中島崇学さんの「空気を変えるすごいひと言」を読んで考えたこと
一ヶ月ほど前に共創アカデミー代表取締役の中島崇学(なかじまたかあき)さんと会った。
中島さんと最初に会ったのは本当に大昔。
日本企業のコーチング導入プロセスに関するフィールドリサーチをやっていたころだ(15年前? 16年前? もっと前?)。その後、中島さんが主催する「ファシリテーション塾」という勉強会の立ち上げ当初にお話させてもらう機会はあったが、ここ何年もご無沙汰だった。
で、その中島さんが満を持して出版された本、「空気を変えるすごいひと言」の出版感謝会が開催されたので、ものすごく久しぶりにお目にかかることになった(あいかわらずのパワー全開! そして、ずっと「とうりょう」と呼んできたので、本の奥付をみて、名前の読みが「たかあき」であることを知った)。
いろんな場面での不安解消に役立つ「空気を変えるすごいひと言」
「空気を変えるすごいひと言」は、数々のファシリテーションの場を経験してきたとうりょうの裏ワザ集。「打合せ、会議、勉強会、雑談でも使える43のフレーズ」が収められている。
場の空気を変えるだけでなく、緊張を解いたり、やらされ感をなくしたり、まとまらない話をなんとかしたり。そうしたさまざまな場面に使えることばは何かを示し、なぜそのことばに力が宿るのかについて分かりやすい解説が加えられている。
「お、そういう言い方や言い回しがあったか!」と思うことば(「は行」と「あ行」のあいづちを使うと簡単にあいづちのバリエーションが増やせるよ、とか)や、「いわれてみれば、これ、自分でも使っているぞ!」と思うことば(「何か言いたそうなお顔ですね」で話を振るとか、及び腰になりそうなときは「力強く言い切る」ほうがいいとか)が満載。
いろんな人の前で司会やファシリテーションをやらないといけないんんだけど、どう話を切り出せばいいんだろうとか、話の流れが滞ったときはどうやって打開すればいいんだろう、やっかいな人にどう対処すればいいのか、なんてことに悩んでいる人にとっては、すぐさま役に立つフレーズがいくつも見つかるはずだ。
「なるほど失礼説」への違和感を探る
読んでいて、「え、そうなの?」と思ったところもある。こんなエピソードが描かれていた場面だ。
「なるほど」って、目上の人に言っちゃいけないことばなのか?
そう思って調べたら、こんな記事があった。
三省堂国語辞典編集委員の飯間浩明さんによれば、語源的には「なるほど」に失礼な要素はなく、夏目漱石や芥川龍之介の小説にも目上の人に「なるほど」ということばを使う場面が出てくるとのこと。
では、目上の人に「なるほど」を使っちゃいけないという話はどこから生まれてきたのか?
2005年に出版されたことばに関する本に「なるほど失礼説」が登場する。とはいえ、「本当に同意したり、感心したりしたわけでもないのに、『なるほど、なるほど』と乱発するのは失礼」という専門家の助言として紹介されているので、「なるほど」=「マナー違反のことば」というわけでもない。
そういうわけで、「なるほど失礼説」に対する飯間浩明さんの結論はこうなっている。
ある食材を間違った調理法で料理に使うレストランが増えたので、誰もがその食材そのものを「マズイものだ」と考えるようになった、みたいな話だ。
タメ口の真実とフラットな関係構築のむずかしさ
なんだかものすごくいい加減に思える「なるほど」の「失礼化現象」
これについて考えるうちに、その背景の1つに、日本語で表現される相手との関係性があるような気がしてきた。
その昔、日本語の特徴について海外の研究者が書いた文章に、「日本語にはフラットな関係で相手と話すときの語り口が存在しない」みたいなくだりがあった。もちろん、「タメ口があるじゃないか」と思って読み進むと、こんなことが書いてある。「対等な相手と話をするときは、お互いに相手が自分より目下の者であるかのようなことばを使う」
なるほど。タメ口ってそういうことなのか。
そうなると、話し合いやファシリテーションの場で、相手に対して失礼にならない程度にフラットな関係を構築しようとすると、(今日は「お互いにタメ口でいきましょう!」とやるわけにもいかないので)、相手よりも「やや下」くらいのポジショニングで、しかし聞くべきことは聞き、うながすべきことはうながす、みたいな戦術を取る必要がある。
しかしフラットな関係での語り口という土台がないから、つねに不安定な関係性を構築しながら話を進めなければならない。そうなると、そこで使うことばの1つでも「上から目線」だと受け取られると、関係性のバランスが大きく崩れることになって非常にまずい。
というわけで、「なるほど」=「使い方によっては失礼になりうることば」という理解が広まるにつれて、これが「なるほど」 ≒ 「失礼なことば」と短縮して受け取られるようになるのも、危機管理の視点からみれば(多少は)納得できることのようにも思えてくる。
「上から目線」化を回避する戦術としての「すごいひと言」
そう思って「空気を変えるすごいひと言」を読みなおすと、つねに「上から目線化」することばの危険性と、これを回避するための戦術について書かれている箇所が目に飛びこんでくる。
たとえば、相手に対して「すごくいい提案です」というのはNGだ、というところ。
大事なのはリスク回避なのだ。
これが「上から目線化」の危険を回避する戦術の1つ。
相手に向けたことばではなく、「自然な感情の発露」として語ることで、自分と相手との関係とは無関係な言葉にする(なかなか面倒くさい)。
「立場」を代表することで、「いま・ここ」の関係を離れる戦術
もう1つの戦術は、自分から出たことばではなく、ある「立場」を代表するポジショニングから出たことにする(そうした「立場」からのことばとして語ってもらう)こと。
ポイントは、「『代弁者』なら、発言のハードルが下がる」ということ。「代弁者」としてことばを発すれば、たとえ評価のことばを口にしたとしても、私ーあなたの関係には影響が及ばないのだ。
こうして気楽に発言ができる雰囲気、つまり相手との(そしてメンバーとの)間でバランスのとれた関係性をつくりあげることができる(これも面倒くさいぞ)。
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そんなこんなを考えると、打合せに会議、勉強会や雑談といった、人とことばを交わすさまざまな場というのは、いろいろと面倒くさいことにあふれている、ということになる。が、これを逆にとらえていれば、「いま・ここ」で目の前にいる人との関係をとても細かくチューニングしながら話を進めることができる、ということでもある。
というわけで、「空気を変えるすごいひと言」に収められているフレーズを自分のものにして、打合せや会議、勉強会に雑談といった場で話すことへの抵抗を減らすことができたら、場に集うさまざまなメンバーとの関係を、より細かくチューニングするための、自分なりのフレーズを見つけていくことが次のステップになるのだと思う。
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