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マインドフルになれる(かもしれない)3曲を心おだやかに語る

たいていのことは、テキトーにやっていれば、そのうちだいたいできるようになる。

そう思っている。

マインドフルネスについても、「何となく」な感じでやっていたら、それなりにできるようになった。

ような気がする。

この自己流のやり方で大事なのが、どんな音楽を聞きながらやるか、ということ。ちゃんとした人からは怒られるかもしれないが、そういうことは気にしない。

できるだけ面倒くさいことをやらずに済まそうとすれば、音楽を聞きながらやるのがてっとり早いと思うからだ。

曲選びの前に

とにかく気楽にやりたいから、座禅とか組んだりしない。面倒くさいし、足も痛くなる。

やることは、思い立ったときにストレッチポールに仰向けに横たわる。

それだけ。

力を抜いて、「ハ」の字に両腕を広げる。腕の重さで下から引っぱられて気持ちがいい。


ここで、静かな音楽を(聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームで)かける。軽く目を閉じ、ゆっくりと呼吸する。

吸って・吐いて、ではなく、まずはゆっくりと息を吐く。

「さあ、吐くぞ!」と力をこめるのではなく、重さのあるクッションがお腹のうえにのっている感覚で、ジワ〜っとお腹を全体的にヘコませる感じ。

ゆっくり吐ききって、力を抜くと、自然に空気が入ってくる。ある程度、空気が入ってきたら、またジワ〜っとヘコませる。

これを繰りかえす。

意識するのは、吐く・吸うの継ぎ目が分からないくらいなめらかに、空気が出ていって、入ってくること。


ここで重要になるのが、どんな音楽を聞きながらやるか、ということ。

吸うのに3秒、吐くのに7秒。吐いた後に8秒間、息を止める、みたいなことがいわれているけど、「もうそろそろ7秒か?」とか、よけいなことを考えてしまう。

ゆったりと静かな音楽は、吐いて・吸ってのリズムを自然に整えてくれる伴奏者だ。

自分の「吐いて・吸って」にしっかりと寄り添ってくれる音楽を見つければ、いちばん心地よい呼吸のリズムをカラダでおぼえることができる。

で、結局のところ、吐くのに7秒、吸うのに3秒くらいの間隔になっていると思う。

リュートの曲:ヴァイス「シャコンヌ」

よく聞くのは、シルヴィウス・レオポルド・ヴァイスの「シャコンヌ」という曲。



とても有名な曲で、ギターで演奏されることが多いけど、これはぜひリュートの演奏で聞きたい。


リュートはギターの原型で、アラブのウードという楽器がヨーロッパに伝わったもの。シルクロード経由で日本に伝わったのが琵琶。形も琵琶によく似ている。

18世紀の末まではとても人気のある楽器だったが、大きな音で早く演奏するには不向きで、その後はアッという間に人気がなくなった。

でも、そういうところがマインドフルネス用の音楽として都合がいい。

ボーンとでっかく響くギターとちがって、ポロンポロンした小さい音しか出ないから、「吐いて・吸って」に向けるこちらの意識を音が邪魔しないのだ。


ヴァイスは、バッハと同時代のドイツのリュート奏者・作曲家。650曲以上のリュート曲を作曲したとのこと。

どの曲も穏やかで品がある。「吐いて・吸って」にしっかりと寄り添ってくれる。

なにしろポロンポロンとしか鳴らないから、リュートの演奏はみんな同じに聞こえるけど、聞きくらべると、人によってけっこう違いがあって面白い。

低音をどっしり響かせる人もいれば、ピンと張った高めの音で軽やかに・爽やかに演奏する人もいる。

柔らかい音に硬い音。艶めいた音や幻想的な音色。

この曲を演奏しているホセ・ミゲル・モレーノの音は、溌剌としていながらも艶めいていてるので、朝に聞いても、夜に聞いても、そのときの気分にしっかりとフィットするのがいい。

ギターの曲:テレマン「無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲」

ギターはボーンと響くから、意識が邪魔されてしまう。これ、逆にいえば、ギターもリュートっぽくポロンポロン弾けばいい、ということ。



カルロ・マルキオーネ
というイタリアのギター奏者によるゲオルク・フィリップ・テレマンの「無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲」は、とてもいい具合にポロンポロンしている。


テレマンもバッハと同時代の作曲家。親しみやすい軽やかなメロディで、その当時は、バッハよりもはるかに人気があったらしい。

「無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲」はゆったりと静かな曲だけど、ヴァイオリンで演奏するとギュイ〜ンと音がのびるところでこちらの意識が引っぱられてしまう。

ギターで演奏するマルキオーネさんの「幻想曲」は、こちらの意識を邪魔しない、ゆったりと静かに柔らかい音。

吐いて・吸ってをゆったりと繰りかえし、たとえばこんな感じにフワッとゆっくり浮かびあがるイメージを思いえがく。



ストレッチポールに横たわり、目を閉じている自分が、いまいる場所や時間からどんどん遠ざかっていくような気になる。吸いこむたびに遠ざかり、吐くたびに視野が広がるような感覚で、継ぎ目のない吐いて・吸ってを繰りかえす。

で、目を開き、目の前に天井が見えて、仰向けになっている自分を発見するころには、かなりスッキリした気分でそれまで自分の「現実」に立ちもどることができるはずだ。

ヴァイオリンの曲:ペルト「鏡の中の鏡」

もちろん、ヴァイオリンの曲はマインドフルネス用の音楽に向いていない、ということじゃない。



エストニア生まれのアルヴォ・ペルトは、シンプルな素材を反復したり並べたりして音楽をつくるあげる、「ミニマリズム」の作曲家。

鏡の中の鏡」は、そのタイトルの通り、シンプルな旋律の繰りかえしから、合わせ鏡の向こうに、ズラ〜っとはるか彼方まで鏡がつらなるイメージが生まれてくる曲。


タスミン・リトルという人が演奏するヴァイオリンは、けっしてギュイ〜ンっと鳴ることはない。音がどこからはじまって、いつの間に消えたか分からないくらいに静かに、なめらかに流れていく。

つらなる鏡にスローモーションでズームイン。すると、その向こうに、さらなる鏡のつらなりがあらわれる。そんな気になる。

タスミン・リトルという人は、ナチスによる虐殺からユダヤ人を救ったドイツ人実業家を描いた、スティーブン・スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」のメインテーマでヴァイオリンを弾いている。

この映画のテーマ曲だけでなく、この人の基本的な演奏スタイルは、「往年の巨匠」みたいに朗々と、そして堂々と歌い上げる。とにかくギュインギュインしている。

だから、「鏡の中の鏡」の演奏が、まったくその正反対なことに驚き、とんでもなく静謐で正確で美しいことに舌を巻く。


つらなる鏡にゆっくりと近づくと、さらにその向こうに新たな鏡のつらなりがあらわれる。そういうイメージをいだきながら聴きたいけれど、やっぱり雑念が浮かんでしまうこともある。

そういうときは、「雑念をいだく自分を受け入れ、そして手放しましょう」みたいなことをいう人がいる。でも、それがどういうことなのかよく分からない。

たぶんそれに近いことだろうなと思ってやっていることは、走る電車の窓から雑念をいだく自分をながめ、ゆっくりと通りすぎていくイメージをえがくこと。

こんな感じ。



「ハラ減ったな」とか、「あの仕事、そろそろ〆切りじゃなかったか?」とか、「眠い!」とか、「とにかくあのポンコツをどうにかしろ!」とか、いろいろ考えている自分がホームに立っている姿を想像する。

そして、「だいぶ疲れてますな」とか、「そうとうイラ立ってるね」とか思いながら、ゆっくりと通りすぎる。

大事なことは、フワッと浮かぶ雑念に引きこまれないこと。「ほほ〜」と思いながら受け流すこと。

で、通りすぎたら、また鏡のつらなりに意識を向け、ヴァイオリンの音にあわせて、吐いて・吸って、鏡に近づき、さらに向こうの鏡に目を向ける。

これを繰りかえす。

で、目を開き、目の前に天井が見えて、仰向けになっている自分を発見するころには (以下同文)


(この記事とも、noteで書いていることとも、まったく何の接点もないけど、Spotifyつながりということで …)

2011年からスタッフとして翻訳や通訳のお手伝いをしている、プログレッシブロック・ユニットの Yuka & Chronoship が、2021年9月から Spotify の music + talk を使ってポッドキャストの配信を開始しました。


ユカクロの Skygazer」は、Yuka & Chronoshipの作曲・キーボード・ボーカルを担当する船越由佳、プロデューサーでありベーシストの(そして「ウィスキーはお好きでしょ」の作詞家として有名な)田口俊、そこにスタッフの私を加えた、ものすごく年齢層の高い3名によるポッドキャスト。

「果てしなくつづく、ものすごく長い無駄話」をベースに、ときおり制作中のアルバムやプログレッシブロック、それに音楽創作をめぐるいろいろなウラ話を語ります。

この記事が紹介しているノッペリした曲なんかより、俺はプログレが聴きたいんだ! という方がいれば(いないか … というか、そういう人はそもそもこの記事読まないか …)、ぜひチェックしてみてください。

たぶんもっとも正しい聞き方は、「心と時間にものすごく余裕のあるときに、何かをやりながら、聞くとはなしに聞く」です。そうすれば、「居酒屋に入ったら、隣の半個室からときどき聞こえてくる会話がなかなか面白かった」みたいな楽しみ方ができるはず。

ストレッチポールに横たわり、目を閉じて聞いても、マインドフルにはなれません。

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