~第114回~川風土記「大宮の麦の話」
今回は神事と穀物の関わりから、8月2日に斎行する神幸祭(じんこうさい)と麦のお話です。
神幸祭の起源は不詳ですが、古くは旧暦の6月15日(例祭の翌日)に行われていました。 現在の日本は太陽暦で生活しておりますので、旧暦6月と聞いても実感がわかないと思います。
太陽暦が明治6年(1873)に採用される以前の日本では月の満ち欠けをもとに、季節をあらわす太陽の動きを加味して作られた「太陰太陽暦」が使われており、特に明治6年まで使われていた「天保暦」を「旧暦」と言います。
さて、この暦の変化による例祭日変更に伴い、神幸祭も例祭日翌日の8月2日と制定されました。
小麦御飯から始まり、直し(なおし)、鱚の干物、見沼の鯉などをお供えし、午後3時に祭典が始まります。
本殿にて御神霊を神輿にお遷しして出御し、神池の水で清めた神橋に麦藁の筵を敷き、そこに神輿を奉安し橋上祭を執り行います。
その後、境内を一周し神池の東を周り本殿へと還御致します。 この麦藁の筵や小麦は、旧神領地である与野の上落合の氏子の皆様が奉納する慣わしになっておりますが、麦は以前、埼玉県で広く作られた農作物です。
埼玉県のサイトによると昭和30年代頃までの埼玉は、押麦に白米を混ぜた麦ごはんが一般的で、麦が食生活の中心にありました。
明治20年前後、小麦・六条大麦・二条大麦・はだか麦を合わせた生産量が全国一の時期もあった程です。
そのような麦ですが、大宮の皆様が古くから育ててきた麦は、現在も神事の中で非常に大切な存在です。 最後に「直し(なおし)」について。
これは飲みにくい酒を手直しして飲みやすい酒にしたものなので「直し」と言います。
江戸時代には夏の暑さで傷みかけた日本酒に味醂(ミリン)や焼酎を入れて普通の酒に近い香味を持たせて飲んだそうです。
神幸祭は江戸の食文化も感じることが出来る神事です。
〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕