光る君へ(43)志を追いかける者が力を持つと志そのものが変わっていくとはどういうことか考えてみた・大河ドラマで学ぶ脚本テクニック
大河ドラマ「光る君へ」が面白い。ということで、「「光る君へ」で学ぶ脚本テクニック」と題した動画を作っていくことにしました。動画といっても内容はスライドとテキストなので、noteにも載せていきます。今回は第43回の学びポイントです。
今回の学び:人は変わる
今回第43回は、脚本的に前回第42回の「返歌」になっています。
前回が涙を誘う傑作回だとすると、今回は知性を揺さぶる「神回」です。
なぜそんなことが言えるのか、詳しく解説します。
今回の脚本的なテーマは「人は変わる」ということだと思います。
前回第42回で私たちが涙したのは、「変わらないもの」に対してでした。
若い頃の「約束」や「志」を忘れることなく生きようとするまひろと道長の姿に、生死を超えて変わらぬ愛の形を見て、私たちは心を揺さぶられました。
逆に言うと、私たちが泣いたのは、現実ではそういう生き方が非常に難しいからです。
「約束」を守り続けることも「志」を貫き通すことも、現実の人生ではたやすいことではありません。
だからこそ、「約束」や「志」に殉じようとする主人公に涙したわけです。
ところが、今回の脚本は、前回の甘い興奮が冷めやらぬ私たちに、目覚めのカウンターパンチを浴びせるものでした。
人は変わる。それが現実だ。
今回の脚本は、前回のロマンに、そういうリアルを突きつけます。
前回は心地よい夢を見せておきながら、なぜ今回はあえて味気ない現実を見せつけるのでしょうか?
それを考える前に、「人は変わる」という統一テーマで描かれた今回の5シーンを振り返っておきましょう。
道長✕実資
まずは道長と実資のシーン。
三条天皇に譲位を迫る道長を、実資が諌めます。
すると道長は言います。
それに対して、実資はこう返します。
しかし 道長には、このセリフの意味がわかりません。
このシーンは完全に、前回の川辺のシーンへのアンサーですよね。
ロマンチスト道長には、リアリスト実資の言っていることが理解できないのです。
その戸惑いは、私たち視聴者と似ているかもしれません。
「前回はあんなに感動的だったのに、今回は妙に理屈っぽいな…」
そういう感想を持ったのは、私だけではないと思います。
敦康✕彰子
シーンは前後しますが、敦康親王と皇太后・彰子のシーン。
妻を娶って落ち着いた敦康は、彰子に言います。
このセリフには、敦康親王自身も変わったというニュアンスが込められています。
ふたりは、過去の因縁を忘れて笑い合います。
まひろ✕彰子
それから、まひろと彰子のシーン。
父・道長のやり方が理解できないと嘆く彰子に対して、政とは大変なものなのだと、まひろは道長の肩を持ちます。
前回の川辺のシーンを経て、まひろの道長に対する理解が変わった。
そういうセリフです。
倫子✕道長
さらに、倫子と道長のシーン。
倫子は、政を理解しようとしない息子・頼通を諭した後、道長にこう言います。
倫子なりに政を考えてきた結果、彼女は大きく考えを変えた。
そういうセリフです。
隆家✕ききょう
そして最後は、隆家とききょうのシーン。
太宰府への赴任が決まった隆家は、挨拶のため脩子内親王とききょうを訪ねます。
おそらく久しぶりに会ったのであろうききょうに、隆家はこう言います。
それに応えて、ききょうは穏やかな表情でこう言います。
月日がききょうを変えた。
そういうセリフです。
人は変われる
こうやって5つのシーンを並べてみるとよく分かりますが、最初の実資のシーンを除く4つのシーンで今回の脚本が言っているのは、「人は変わる」というより、「人は変われる」ということだと思います。
「人は変わる」と言う場合は値判断を含みませんが、「人は変われる」には前向きなニュアンスがあります。
それは、「執着」という言葉で説明すると、よく理解できると思います。
彰子も、敦康親王も、まひろも、倫子も、ききょうも、皆、非常に穏やかな顔で自らの変化を語りました。
なぜなら、「執着」から開放されたからです。
月日が「執着」を断ち切り、それぞれが自分を取り戻すことができた。
4つのシーンがあらわしているのは、そういうことです。
人は変わってしまう
一方で、リアリスト実資が言っているのは、「人は変わってしまう」ということです。
「志」に執着する者が力を持つと、執着それ自体が目的になってしまい、「志」の中身が変わっても自分では気づかない。
実資が言っているのは、おそらくそういうことなのですが、ロマンチストの道長にはまったく理解できないのです。
その姿は、いつまでもロマンチックな気分に浸っていたいと願う私たちに似ています。
しかし、料理でもそうですが、本当の味わいというのは、複雑な組み合わせによって生じます。
第42回で「変わらない」ことのロマンチシズムを描き、その直後に「変わる」ことのリアリズムを描くという脚本の振れ幅、私はこれに圧倒されました。
実に深いというか、立体的というか、甘いだけのエンタメで終わらせず、古典文学のテイストに正面から取り組もうという意志を感じる大人の脚本だと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
背景画像:
From The New York Public Library https://digitalcollections.nypl.org/items/510d47e3-fe62-a3d9-e040-e00a18064a99
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