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~第211回~「大宮宿の富士」

江戸時代後期に活躍した浮世絵師の渓斎英泉は、美人画や風景画を得意とし、歌川広重と合作した「木曽街道六十九次」が有名です。
その英泉が木曽街道六十九次で担当した風景画の中に大宮宿が登場します。

まず「日本橋雪之曙」で日の出とともに賑わう橋上の雑踏、第2図は牧歌的な「板橋之駅」、そして戸田川を渡る渡し舟を描いた「蕨之駅」、続く「浦和宿」で浅間山を遠望し、いよいよ「大宮宿」。
大宮宿では遠景の富士山に別れを告げる構図を取っています。
日本橋から始まり、川を越え、浅間・富士の二つの霊山を続けて取り上げることで、普段は旅に行けない庶民が江戸から旅をする気分を抱ける作りです。

渓斎英泉が描いた大宮は宿場町の様子ではなく宿場外れの景色でした。
遠くに富士を望む中、旅をする人々と共に鍬を担ぐ農夫と籠を背負う子どもの姿を描き、当時の大宮の「日常」を今に伝えたのです。

つまり大宮から富士山は見えます。
平成17年に国土交通省観光地方整備局が発表した「関東の冨士見百景」には、さいたま市から「シーノ大宮センタープラザ」「見沼田圃」「荒川総合運動公園と公園通り」の3つが登録されています。
とくに見沼田圃は江戸時代以降の新田開発によって開拓された大規模な緑地空間としての評価もあって登録されています。
武蔵一宮氷川神社境内の池からこんこんと湧き出る水が見沼に注ぎ込み、見沼の水源となっていますので、その水が渓斎英泉の描いた農夫や子供の農作業を支えたに違いありません。

また富士と言えば武蔵一宮氷川神社にもご縁があります。
実は、昭和14年に横山大観が描いた富士の絵「秋色武蔵国」が、氷川神社社殿の造営を記念し奉納されております。

江戸時代に話題となった浮世絵に残る大宮の景色を今もこの地で想像することができる…大宮の人々が武蔵野の風景を守ってきたからできることです。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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