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モノからコトへのまちづくりと、危機感・ダイバーシティ・トップのコミットメントの役割

日経の「波佐見焼、若者集う町に成長 ブランド確立で脱下請け」という記事が面白かった。

佐世保出身なので、小さいころから波佐見焼にはなじみがあった。

焼き物といえば有田があって、三川内があっての波佐見(つまり、ものすごく地味な街&焼き物)というイメージがあったから、このところの波佐見焼のブランドイメージの変貌が、「この20年の立川」とか「この20年の渋谷」みたいな驚天動地の変化みたいに思えていた。

ので、そこいらの裏事情が書かれているこの記事を読んで、「なるほど、そうした取り組みの結果だったのか」と合点がいった。

「モノからコトヘ」のきっかけとしての危機感

福岡市からドライブ旅行に来た20代の女性は「雑誌で見た食器をぜひ、波佐見で買いたくて。このあと窯元やショップを回ります」と声を弾ませた。

雑誌で見た食器を「波佐見で買う」ことに意義がある。

「モノからコトへ」というコンセプトはうんと昔から語られているけど、「聖地に赴いて購入する」ことがイベントとして感じられる状況が「モノからコト」への変化なのだということが(いまさらながらに)よく分かる。

面白いのは、そうした「イベント化」のきっかけが、2000年代にはじまった産地表示の厳格化だというところ。

それまでは有田の下請けとして大量生産を請け負っていた波佐見焼が、産地表示の厳格化によって、「波佐見町の商品すべてを新たに「波佐見焼」として売り出す必要に迫られた

「モノからコトへ」のリブランディング戦略がコンセプチュアルな空中戦から生まれたのではなく、明白かつ現実の危機から生まれていることがとても味わい深い。

組織変革の最初のステップは、いまのままではダメだという危機感を醸成することだといわれるけど、やはり明白かつ現実の危機に投げ込まれることのパワーはすごいものだということを実感させてくれる。

ダイバーシティ&インクルージョン、そしてトップのコミットメント

もちろん、危機に投げ込まれたら自動的に変革が実現するというわけじゃない。

「波佐見には、よそ者を受け入れる自由な雰囲気がある」と長瀬さん。その長瀬さんを引き付けたのが、「アート・デザイン村構想」だ。04年に町民らがNPO法人を立ち上げて動き始めた取り組みで、構想には全国的な農村回帰の動きとクラフトを組み合わせて観光誘客につなげる狙いがあった。

ダイバーシティを推進し、しっかりインクルージョンを実現するための「よそ者を受け入れる自由な雰囲気」が(とくに西の原という地域に)あるからこそ、「モノからコトへ」を実現するためのさまざまな視点を集め、カタチにすることができる。

リブランディング戦略が単なる「コンセプチュアルな空中戦」から生まれていないのと同様に、東京などから「焼き物作りを目指す若者たち」がこの地に移住し、そうした「よそ者」を受け入れる土壌に支えられているところがすばらしいと思う。

それと同じくらい(あるいはそれ以上に)大事なのが、トップが変革のビジョンを示し、コミットすること。

難路を切り開いて波佐見焼の知名度を高めたのが、陶磁器販売を手掛ける西海陶器(同町)の児玉盛介会長や地場大手の白山陶器(同町)だ。児玉氏は08年に波佐見焼振興会の会長に就任。東京ドームで毎年開かれる「テーブルウエア・フェスティバル」を選び、バイヤーらが注目する会場で波佐見焼をアピールした。

白山陶器
は東京・南青山に直営店をオープン。作り手の思いや波佐見焼のストーリーが伝わる店舗運営で消費者の心を次第につかんでいった。

南青山の白山陶器の直営店を最初に訪れたときは、「白山陶器ってこんなお洒落な場所にショールームを構えていたのか(あの「ものすごく地味な街&焼き物」の白山陶器が)」と驚いたけど、その背景にこんなストーリーがあり、その結果が驚天動地の波佐見の変貌を生み出したということにいまは驚いている。

危機を前に、個々の戦略をしっかりと「ストーリーとしてつながる」ように積み重ねてきているからこそ、使い勝手のいいシンプルさという本質はそのままに、いまの若い人たちに受け入れられる新たな形を生み出し、「モノからコトへ」の大変貌が実現したのだということがよく分かった。

#日経COMEMO #NIKKEI

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