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光る君へ(39)なぜ惟規はタメ口なのか考えてみた・大河ドラマで学ぶ脚本テクニック

大河ドラマ「光る君へ」が面白い。ということで、「「光る君へ」で学ぶ脚本テクニック」と題した動画を作っていくことにしました。動画といっても内容はスライドとテキストなので、noteにも載せていきます。今回は第39回の学びポイントです。


今回の学び:タメ口の意味

今回、まひろの弟・藤原惟規)が亡くなりました。
その愛すべきキャラクターを改めて振り返り、追悼したいと思います。

惟規が素晴らしいキャラクターになったのは、演じる俳優・高杉真宙さんの好演につきると思いますが、脚本的には、惟規のまひろに対するセリフが常に「タメ口」だったというのがポイントだと思います。

当たり前ですが「光る君へ」は時代劇ですから、登場人物のセリフは基本的に文語調で、かつ敬語を使って書かれます。

しかし、惟規は貴族であるにも関わらず、ほぼ現代劇と言っていい口調で、姉であるまひろに「タメ口」をききます。

「現代風タメ口キャラ」は他にも何人か登場しますが、惟規の「タメ口」はそういうキャラたちと一味違うものだったように思います。

ということで、惟規とまひろの最後の会話を振り返ってみましょう。

最後の会話

賢子の裳着を終えた後、惟規はまひろと語らいます。

惟規はまひろの裳着を回想し、最悪だったまひろと為時の関係が年月を経て変化したことに触れて、感慨を込めて言います。

「親子って変わらないようで変わるんだな…」

それを聞いて、まひろが尋ねます。

「賢子と私の仲も いずれよくなるってこと?」

惟規は答えます。

多分ね だって賢子の母上は姉上だけなのだから」

そして、この会話はこう締め括られます。

きっと…みんなうまくいくよ
「何それ…」
よく分からないけど そんな気がする
「調子のいいことばっかり言って…」

言ってほしいことを言ってくれる

これ、母上・姉上という言い回しを除けば、完全に現代劇の、ちょっとホロリとさせる場面の会話ですよね。

惟規のセリフは、娘・賢子との関係に悩んでいるまひろにとって、今最も言ってほしいこと、そのものズバリです。

”多分、きっと、みんなうまくいく、そんな気がする”
曖昧なことしか言わないのは、それがいちばんの励まし、応援だからです。

まひろは今、精一杯のことをやっている。しかしそれでも、賢子とはうまくいかない。そんなまひろに、下手な忠告や余計な心配をしたところで、何の役にも立ちはしません。

時が解決するという、曖昧だけど楽観的で強い肯定こそ、まひろを本当に元気づける言葉です。

「調子のいいことばっかり言って…」というセリフは、弟からこれ以上ない励ましをもらったまひろの照れ隠しですよね。

こういう微妙なニュアンスは、「タメ口」なセリフでないと 表現するのは難しいと思います。

自分を映す鏡

現実の生活で悩んだときや落ち込んだとき、頭の中で「もう一人の自分」を作り出して、自分で自分を慰めたり、励ましたりすること、皆さんはないでしょうか?

そんなとき、鏡に自分を映して、その姿に話しかけたりする人もいるかもしれません。

惟規というのはまひろにとって、そんな「もう一人の自分」「鏡に映った自分」だったのではないかという気がします。

もう一人の自分は、本当の自分とは正反対である必要があります。
鏡の中自分が自分と似たようなキャラクターでは、一緒に落ち込んでしまうばかりで、慰めてもらうことも励ましてもらうこともできませんから。

そういうふうに考えると、第31回の惟規とまひろの会話が思い出されますよね。

正反対のキャラ

第31回、まひろは惟規に尋ねます。

「惟規の自分らしさって何だと思う?」

惟規の答えはこうです。

やなことがあっても すぐに忘れて生きてるところかな」

重ねてまひろは聞きます。

「じゃあ私らしさって何?」

惟規は言います。

「そういうことをグダグダ考えるところが姉上らしいよ。そういうややこしいところ。根が暗くてうっとうしいところ」

まひろは自分自身を映す鏡として惟規を見ている。
この会話にも、そういう感じがあらわれていますよね。

鏡に映るもうひとりの自分。でも性格は自分とは正反対。だからこそ何でも話せるし、うまく励ましてもくれる。
まひろにとって弟の惟規はそういう存在だったように思います。

だからこそ 距離感ゼロの「タメ口」、もう一人の自分と話しているような口調、そういったものが惟規のセリフには必要だったのではないでしょうか。

対照的なきょうだい

ところで、今回第三十九回は「きょうだい」を描く回だったと思います。
惟規とまひろだけでなく、伊周と隆家、彰子と妍子の「きょうだい」も描かれました。

この二組の「きょうだい」と対比することで、惟規とまひろの「特別さ」が際立つ構成になっていたと思います。

最期の瞬間まで道長を恨みながら死んでゆく伊周。
「あの世で栄華を極めなさいませ」
弟の隆家は、そう言って涙を流しますが、道長の前ではそれを隠します。

「怒りも恨みも全て捨て去り、穏やかに旅立ちましてございます」
そう言って、「私は兄とは違います」と、道長に忠誠を誓います。

東宮・居貞(いやさだ)親王の后に決まった妍子は、姉の彰子を訪ね、「東宮は年寄りだ」と不満を言います。

「美しい帝のもとに入内した姉上は幸せだ」そう愚痴る妍子に、彰子は言います。
「宿命にあらがわず、その中で幸せになればよい。きっと、よいことがあろう」

前者は悲劇的、後者は喜劇的な場面なのですが、きょうだいの一方は自分の宿命に不満を抱いて抗い、もう一方は宿命を受け入れて生きようとしているという点が共通しています。

これは、惟規とまひろにもあてはまりますよね。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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From The New York Public Library https://digitalcollections.nypl.org/items/510d47e3-fe62-a3d9-e040-e00a18064a99

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