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~第73回 ~「武蔵国の話」

氷川神社は、社記によると今から約2500年前、第5代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創建と伝えられます。
第12代景行天皇の御代には、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷鎮定の祈願をされたと伝わっております。
また、第13代成務天皇の御代には、出雲族の兄多毛比命(えたけひのみこと)が朝廷の命により武蔵国造となって当社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威は輝き格式を高めたと伝わります。

この兄多毛比命は初代の无邪志国造(むさしのくにのみやつこ)とされます。
「武蔵」は、古くは「无邪志」などと書かれており、无邪志(武蔵)国造とは武蔵国東部(現・埼玉県・東京都平野部、荒川流域)を治めた国造です。
諸説ありますが、もとは南部の无邪志国造と北部の知々夫(ちちぶ)国造という2つの国造が存在し、7世紀にはそれらが統合され武蔵国に。

現在では「无邪志」は「武蔵」となっておりますが、武蔵という単語の語源は諸説あり、はっきりしていません。
しかし古代日本において、律令制度の下で国が整っていくその歴史と氷川神社が共にあったことは、これからも語り継ぐべき東国の歴史のひとつです。

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〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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