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「ペンキを塗ったデザイン」という話
「ペンキを塗ったデザイン」という話
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先日、某コンビニエンスストアで冷凍食品の「具付き醤油ラーメン」と「具付き味噌ラーメン」を買ったのですが、一目でどれがどれか判断できませんでした。
こうした意匠(デザイン)を、バウハウスでは「ペンキを塗ったデザイン」と言います。#blackjoke
「誤つ」動線をひく意匠(デザイン)をしてはいけないのです。
※関係者の方ごめんなさいね。人格ではなく仕事を批判しています。
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このなかから「具付き醤油ラーメン」と「具付き味噌ラーメン」を選んでみましょう。
困難です。前述のように私は判断できませんでした。
コンビニエンスストアで搬入を確認する際も煩雑ですし、商品を誤って陳列してしまいますし、お客さんが選ぶ時も間違えて購入してしまう可能性が高いです。
それよりまず「何の商品」であるのか、視認できません。一目でそれが何か判断できない意匠(デザイン)は無意味です。
買い間違えたら絶対にクレームが入ります。アレルギーを考えたことがあるのでしょうか。「ペンキを塗ったデザイン」は人が死ぬデザインです。
それぞれの商品が「どういった経緯で制作されたのか」そうしたことを伝える必要はありませんが、知っておくべきです。
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意匠(デザイン)で参考になるのがサンヨー食品のサッポロ一番です。三種の味別に麺も三種類違います。名称の法則が「しょうゆ味」「みそラーメン」「塩らーめん」というように違っています。
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昔は煙草の意匠(デザイン)で勉強したものです。
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"JOB"は紙巻き煙草そのものではなく、煙草の葉をつつむ紙のブランドです。
そういえば、横溝正史の『獄門島』に三省堂のコンサイス英和辞典で煙草を紙巻きする話があります。
調べると、その辞書の紙(インディアペーパー)のモデルが紙巻きだったというオチでした。
cf.
雪朱里「第16回 【コラム】インディアペーパーの開発」
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/benton16
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統一した意匠(デザイン)というのは、時に醜悪です。
「ペンキを塗ったデザイン」は単純にペンキを塗りたくっただけです。小さい器量の意匠(デザイン)に商品をあてはめただけですから。
※関係者の方ごめんなさいね。人の器ではなく意匠の器を批判しています。
ミケランジェロ・ブオナローティのシスティーナ礼拝堂天井画(Volta della Cappella Sistina)を観たことがないのでしょうか。
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意匠(デザイン)は遠くから観ても「それ」と解るものでなければなりません。反転しても、モロクロームになっても「それ」でなければならないのです。
今回の場合、実物大の印刷物にはしていると思われます。
(それさえしなかったのなら、信じられませんが……。)
実際の商品を入れたりしたのでしょうか?
(それは解りません。)
ただ、言えることは、実際の商品を入れた意匠(デザイン)を陳列して確認しなかったのです。
断言しましょう。「陳列して確認しなかった」のです。
車のデザインであれば、モックアップ(実物大の模型)を制作します。
そして、走行テストします。
つまり、「陳列して確認しなかった」のですから、「走行テストしないで売った」ということです。
そんなもの誰が買うのです?
広告の失敗でいえばフォード・モーター社のエドセルがあります。
(エドセルの失敗は広告だけではありませんが……。)
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製造→小売→商品←購入者
メーカーは商品をとおして購入者の笑顔をみるだけのことです。矢印は購入者以外一方通行です。
意匠(デザイン)をする人が、商品をとおして購入者の笑顔をみるということをしていないと、こうした器量の狭い意匠(デザイン)になってしまいます。
よく見てください。それぞれの意匠(デザイン)は細かくていねいに仕上がってはいます。
けれど、それをお客さんにさせるのは酷です。
ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂を描いたように、ずっと上を見させるつもりですか?
そうした購入者の動線を過つような意匠(デザイン)をしてはいけないのです。
そして、意匠(デザイン)をした人に聞きたいです。
「ぜんぶ食べましたか?」
アレルギーはない人なのでしょう。あれば、自分の意匠(デザイン)に過ちがあることを知ったでしょうね。#blackjoke
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