知識と実践のPDCAサイクルをまわして、専門知をへだてる「業界」の壁を乗り越える
こんにちは。ビジネスを加速する「つなぐ力」について考えている市瀬博基です。
「つなぐ力」とは、専門的な知識と、すでに知っていること・経験していることをヨコに結びつけ、柔軟かつ機動的に環境変化に対応していくための力です。
前回は、耳なじみのない言葉で語られる専門用語が生み出す「新しいもの幻想」について考えました。今回も、専門用語から生まれる壁について考えていきます。
それは「業界」の壁です。
「業界」の壁は、別々の場所で、別々の人たちが語ることによって、同じような話なのに、「まったく別物」あるいは「とにかく何かしら違っているもの」という幻想を生み出します。
どうしてこういうことが起きるのでしょうか? どうすればそのような状況を克服できるのでしょうか?
「業界」の壁が、「つながり」を見えにくくする
「業界」の壁は、とても奇妙な状況を生み出します。
たとえば、ほぼ同じような(あるいは、どう考えてもかなり似ているはずの)話なのに、まったく別のところで、別の人たちが、別の言葉で語っている。だから、まったく違ったこと(あるは何かしらの違いがあるもの)のように感じられたり、どこが同じで何が違っているのかがよく分からないモヤモヤ感が生まれたり。
(前回お話しした、マインドフルネスの手法とコーチングの「準備運動」の共通点・相違点について語られることがほとんどないという状況も、こうしたことから生まれてきているのかもしれません。)
こうした「業界」の壁が生み出す状況の例として、「組織学習」と「学習する組織」について考えてみましょう。
どちらも「組織」に関わる「学習」の話なので、何かしらの関連がありそうな気がします。ところが、この2つがどういう関係になっているかについては、不思議なことにほとんど語られることがありません。
この結果、「組織学習」について学び、さらに「学習する組織」について学んだとしても、2つの知識の「つながり」を実感することがないし、相乗効果が生まれることもない。すごくもったいない。
このあたりの事情は、白石(2009)「組織学習と学習する組織」(リンクが文字化けしてます...)にくわしく述べられています。
「関連があると思われる議論」なのに、「統合的な枠組み」がつくられることも、「相互に刺激や示唆を与えあうような関係」が構築されることもなく、互いにぜんぜん関係ないものとして取り扱われている。
「業界」の壁は、こんなふうに奇妙な状況を生み出すんですね。
読めば読むほどわからない!
そういうわけで、中原淳研究室のブログには、「組織学習」と「学習する組織」の関係が、「読めばよむほど、だんだんとわからなくなって」しまうものとして描かれています。
このコラムでは、(そのスジの専門家からは、裏拳の首チョップをくらいそうなくらい乱暴な要約として)「組織学習」がこんな風に定義されています。
「仕事や経験、他者とのコミュニケーション」を通じた個人の学びを、集合知として組織で共有することによって、外部環境の変化に柔軟に適応できる、「常に変わり続ける組織」でいられること。
「学習する組織」について引用されているのは、ピーター・センゲのこんな文章。
もちろん、そうした言葉の意味は分かるけど、どういうことなのかは「具体的にイメージできない」し、「具体的にどういう光景が見られたら」いいのかがピンとこない。それに、他にも「関連する理論体系があるように」も思えるものの、違いや共通点を整理できていない。
だから、読めば読むほどわからない。「業界」の壁は、そうしたモヤモヤ感を生むことになる。
関連しているはずの知識が「業界」の壁によってへだてられているという状況は、とても不可思議なだけでなく、(具体的な仕事に活かそうとすると)とても不親切で非効率。そういうわけで、大きなフラストレーションを生み出すんですね。
「行間を読む」ことよりも大切なことは?
このような状況は、「組織学習」と「学習する組織」という2つの言葉にかぎらず、ビジネスやマネジメントのさまざまな分野にみられます。
「どう考えても共通点がたくさんありそうなのに、誰も2つを比べようとしないのはナゼ?」とか、「とても似てそうな話なのに、どうしたわけか業界の両陣営は相違点ばかりを強調するフシギ」みたいなことがたくさんある。
いろいろとオトナの事情もからんでいそうで、スパッと一筋縄ではいかないのかもしれないけど、もう少しなんとかならないのか?
と、そうした事情を嘆いてもしょうがないので、ここでも大事になるのが「つなぐ力」です。
まずは、関連していそうな知識のそれぞれについて、ふだん使いの言葉に置きかえ、自分自身の知識や経験と照らし合わせながら、しっかりとを理解する(つまり、インプットする知識と自分自身の知識・経験を「つなぐ」)。
そして、2つの知識に関する自分なりの理解をつき合わせ、どこに共通点があり、何が違っているかを考えることが大切なんですね(「つなぐ力」で理解した知識どうしを、さらに「つなぐ」)。
「行間を読む」ことが大事。なんてことをよく耳にしますが、本と本、理論と理論、コンセプトとコンセプトの間を読むことは、もっと大事です。
どれだけ多くの情報をインプットし、個別の知識の枠内での「つながり」を理解したとしても、関連していそうな知識どうしの大きな「つながり」が読めていなければ、平べったくバラバラに置かれた知識の在庫エリアが広がるだけ。
分野や「業界」を越えて、関連するさまざまな知識どうしの「つながり」を見いだし、インプットする情報の吸収率を上げることで、「業界」の壁を乗り越え、日々のパフォーマンスに活かせる形で、知識を「積み上げる」ことができるんですね。
「暫定的な正解」を見つけた後の問題
ところが、ここに大きな問題が生まれてきます。
「業界」の壁によってへだてられた、関連する(と思われる)2つの知識について、自分なりにハラに落ちる「つながり」を見いだしたと思っても、「総合的な枠組み」もなければ、「刺激や示唆を与えあうような関係」もない状況では、それが正しいのかどうかをたしかめる術がない。
このことは、「カタカナのビジネス用語から生まれる『新しいもの幻想』を乗り越える」でチラッと触れていた、「暫定的な正解」を見つけだすことにかかわっています。
「正解のない時代」には、「問う」こと、「探求する」ことが大事になる。しかし、それで終わりじゃない。大切なのは、「問う」こと・「探求する」ことを通じて、自分自身が直感的・間隔的に十分に納得できる「暫定的な正解」を見つけ出すこと。
ここで、「暫定的な正解」とは、たとえば2つの知識の間に見いだした、自分なりにハラに落ちる「つながり」のようなものです。
信頼できる誰かが語る(あるいは信頼できる本に書かれた)「正解」がない場合、自分なりの「暫定的な正解」の正しさをどのようにしてたしかめることができるのでしょうか?
「問う」・「考える」・「実践する」・「振りかえる」:
知識と実践のPDCAサイクルをまわす
その答えは、知識と実践のPDCAサイクルをまわし、「より正しい」正解へと近づくプロセスを生み出すことにあります。
2つの知識の間に見いだした「つながり」に関する自分なりの理解を、じっさいのビジネスの取り組みに活かし、その結果を振りかえることで、最初に考えた「暫定的な正解」を再検討する(「具体的にどういう光景が見られたら」いいのかをたしかめる)。
再検討を通じて、当初の理解を必要に応じて変更・修正し、さらにビジネスに活かし、結果を再検討、というサイクルを繰りかえす(つまり、「経験学習」ですね)過程で、「より正しい」正解に近づいていくことが大事です。
「正解のない時代」に、「業界」の壁にへだてられた専門的知識どうしを結びあわせる。そのために必要となる最初のステップは、それぞれの知識を、すでに知っていること・経験していることにつなぎ合わせ、2つの知識の関係を暫定的に理解すること。
そのつぎは、知識と実践のPDCAサイクルをまわして、自分なりの「暫定的な正解」の正しさをたしかめるとともに、必要な変更・修正を加えながら、「より正しい」理解と実践に近づいていくことです。
これにより、たとえ信頼できる誰かが語る「正解」がなかったとしても、「より正しい」正解に近づいていることを実感できるプロセスが生まれてきます。
ところで、「自分の頭で考える」ことが大事、みたいな話をよく耳にします。
これを自分の頭で考えて「最終的な正解」をみちびく、という風に考えると、「じゃあ、考えて「最終的な正解」がみちびけない人はどうすればいいんだ?」みたいな声もあがって、話がこんがらがってきます。
これも、「自分の頭で考える」とは、自分自身で「暫定的な理解」を生み出し、その理解を、自分自身の実践と振りかえりを通じて「より正しい」理解へと磨きあげていくこと、つまり知識と実践のPDCAサイクルをしっかりとまわしていくこと、という風に理解すれば、めんどうな問題が生じることもありません。
知識と実践のPDCAサイクルをまわして、関連する専門知をへだてる「業界」の壁を乗り越えることは、「自分の頭で考える」ことの第一歩になるはずです。