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なぜ唐丸の天才エピソードに納得できないか考えてみた・べらぼう(4)大河ドラマで学ぶ脚本テクニック
※YouTube動画の台本です。よろしければ動画もご覧ください。
皆さんは今回の唐丸の天才エピソードに納得できましたか?
私は納得できませんでした。
どうしてなのか、詳しく説明します。
ご覧いただきありがとうございます。
この動画は、大河ドラマ『べらぼう 〜蔦重栄華乃夢噺〜』をドラマ的観点から考察し、脚本・シナリオについて学んでいこうという内容です。
毎週木曜日あたりに各回の考察動画をアップしていく予定ですので、よろしければ是非チャンネル登録してご覧ください。
今回の学び:天才唐丸がダメな理由
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今回、蔦重は絵師に描いてもらった下絵を水で濡らして、ダメにしてしまいます。
その大ピンチを救ったのが唐丸でした。
唐丸が元の絵と見分けがつかない模写を描き上げ、蔦重は事なきを得ます。蔦重は唐丸の才能に驚いて言います。
「お前はとんでもねえ絵師になる!」
前回の動画で唐丸というキャラの役割を考えましたが、今回のこのエピソードは明らかに、蔦重と唐丸という「血のつながらない親子」のドラマを描くという今後の展開を見据えてのものですよね。
でも、それは分かるのですが、この唐突な唐丸の天才エピソード、私はまったく納得できませんでした。
その理由を、「キャラクターが持つ能力」という切り口で説明したいと思います。
キャラクターが持つ能力
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第1回で蔦重はいきなり老中・田沼意次邸に上がり込み、吉原の惨状を直訴します。
これはかなり荒唐無稽なエピソードですが、しかし私には納得のいくものでした。
なぜなら、そういうことは「コミュニケーション能力」が高ければ不可能ではないだろうし、そもそも「コミュ力超人」というのが蔦重のキャラだからです。
蔦重の「風を読む」能力も 「コミュ力」の一種といっていいと思います。
第2回の動画で解説した花の井の「演じる力」も「コミュ力」に含まれると思います。
見た目だけの花魁ではメインキャラとして成立しません。
男装の踊りで源内を心変わりさせるエピソードは納得のいくものでした。
それから今回、田沼意次は田安賢丸を、鱗形屋孫兵衛は蔦重を騙して、自分の思惑通りに事を運ぼうとします。
どちらのエピソードも、権謀術数を弄して人を操るわけですから、広い意味での「政治力」と括ってもいいのではと思います。
どちらも「史実」から見ればギリギリを攻めている感じですが、だからこそ面白いエピソードだったと思います。
さらに、平賀源内は意次からの依頼で、吉宗公の文書を偽造します。
これはさらにギリギリを攻めていますが、源内だから許せるというところがあると思います。
つまり、源内にはもともと「万能の天才」というイメージがありますから、その上で見れば彼の能力、いわば「創造力」は、かなり盛っても大丈夫、というわけです。
時代劇の忍者が地面から屋根にジャンプしてもいちいちツッコミむのは野暮ですよね それと似ているかもしれません。
では、今回の唐丸の能力についてはどうでしょう?
謎の少年・唐丸には、秘められた「画力」があった。
そうまとめると納得しそうになりますが、ちょっと待ってください。
そもそも、唐丸が今回発揮したのは「画力」と言っていいものなのでしょうか?
唐丸がやったのは「コピペ」
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唐丸の今回の能力を「画力」というのは、ちょっと違いますよね。
「画力」という言葉には、芸術的な意味も含まれていますから。
唐丸が今回やったのは、「完全コピー」です。
これは画家が訓練でやる「模写」とは厳密には違います。
模写には個性やクセが出ますから、模写は「コピペ」ではありません。
元の絵を描いた絵師・礒田湖龍斎は、唐丸の画を使って刷り上がった試し刷りをあらためて、
「よく仕上がっておる」
と唸ります。
いくら彫師の手を経た版画だとはいえ、一流の絵師が自分のタッチを見まごうとは思えません。
ということは、唐丸はコピー機やカメラのように、元の絵を細部まで寸分違わず写し取ったということです。
これは芸術的感性ではなく、フィジカルな技術の問題です。
はたしてそんなことが唐丸に可能なのでしょうか。
彼は子供で、何の訓練も受けておらず、満足な筆すら持っていたとは思えません。
いやそれは、平賀源内と同じだ。
この子はおそらく将来、誰もが知る有名絵師になる。
そこから遡れば、子供の時にこれくらいの天才を発揮してもなんら不思議ではない。
そう反論されるかもしれません。
しかし、現時点で私たち視聴者には彼が何者であるか明かされていません。
その状態でこのリアリティのないエピソードに納得するのは、私にはちょっと無理でした。
絵画が重要なモチーフであるドラマなのに、絵を描くということに対する想像力がちょっと雑なのでは…そういう感じもします。
唐丸は類稀な絵の才能を持っている。今後の展開のためにそういうエピソードを入れるなら、もっといいやり方があったのではないでしょうか。
第4回自体は全体としてとても面白く視聴したのですが、この1点だけが引っかかった。今回はそういう感想でした。
※背景画像:From The New York Public Library
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