朝潮を汲む母〜母の日に寄せて〜
はじめに
大分の作家松下竜一に『豆腐屋の四季』という作品があります。
私の物心ついた頃、母が豆腐屋をしていたので、この作品を我がことのようにむさぼり読んだことを憶えています。
私には妹が1人、弟が3人もいて、食い盛りの5人の子らを抱えて母も大変でした。母は父の乏しい収入を補うために豆腐屋を始めたのです。
豆腐の作り方
母が作っていた豆腐は木綿ごし硬めの豆腐で、沖縄ではこの豆腐が主流でした。
それでは、この豆腐の製造の工程を思いつくままに述べることにします。
まず大豆を天日に干して中の異物を取りのけ、大豆を水に漬けます。そしてこの大豆を母が午前2時頃から起き出し、石臼で大豆を挽いて布で漉します。
布で漉した大豆汁、いわゆる豆乳を大鍋に入れて火にかける準備をしてから、母は潮汲みに出かけます。
海までの距離は2キロほどだったと思いますが、母は汲みたての潮を桶に汲み入れ、頭に載せて帰ってくるのです。
帰宅した母は、かまどに火を入れ、豆乳が煮立ってくると、汲みたての潮を鍋に入れます。
すると、鍋の中の豆乳は黄色味を帯びたおぼろ豆腐(沖縄では「ゆし(寄せ)豆腐」と言います。)になります。
おぼろ豆腐を杓子で汲み、木綿を敷いた箱に流し入れて固めると、豆腐が一箱出来上がりです。
出来上がった豆腐を長方形の販売用の箱に移して、母はそれを頭に載せ、朝の町へ豆腐を売りに出かけます。
売り終わって帰ってくると、また翌日の豆腐作りの準備に入るというのが豆腐屋の次第です。
これが我が家の母の豆腐作りの工程です。
豆腐を固めるため海で潮を汲む
何と言っても圧巻なのは、浜辺での潮汲みです。潮が桶からこぼれないよう桑の小枝をかぶせて運んでいました。
後年、森鴎外の『山椒大夫』の中に姉の安寿の潮汲みの場面が出てきた時、母の潮汲みの記憶とが重なり、感慨にふけったものでした。
母への思い
母が手間ひまをかけて作った豆腐の乏しい収入から、私は教科書代をもらって学校に納めていたことを今でも鮮明に憶えています。
この母も6年前に100歳の天寿を全うしました。
私も母の血筋を受けているので100歳を目指そうと思っております。
潮汲みの安寿の桶は流されて由良の波間に浮きつ沈みつ(短歌)
大鍋にたぎる豆乳朝潮を注げばあらら湯豆腐乱舞(短歌)
豆腐屋は三食おからがんもどき(川柳)