空の青さを知るものよ
早く終わればいい
と言う言葉を呟くと
涙が出るような
ぎりっとした感じがして
やっと終われる
という死生観にも似ているなぁ
と、思ったりします
生きることを選択した
という自覚のようなものがあって
ならば
幸せになる事は
義務だよね
と、思う
幸せとは何か
こういうのを幸せと言う
という定義のようなものは
周りからたくさん
仕入れられたりする
本当はそれを
自分専用にカスタマイズ
しないといけないのだけれど
そこに四苦八苦したりする
タイムラグ
それ
が、自分にとっての幸せとなるまでの
タイムラグのようなものも
きっとあるのだとも思う
少し前の私にとっては
ここ
けれど
今となってはもう違和感でしかなくて
かといって
馴染んだそれを
否定するのもまた違うと思う
ハザマ
空の青さを知るものよ
深くて暗い井戸の中
ふと見上げれば
そこには青空
それを
幸せと思うのか
井戸の
暗さと深さに嘆くのか
幸せと思え
というコトではなくて
暗さと深さ
という痛みを知れ
というコトでもなくて
ただ
選択肢が
増えただけなのだよ
と、ふと気づく
何故なのか
新しい選択肢を知ると
選ばなくては
って、つい思ってしまう
知らなかった新しい世界を知った時
自分が井戸の中の蛙である事を
知って
悲しく思ってしまうのと並行して
「何処の」井戸の蛙になりたいか?
で、考えたらいいのかな
と、今思う
鉢植えの
花が枯れてしまう前に
土の中の
根っこが腐ってしまう前に
井戸の外から
井戸の底を覗き込めば
きっとそこにも
青空が
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