は、絶望的に売れなかった。見抜くのだ、と夢は思った。読者の目はごまかせない。

それからは、生身の美しいひとを探して雑誌にすることにした。夢自身も被写体になることがあった。今、彼の髪色はピンクだ。肩までの長髪だ。細身に見えるけれど、実は筋肉質で、ときに美しい裸の背中を披露する。そんなとき、幻さんはちょっと不愉快そうに眉間に皺を寄せるが、年に一度のヌード特集号に夢がワンショットでも参加するようなことがあれば、必ず三冊以上、ひそかに注文していることを夢はしっかり見抜いている。

ところで──

雑誌は売れる。しかし、その売り上げはすべて文芸に捧げなければならぬ。では、雑誌自体はどのようにつくればよいのか。

雑誌は広告でつくる。広告を出してくれる会社からの出資によってつくられる。

夢が広告をもらってくる会社は、実質的にはたったひとつだ。総合商社JO=FUKUという。あらゆるものを売っているが、肉体を欲する人たちが熱狂的に支持する雑誌に載せる広告はやっぱり肉体に関するものだ。健康食品、化粧品、美容機器、そして、終活のための保険、葬儀、墓地……その広告もどれも凝っている。なるべく生身にこだわって誌面をつくる。この広告をつくるのも基本的には夢の仕事だ。というか、それがむしろ本業だ。

夢の携帯端末が鳴る。本業の事務所にある固定電話の着信が転送されるように仕掛けてある。これを鳴らすことができるのは特別なお客様で、そのことを、幻さんも知っている。

夢は三コール待って応答する。三涯先生からの連絡だとわかる。どうせまた無茶な依頼だろうと思う。幻さんはぼりぼりと大量のミントタブレットを噛んでいる。修羅場のあいだ、彼はこれしか食べていないように思う。ということは、いつも、これしか食べていないということだ。

幻さんは手元の紙束を目で追いながらそっけなく告げる。「夢、気をつけろよ」

夢は「はーい」と手を振りながら去っていく。編集室のドアが閉まるまでは幻さんが目をあげないことを夢はしっかり見抜いている。


※続きは是非、文学フリマ京都にて!

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