「責任能力の有無」という話
「責任能力の有無」という話
亡くなられた方のご冥福を祈ります。
#京都アニメーション放火殺人事件
もう四年ですか……。亡くなった人があまりにも多いので、慎重にならざるをえないとはいえ、日本の裁判は長いですね。
平和を祈りつつ、少し考えてみましょう。#千里同風
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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。
という話は、調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。
※本当はノワール作家です。
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住居不法侵入して、殺意をもって、放火して、複数人を殺めたら、まず死刑です。
日本ではどのような事件であれ(このような凶悪犯罪であっても)適切に刑事手続が行われます。
たとえ判決が死刑以外ありえないとしても、さっさと進めることはできないのです。
必ず裁判が行われ、被告人には弁護士がつきます。←絶対!
今回の裁判の争点は、責任能力の有無だけです。
ふつうの刑事裁判でしたら、犯人性や故意性、量刑などが争われます。
※他にも行為概念とか、作為/不作為とかややこしいのがあります。#blackjoke
本件の場合は、犯人性や故意性、量刑が争点になることはありません。
まず、犯人性ですが、被告人が認めていますし、まず本人に間違いないでしょう。
故意性も同様で動機や殺意があったと、被告人が認めています。
量刑は、情状酌量の余地はないですから、弁護士としても争えません。
つまりは、責任能力の有無しか問えないということです。
そして、責任能力がなかった場合は「無罪」しかないので、それを求めているだけのことです。
※責任能力が限定的であったとして、それにより減刑されたとしても無罪よりは重くなるので、軽いほうを求めます。
弁護士は「無責任に何がしかを求めている」訳ではありません。
荒野で銃をもっていない状態です。
※バールのような何かを持っている可能性がありますが。#blackjoke
(自分で頭を殴るため。#blackjoke)
まあ負けます。
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一方で、どうして「あんなやつを弁護するんだ」とか「責任能力を問うな」とかいった意見があります。
それは被告人の権利だからです。
もし私たちが、まったくの無実の罪で訴えられたらどうでしょうか。
自分以外の誰もが「お前がやったんだ」「証拠もある」と勝手に刑事手続きが進められてしまったら?
刑法(刑事訴訟法を含む)は被告人を守る法律でもあるのです。
たとえば、ある日とつぜん自分の意思とは無関係に、変な薬を飲まされて人を刺してしまった場合はどうでしょうか。
犯人は自分ですが、動機も殺意もありません。ふつうの思考をしていませんから、責任能力がありません。
この場合でもたんたんと裁判は行われます。
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ご高覧、感謝です。 サポートによる調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。 ※虚構も少なからず入っています。