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ロシアの村の灯
夜、成田を飛び立って数時間、ウラジオストクあたりだろうか、見下ろすと、ミニチュアみたいな山村の灯が五つほど見えた。灯はかすかにゆれていた。
あのようなところにも人間が暮らしている、と見入っているこちらをあちらもいま見上げていたりして、などと他愛もないことをかんがえながら、異国の夜空を落下傘か何かで舞い降りてみたいと夢を思った。
ターコイズブルーの優しげな目をしたCAが機内を往来している。シートベルトの確認の際に華やかな微笑を浮かべる。
暗い雲のなかに入ったとき、笑みを浮かべながら歩いているCAに水を頼んだ。聴きかえしてきた。もう一度お願いをすると、彼女は眉を寄せた。水は出せないという。ほかのロシア人と思しき乗客には水はおろか酒まで配られている。
どうなっているのかと右を見たとき、並びの日本人が、椅子をリクライニングした。うしろのロシア人と見える屈強そうな男が怒号を上げて背もたれを殴りつけた。男はウィスキーを乗せたテーブルを叩いて怒鳴り散らしている。男の右並びの男も、その右前の男も同じように怒鳴っていた。その日本人はあわてて椅子を真っ直ぐにもどした。CAがやってきてその男たちと二言三言会話を交わし、それからみんなで笑い出した。
あからさまな差別だった。ここは、けれども日本ではない。掟は数あれど、まずはそれだと思った。しかも空の上だ。浮遊する密室の異国。落下傘で降りたとして、山村までたどり着けるだろうか。獣たちの夜行性の目と牙も忘れてはならない。
たどり着けたとして、言葉はどうする。死に物狂いで身振り手振りにあけくれてそのあげく、異文化の谷底で爪に火を灯す日々だけが残され、空を見上げる希望すら失うのではないか。
空路はモスクワまで、まだまだ続く。