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沼にハマった話 ロードバイク チーム編
苔太郎様が書いてくださったイラストに
テンションが上がり
勝負服の
「ジャイアンのトレーナー」を着て
noteを書いている49歳です
お腹の出具合と胸毛が
「本人を見て書いたの?」
と嫁さんが言うくらい
そっくりです(笑)
苔太郎様
ありがとうございました
m(_ _)m
さて今回は
「沼にハマった話 ロードバイク チーム編」です
前回のお話
長い話なので
お時間のある時に
読んでいただければ幸いです(笑)
前回でも書かせていただきましたが
おっさんの自分語りなので
面白くない人には全然面白くない内容です
最初に謝らせていただきます
ごめんなさい
m(_ _)m
それでも私は
自分の過去を振り返るために
振り返った後に自分と向き合い
さらに先に進むため
勝手に語らせていただきます(笑)
それでは
「沼にハマった話 ロードバイク チーム編」
はじまりはじまり〜
大親友Sの結婚式から日本に帰ってきて以降
大親友Sの奥さんは
私とSをサイクルイベントの参加はもちろん
二人でのサイクリングや旅行
飲みに行くことまで
Sと私を二人きりには
絶対させなくなりました(笑)
どこか行くにも奥さん同行です(笑)
あらぬ疑い(男色家)はさらに深まっているらしく
にこやかに対応してくれるのですが
だんだんとSの家にも行きづらくなってきました
そりゃそうよね(笑)
新婚ほやほやの甘い家庭に
毛むくじゃら(もぢゃ〜リーガー)の
おっさんが紛れ込むわけですから(笑)
たぶん私の泊まった布団と部屋は
掃除が大変だったと思います(笑)
醒めない夢を見ているだけさ
(カウボーイビバップ スパイク・スピーゲル 調)
そんなこんなで
その後
大親友Sとの自転車交友は
ほとんど無くなってしまうのでした
(T ^ T)
齋藤一郎またもや
『ぼっちまっしぐら❗️』(笑)
(猫まっしぐら)
悲しいけど…これ…現実なのよね…
(機動戦士ガンダム スレッガー中尉 調)
またひとりぼっちに戻った
齋藤一郎
一人になったら何をするか?
ロードバイクに乗るしか
ないでしょう‼️
(T ^ T)
齋藤一郎はさらなるロードバイクの沼に
ハマっていくのでした(笑)
沼にハマった齋藤一郎が一人で行った場所
・淡路島一周(ほぼ毎週)
・琵琶湖一周(認定書持ってます(笑))
・尾道しまなみ海道
・大阪の淀川沿いのサイクリングロード
(京都ー大阪間)
・沖縄一周(3日がかり)
・四国一周(約1000キロ ゴールデンウィーク中)
(ただし、徳島→高知→愛媛で客から呼び出され
450キロほどで中止)
・千葉の房総半島外回り
(Sと約束していたが結局一人で走行)
・兵庫県のクリテリウム (姫路だったと思う)
(同じコースを何周できるか を競う大会)
とにかくお金をかけず
一人で
一生懸命ロードバイク乗りました
(T ^ T)
泊まりを想定していないサイクリングが多いので
琵琶湖(200キロ)を一周しているときは
日が暮れてライトの充電も切れ
走れなくなってしまい
やむなく
ラブホテルに
スケスケピチピチもっこりパンツの
怪しいおっさんが
一人で宿泊(笑)
受付や
受付で待っているカップルに遭遇して
めちゃくちゃ怪しい目で見られたりと
私はとてもファンキーな体験をするのでした(笑)
サイクリング中に
頭の中で再生されていた曲の上位は
ブリーフ&トランクス様の
「ひとりのうた」
「ペチャパイ」
この記事読んでくださっている人で
この曲知っている人
ぜひ友達になってください(笑)
知らない人は絶対おすすめ‼️
ぜひ聴いてほしい(笑)
強がってはいるものの
仲間と走る楽しさを知ってしまった齋藤一郎
自転車友達が 欲しくて欲しくて・・・
それでも
どんなにフレンドリーを売りにしているチームでも
チームに入る勇気もなく・・・
当時ちょっと気になっていた
「自転車好きって」いう女の子がいて
「ロードバイクガチでやりたい❗️」
って言うから
その子を誘ってサイクリング行ったのですが
淡路島を軽く一周100キロほど走ったところ・・・
それから
一切遊んでもらえなくなりました
(T ^ T)
そして僕は途方に暮れる
by大澤誉志幸
(名曲だぁ・・・(T ^ T))
そんな途方に暮れる 齋藤一郎
いつしか仕事先での話題も
ロードバイクの話ばかり(笑)
お客様はかなり迷惑だったと思います(笑)
そんな中
私の自転車人生を変える
出来事が発生します
私が仕事先で「すごく苦手な人Tさん」から
「ロードバイク興味あるんですよね。
自転車買ったら一緒に走りませんか?」
というお言葉をもらいます
すごく悩みましたが自分の欲望に負け
嫌々一緒にサイクリング行くことに(笑)
そしてサイクリングで意気投合する私たち(笑)
久しぶりの誰かとのサイクリング
そりゃあもう楽しくて楽しくて‼️
Tさんとはその後
二人で土日は何度も
サイクリングに行くことになります
Tさんのロードバイクにハマり方も
凄かった(笑)
社内、社外でメンバーを集め
自転車チームを
作ってしまったのです(笑)
リーダー:Tさん
サブリーダー:私(笑)
(正直ありがた迷惑でした(笑))
あれよあれよと
10人前後に膨れ上がるチーム
チームで参加するイベントや
大会が増えだしました
尾道しまなみ海道
琵琶湖一周
淡路島一周
京都天橋立のレース
大きなサイクリングコースや
お花見コース
景色のいいコースを地図で探し
兵庫県
大阪府
広島県
岡山県
徳島県
香川県
一人で走るより断然楽しい‼️
走った後はもちろん温泉‼️
行った先のグルメを堪能‼️
でも太らない‼️(笑)
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いろんな場所に割り勘で
車に乗り合わせて
お金をかけないように行き
そしてみんなで楽しみました
チームはみんなは
都合の良い時に
ゆるく参加
私は皆勤賞(笑)
リーダーが不在の時は
私がリーダー
ロードバイク乗ったことのない
若いお兄ちゃんに
私の一号機を貸して
ロードバイクの楽しさを
布教したりもしました(笑)
チームメンバーのガチ勢とは
金曜の夕方に集合して
一晩中走り 翌朝一緒に朝食を食べて家に帰る
っていう
12時間以上走る
苦行みたいなこともやってました(笑)
その頃の私
服のサイズはMサイズ
現在は5〜7L(笑)
(しまむら様、サンキ様ありがとう❤️)
この素敵な関係は
転勤先の広島でも続きます
関西のチームメンバーと現地集合で
広島と兵庫のちょうど中間の岡山で合流して
サイクリングにいったりしていました
その後
私の福岡への転勤で
チームのみんなとは会えなくなってしまいました
まあ
その頃には(広島の時)
嫁さんと復縁して
幸せな生活を手に入れてたんですがねwww
Tさんは私が大阪に赴任している間に
チームに無理やり加入させていた
彼女さんと結婚し
とても幸せな家庭を築いておりました
Tさんの結婚式で
私が余興の代表を務めたのは
本当に良い思い出です
Tさんは家も買い
Tさんの家は
チームの溜まり場になっていました
もちろん家族持っているメンバーも
家族でTさんの家に行き
家族ぐるみでのお付き合い(笑)
あんなに苦手だったTさんと
私がここまで仲良くなるとは
夢にも思いませんでした
チームメンバーと仲が良すぎて
嫁さんの嫉妬
特にTさんへの「ヤキモチ」が凄かった(笑)
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まさにこれ(笑)
離れていてもチームはずっと仲間
携帯を見れば
グループLINEは
いつも楽しい報告であふれていました
「定年退職したら
チームのリーダーTさんと
自転車で日本一周の旅に出る」
そう約束をしていました
そんななか
令和6年
私は交通事故に巻き込まれます
相手は
飲酒運転
当て逃げしたうえ
無保険
逃げる相手を追いかけ
渋滞が味方してくれたおかげで
なんとか捕まえ
警察に突き出しました
その際に負った怪我
警察の現場検証の最中
私は痛みに耐えきれず
救急車で搬送されました
救急車で運び込まれた病院は
従姉妹が勤務する病院
そこで発覚したのは
「アキレス腱断裂」
私は最初は
アキレス腱断裂なんて(笑)
憧れのケガができた(笑)
とか言ってたんです
でも
甘かった・・・
怪我は一向に治らない
それどころか
傷口が開き
腫れあがり
大量出血するようになり
痛みで足を地面につけなくなりました
それでも病院の判断は
入院は必要無し
通院のみ
開いた傷口から
アキレス腱と縫合した糸が見え
その傷口を自分で処置する毎日
私が何を言っても
「大丈夫❗️大丈夫‼️」
しか言わない医者
信じられなくなって
「いくらお金かかってもいいから
もう一度ちゃんと検査をして欲しい‼️」
と直談判
MRIでの再検査をしたところ
検査結果を見た医者は
「アキレス腱 変性(壊死)してるから
またアキレス腱切れるかも(笑)」
「大丈夫❗️アキレス腱なくても歩けるから(笑)」
(アキレス腱がなくなると歩けますが
つま先立ちができなくなり 走れなくなります
ビンディングペダル(足を固定してつま先で漕ぐ)
ロードバイク乗りには致命傷となります)
あ・・・
だめだこいつ
医者だってダメな奴いるんだな・・・
従姉妹がいるから訴えることもできない・・・
そう思い
ネットで足の怪我の治療に有名な病院を調べ
相談したところ
その病院でも
私の症状は治療が難しいとのことで
その有名な病院から
優秀なお医者様をご紹介いただきました
「自分のところの利益を考えず
自分の病院に所属している医師よりも
この先生なら間違いないと紹介してくれた」
その行為にとても感動して
感謝したのを今でも覚えています
紹介してもらった病院に早速連絡を取り
「転院には紹介状が必要」とのことで
通院中の病院に
紹介状を書いてもらったのですが
私が相談した時に見せた
ダメな医者の
「やっと厄介払いができる(笑)」
って安心した顔
悔しくて今でも記憶に残っています
そんなこんなで
意気揚々と
優秀と評判の医師を訪ねて
受診したところ
優秀な医師から
さらっと
「あ・・・ダメですねこれ・・・
なんでもっと早く来なかったんですか?
すぐ手術します
歩けるかは保証できません
最悪足の切断を覚悟してくださいね」
険しい顔で淡々と告げられました
本当に目の前が
真っ暗になりました
悪いことは重なるもので
嫁さんも手術と入院を控えており
その手術に立ち会いたいと伝えるも
「あなたの方が深刻だ」
と説得され
嫁さんにそのことを伝え
嫁さんの手術は
実家の家族に付き添ってもらうことに
茫然自失のまま
入院して緊急手術
1回の手術では治りきらないため
1回目の手術はアキレス腱周りの壊死部分を除去
ある程度時間をおいて
2回目の手術でアキレス腱をつなぎ直す手術を
行うとのこと
退院時期は未定
治るまで病院に
ずっと入院しなければならない
場合によっては足の切断
その後に義足のトレーニングで
さらに長くなるかもしれない
とのことでした
私は会社を休職し
治療と療養に専念しました
人生の「大きな夏休み」の始まりです
嫁さんの病状を心配しながら
回復の見込みが立たず
先の見えない不安や
足を失う不安と戦う日々
Tさんと約束した
日本一周無理だなぁ・・・
嘘つきになってしまうなぁ・・・
またあのチームで走れないのかぁ・・・
と悩む毎日
私はほぼ毎日通知が来る
自転車チームのグループLINEを
見ることができなくなりました
LINEに一切反応しなくなった
私を心配して
さらにLINEが来る
悪循環でした
優しさに追い詰められる私
チームでは
いつも笑顔だった私
その私がこんな状態とは
チームのみんなには
どうしても言えず
私はTさんだけに
足の切断を伏せて
LINEをおくりました
その時のLINEです
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Tさんが返信してくれたLINEを見て
病室でこっそり
私は泣きました
それからグループLINEは
私への連絡は一切無くなりました
きっとTさんがうまく説明を
してくれたんだと思います
入院して
しばらくしてから
2度目の手術を終え
私の足は切断を
しないで済みました
私は心の底から安堵しました
それでも
足の状態がかなり悪いため
入院は長期となりました
入院中に
なんとか
立ち上がり
歩けた時の喜びは
今でも忘れません
その後
一時退院し
別のケガが入院中に発覚したため
再入院
アキレス腱の治療とリハビリ
を継続しつつ
肩の手術と治療、リハビリを
同時進行で行う事になります
入院中のリハビリで
エアロバイクを漕いだ時
私はもう一度自転車に乗りたい
と切に思いました
休日の自主練時間に
エアロバイクを独占して2時間漕いで
リハビリの先生に怒られ
リハビリ室を
出禁にされそうになったのも
良い思い出です(笑)
入院期間は通算約4ヶ月ほどになりました
以前記事に書いた
足を切断した彼とは
最初の入院の時から
何度も顔を合わせていました
彼を見るたび
とても複雑な気持ちになりました
ああ・・・
私は自分のことしか
考えていなかったんだなぁ
彼に気持ちを向けれるようになり
私はとても反省をしました
彼が義足をつけて歩いている姿を
微笑んでいた顔を
見た時の喜びは
まるで自分のことのようでした
そして今週
私は医師から
無理をしなければ
ビンディングペダル付きの
ロードバイクに乗っていいと
許可をもらいました
通院にや買い物に
ビンディングペダルを外した
ロードバイクで行っていたのですが
足が不自由な私にとっては
ビンディングペダルを外した
ロードバイクは
スピードが出せない
ただの乗りにくい自転車でした(笑)
嫁さんのクロスバイクの方が
普段使いならかなり楽です(笑)
今週いよいよ
本格的にロードバイクに
乗るつもりです
今から少しずつ
ロングライドになれて
100キロ走れるようになったら
私は
ロードバイクのチームに
LINEをするつもりです
にっこりの絵文字をつけて
「ただいま」
って
その事を考えると
私は自然と笑顔になってしまうのです
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いつも笑顔でファンキーに!
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