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仮定法の消失 ー仮定法のユウレイ5ー

本記事で、ついに、仮定法は消失します。

今まで、仮定法について、長々と「仮定法のユウレイ」1〜4にも渡り解説しましたが
それらを総括すれば
以下の発生プロセスにより、仮定法は構造的に存在しない。
と言う結論になります。
本記事により、意味的にも無い事になり、仮定法は完全なる虚構だったという事を証明します。
※past form(過去形の原語)。past fromは多義的なので、時間の差しか意味しない日本語の「過去形」と同じではありません。

ーーーーーー
日本語英語はpast formを「過去形」と訳した

時間の差で英語の世界を分けることになった

「if文」に時制の矛盾が生じた

だから、その矛盾が生じたif文を分離し分ける必要性が出てきた

そして、分けたif文を例外として過去形だけれど現在の意味とすることにした

こうして矛盾を解消した。
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だから、だからこそ、if文を、直説法と仮定法に分離し分けなければならなくなったのであり、その結果、現実可能性、妄想に固執する事になったということです。
※分けなければ、仮定法をそのまま訳してしまう事になり、時制がズレて意味が違ってきてしまうからです。では原語のpast formの原意なら問題ないのか?と言う疑問の答えは、「仮定法のユウレイ2」にて解説しております。
現在完了形は現在形なのに日本語の「過去形」に訳すのは同じ病理です。

以上が、今までの「仮定法のユウレイ」シリーズの結論です。


さて、本記事に入ります。

まず、今一度、念頭に置いて頂きたいことが二つ有ります。
ひとつ目は、仮定法の、ではなく、普通の助動詞過去文と+have p.p文です。
共に、語っている文脈の中で、時制をズラしています。
前者は、現在形で語る中で時制をわざとズラして語り、後者は、過去で語る中や過去のことについて時制をわざとズラして語っているのです。
そうやって、話者の、そのことに対する確信度の度合いを表現しています。
この時の助動詞や完了形は、本来の意味はありません。ニセモノです。
※ 詳細は「助動詞過去のなぞ」と「過去完了形のなぞ」参考にしてみて下さい。

ふたつ目は、一つ目の前提になることですが、英語では突然、時制は変化しないと言う事です。日本語ではへっちゃらに飛んでも問題ないので、違和感を感じず、無視しがちですが。
※ 詳細は「現在形の意味」にて。日本語の時制が混在した文の一例も示しています。また、本記事下線は全てリンクですので、クリックしていただければ、解説記事に飛びます。


それでは、本題です。
if文は

「〜すると」ーーー条件で五分五分の直説法if
「〜したら」ーーー基本妄想だが実現可もありの仮定法過去if
「〜だったら」ーー完全なる仮定の仮定法過去完了形if

という具合にざっくり分類できますが、よく考えてみると、条件や実現可能性、妄想含め、if文はすべて「想定」です
実際に、古・中英語ではif節の動詞は、仮定法現在、つまり原形が使われていました。(※朝尾幸次郎著『英語の歴史から考える 英文法の「なぜ」』の仮定法の項参考)
動詞の原形と言うのは、未だ定まっていない動き、概念。要するに頭の中の事。ということは、大胆に言ってしまうと、『if節』の時制は重要では無いのです。
なぜなら、元々、概念という事で、原形を使い、時間は関係なかったのですから。
この事は、日本語でも同じで、意味は変わりません。

行う想定
行った想定

以下の仮定法の条件節の日本語訳を、過去形、現在形と変えて、比べてみてください。

If I meet(met) a prince on a white horse, I will(would) marry him!
If I lived in Italy, I would visit a different World Heritage.
「私が白馬の王子に会えば」と「私が白馬の王子に会ったら」
「イタリアに住めば」と「イタリアに住んだら」

If I were you,
If you heard him give his presentation,
「もし僕が君なら」と「もし僕が君だったら」
「もし彼のプレゼンを聞けば」と「もし彼のプレゼンを聞いたら」

以上の英文は「真・英文法大全」から引用しました。おそらく、お手元の参考書を開いて確認しても同じだと思います。条件節の時制を変えてみても(条件節だけです)、条件節のみならず文全体の意味は殆ど変わりません。

なぜならそれは、話者が一番言いたいところは、つづく帰結節(主節)であるからです。
話者が言おうとして、まず頭に浮かべだことは条件節ではなく、この主節だからなのです。
仮定法はsubjunctiveと言いますが、これはラテン語に由来し、英語で言えばsubjoined、すなわち、sub(下に)、joined(つながった)という、主節(帰結節)につながったと言う、言葉の意味からも、この表現の主体は主節であることがわかります。※由来については先の朝尾幸次郎氏の仮定法の項参照。

日本語英語は、if節の実現可能性の有無を非常に重要視しますが、元々言いたいことではないし、主節の付録なので、それはどうでもいいです。最も大事なのは主節です。しかも、付録のifは、現実可能性は「想定」したことの結果なので、当然、多種多様になるし、分類する意味はありません。※なぜ日本語英語は分類を厳密にし重要視してしまったかは「仮定法のユウレイ4」を参考にしてみて下さい。

このように、条件節は、時制はどちらにしても意味は変わらないし、重要ではありません。しかし!!話者が言いたい表現したい主節は、時制をしっかりしなくてはなりません。そうでないとif節と違い、意味が変わってきてしまいます。
したがって、

時制をズラす重要性の意味は主節。
これが話者が一番言いたいところ
ここがしっかりしなければならないところ。

if節は、そもそも想定だから、現在形、過去形で、今話者に関与するしない、は考えなくて良いというか、重要視する必要は無い。条件節の意味合いは主節に依存するからです。私は日本語英語に反旗を翻し(笑)、disなのですが(汗)、そんな私でさえ、日本語英語に引っ張られ、寄せてしまったのです。

主節(帰結節)は、話者が一番最初に頭に浮かんだ事で最も言いたいこと


それでは、「仮定法のユウレイ4」で、仮定法の一貫性のない例として挙げた、例文を検討してみましょう。
条件節より後に来る帰結節なのに「突然」、と表現していますが、条件節は、”if”と、まず、ことわりを入れているので、聞き手は「想定」だとわかるから、if節時制は重要でないと感じるからです(おそらく)。
→は、わたしの見解です。

ーーーー仮定法が「未来」の意味を示す例ーーーー
1.If a burglar(泥棒) came into my room at night I'd scream. (But I don't expect a burglar to come in./どろぼうが夜、部屋に入ることはあり得ない事ではないが、起きそうもないと話者は思っている)

2.If I dyed(染める) my hair blue everyone would laugh at me. (But I don't intend to dye it./髪を染めることは不可能ではないが、可能性は低いことだと話者はみなしている)


1は今、現在形で話していて、主節で突然、時制をズラしたwouldで、話者が叫び声を上げる可能性「だろう」を表現している。条件節は単にドロボーが入ったことを頭に描いています。
普通、女性ならドロボーが入ったら悲鳴を上げます。だから帰結節は、100%の現在形、もしくは、「きっと」、「必ず」の確信のwillですが、それより可能性が低い「だろう」のwould。ということは、腕っ節の強い男性か、女子プロレスラーとか、必ず悲鳴を上げるわけではない何かが”I”にはある?
2は今、現在形で話していて、突然、時制をズラしたwouldで、話者が笑われる可能性「だろう」を表現している。条件節はただ単に髪を染めたことを想定している。
話者が言いたいことは主節。アメリカのハイスクールで髪を染めたことで笑われる事は無い?何か、他人と別な事をしたら奇異にみられる状況がある、100%笑われることでもないから、帰結節はpresent form現在形でもないし、「きっと」のwillでもない。だから、話者はそれより、確信性が低いwould「だろう」を使って表現している。

いずれにしても、if条件節の実現可能性の有無は全く重要ではありません。ただの「想定」です。実現可能性や未来のことの意味は、これらの文の表現の結果です。想定なのですから、条件から実現可能性から妄想までになるのは当たり前なのです。じゃ、なぜ日本語英語はこだわるのか?それは日本語英語がpast formを「過去形」としてしまったから矛盾が生じ、それを解決するためだからです。だから、日本語英語以外、仮定法は全く不要な概念なのです。
さらに、帰結節(主節)の助動詞過去は、、、とりあえず、助動詞過去文だけを取り出してみて下さい。時制のズレに着目すると仮定法ですが、実現可能性に着目すると実現することもありうるので、普通の助動詞過去文の可能性の「だろう」になります。だから、日本語英語は両者を同じ物とは言っていないが、違う物とも言っていない。断言せず、曖昧にしています。が!同じ物です!!断言します!!!

※やっぱり、一文だけを取り出して正確に意味を汲み取らせようとするのは、意味あてゲームに等しいです。



ーーーー仮定法が「丁寧」な文意になる例ーーーー
If you did it for me, I should be very happy.
They might finish the work before dark, if all of us help them.


現在形で語る中で出して、”you”、”they”の行動を確定した事にはせず、想定として可能性が低いこととして表してその分、逆に”you”、”they”からすると自分の選択権の幅が広がり、その結果、選択権がない命令との反対、つまり、『丁寧』、な表現になるのです。助動詞過去による丁寧な表現は皆、このようなプロセスで丁寧という意味になります。



ーーーー仮定法が「多義的」でさらに「丁寧」な文意になる例ーーーー
If we caught the 10 o'clock train, we would [could, might, etc.] get there by lunch-time.


話者は今、現在形で話をしていて、同じグループの相手に、突然時制をズラして助動詞過去を使い、私たちがランチに間に合う可能性を表現し、条件節で10時に電車に乗った場合のこと頭に描いて想定しているのです。一方、聞き手が全くの他人であったり、この旅行に全く関係ない人、もしくは上司にたいして言えば丁寧になります。つまり、その時の状況により変わるのです(両者とも現在形で語る中なのは同じですが)。


ーーーー仮定法が「直説法過去」と「仮定法過去」と区別がつかない例ーーーー
If he found a patient listener, he would pour out his troubles.


この文は、現在形で語る中で出せば、仮定法過去になり「しんぼう強く聞いてくれる人がみつかれば、なやみ事をいろいろと話すだろうが(found = were to find)」の意味。一方、彼について、思い出話を語っている過去形の中で出せば、時制はズレていないことになり、直説法過去になるので、「しんぼう強く聞いてくれる人をみつけると,なやみ事をいろいろと話したものでした(If = when; would = used to)」の意味になるのです。


どうでしょうか?
このように、仮定法は特別に独立した文法ではなくて、『時制をズラした助動詞』、のifという想定がついた、一形態ということになり、存在しない事
にならないでしょうか?
はっきり言ってしまうと、仮定法とされているものは、ただの助動詞過去文だということです。日本語英語だとif条件節が主体のように感じてしまいますが(実際、私は「主節」がif節の別名とばかり勘違いしていました)。なぜ、ifを重要視してしまったのか?それは、前述したように、日本語英語が、実現可能性の有無で分けざるを得なくなったからであり、だから、付録のif節にそれを求めてしまい、結果的に、重視するはめになったからなのです。つまり、日本語英語の仮定法は、「実現可能性の有無」と「条件節を重視したこと」の、二重に本質から外れ、学習者にとっては二重のワナになっているのです。

くどいですが、仮定法(とされているもの)は、表現であるので、その表現の結果の実現可能性を問うのは、言語学者以外必要無いと思います。そもそも、「想定」は条件から実現不可から空想までを含むのですから、当たり前なのです。その想定の結果を分析するのは言語学者の仕事であって、一般人、ましてや英語学習者には必要ありません。


ーーーーーーーー直説法過去の例文ーーーーーーーー
さらに、本書(河上道生著「英語参考書の誤りとその原因をつく」)は、下文はすべて直説法である。としてあげています。
この、色々な組み合わせのタイプのif直説法過去を、それぞれ、先と同じように解説致します。
※日本語英語文法用語の「〜形」に惑わされますが、現在完了形は現在形です。過去完了形は過去形です。その他の用語も同じです。「形」と名付けられていますが、それぞれ独立したモノでは無く、form「形」はpresent form, past formのみで、それ以外は全てこの二つの「形」の中に含まれます。

If you spent the night on the train you probably need a rest.
列車で一晩過ごしたのなら、おそらく休息が必要だろう。
→条件節がif直説法過去で、主節が現在形。話者が疲れている「あなた」を見た今、出た一文。「あなたが列車で一晩過ごした」ことを想定しています。

If he was at the meeting last night, I didn't see him.
もし彼が昨夜の会議に出席していたとしても、私は彼に会わなかった。
→過去である昨夜のことを話している中で(過去形で語っている中で)、彼のことが話題に出た一文。昨日、彼に会っていないことは事実だが、たとえ会議に出席したとしても、私は会わない。絶対会いたくない?と言うこと。

If he deliberately broke the street light, he has committed a misdemeanor(非行、軽犯罪).
故意に街灯を壊したのであれば、軽犯罪である。
→主節は現在完了形であるが現在形である。彼の現在のことを話題にしていて出た一文。条件節で彼が街灯を壊したことを頭に思い描き想定しています。主節を単純現在形でなく完了形を使っているので、彼の素行のことを話題にしているとか何らかの理由がある。この一文だけでは判らない。

If she promised to be here she'll certainly come.
彼女がここに来ると約束したなら、必ず来るだろう。
→主節は助動詞であるが現在形である。彼女のことを話題にしている中で出た一文。話者の彼女に対しての確信のwill。条件節で、彼女が約束したことを思い描いています。

If he hadn't come in when you arrived, he won't come in at all this morning.
もしあなたが到着した時に彼が来ていなかったら、今朝は、きっと彼は来ないだろう。
→主節は助動詞であるが現在形である。話者が彼に対しての確信のwill。条件節は過去完了形ですが過去形です。話者が今朝、彼が来るかどうかを話題にしていて、「あなた」が現場に到着した、いまだ起こっていない未来ですが、その未来が確定したとして頭に描き、それを条件としています。条件節の過去完了は完了形の意味は無い、時差だけを表す大過去だから、ここは単純過去形でも問題ない。

If he hadn't left any message when you called, he probably intends to be back before you leave.
あなたが電話したとき、彼が何のメッセージも残していなかったなら、彼はおそらくあなたが帰る前に戻ってくるつもりだろう。
→主節は現在形です。条件節は過去完了形です。今現在彼のことを語っている中で、彼がメッセージを残さなかった、まだ起こっていない未来のことですが、確定したこととしてを、想定しています。一つ前の例文と同じく大過去なので単純過去形でも問題ない。

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以上です。
どうでしょう?
日本語英語が定義する仮定法は、完全に消失してしまいましたね。これなら、非常にシンプルなので、年少者でも自由に使えます

このように、英語を使う上では、直説法、仮定法は不要になり(意識する必要はなくなり)、ましてや、実現可能性を問う事は意味のないことになります。
※if直説法現在の組み合わせは、探しきれてませんが、if節は「想定」であり、主節の付録なので、おそらく同じであると思います。

くどいですが、繰り返します。
まず、主節で言いたいことがあり。
それを話者の心的態度(どう思っているか)により、助動詞現在形や確信度が下がる助動詞過去形を使い。はたまたノーマル現在形で表現。それに対する想定が「する」ことを思い浮かべているのか、それとも「した」事を思い浮かべているのか、だけなのです。たった、それだけのこと。
そして、現実可能性云々は、その想定は思い浮かべていることの結果なので、当然、可能性の幅が出る事になるのです。したがって、言語学者以外、その結果を分類し分析するのは無意味なのだという事です。

結論
仮定法は日本語英語のテスト以外は必要ない。



ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!!

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